(その1 その2)
藤本満先生のゲスト投稿、3回目をお送りします。今回は先日私が投稿した記事とも重なる、差別の問題を取り上げてくださいました。時期的にもとてもタイムリーな寄稿をいただき、心から感謝しています。
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「神の像」をゆがめて用いるとき――人種差別と女性差別
「キリスト者の生」「キリスト者の成熟」を念頭に置きながら、その根底にある「神学的人間論」を論じること、所詮、それは筆者にとっては手の届かぬ試みです。H. W. ヴォルフによる『旧約聖書の人間論』(1983年に邦訳)辺りから聖書の人間論に関心が持たれるようになりました。W. パネンベルク『人間学――神学的考察』(2008年に邦訳)はおそらく最も包括的な論でしょう。福音派では、河野勇一『わかるとかわる!《神のかたち》の福音』(2017年)も優れた書物として挙げるべきであると考えています。
それらの書を前に筆者の切り込む余地はないと判断し、記すことにしたのは、今日、神学的人間論において話題となっているトピック、(1)物語神学とキリスト者の生、(2)ピストゥス・クリストゥス論争とキリストの像。そして今回3回目は、「神の像」をゆがめて用いながら「差別を正当化してきた歴史」についてです。
あなたも神の像に造られたのだから……主イエスがエルサレムに向かう途中エリコに入られたとき、ザアカイに声をかけられました。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから」(ルカ19:5)。ユダヤ人社会にあって最も嫌われた職業、それはローマ帝国に代わって帝国に納める税金を徴収する仕事を請け負うために、ローマに身売りした取税人でした。しかし、主イエスは「この人もアブラハムの子なのですから」(9節)と、このザアカイもまた神の民としての資質を内に持っていることを明らかにしました。
この表現によって、イエスは、どのような状態の人に対しても「あなたも神の像に造られたのだから」と、その人の尊厳と価値を認めておられたことがわかります。良きサマリヤ人の譬えでは、傷つき倒れているユダヤ人の「隣人」となったのは、ユダヤ人が嫌うサマリヤ人でした(ルカ10:30-37)。まったく交流のないほど敵対した人種でありながら、隣人となることができるのは、互いのうちに「神の肖像」が刻まれているからです(マルコ12:16-17)。神の肖像は、汚れた霊につかれた娘を助けてほしいと願うツロの女のうちにも、レギオンという大勢の悪霊に取り憑かれ狂気に荒れるゲラサ人の男のうちにも、長血を患って社会から隔絶された女のうちにも、目の見えない物乞いバルテマイのうちにも、等しく刻まれていました。
男女の差別、ユダヤ人・異邦人の区別、主人と奴隷の差別が明確な社会にあって、パウロはこう記しています。「ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです」(ガラテヤ3:28)。そうして、ともすると上下関係が明確になるような男女、父子、主人と奴隷に対して、「キリストを恐れて、互いに従い合いなさい」(エペソ5:21)と記しました。また、パウロと同じ獄中に入れられ、そこでキリストを信じたオネシモを、その主人ピレモンに戻すとき、次のように記しています。「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟として」(ピレモン16)彼を迎えてほしいと。
初代教父の中でも、使徒たちに最も近い時代のローマのクレメンスは、「人はみな、神の像に造られている」との教えを用いて、次のように説いています。
あなたがたは、神の像に造られている人に対して善をなし、その尊厳を守り、尊敬を払うべきです。……飢えている者に食事を与え、渇いている者に飲ませ、裸の者に着せ、旅人をもてなし、獄中にいる者に必要なものを与え……。(The Recognitions of Clement, Book5, Chapter 23)
もちろん、主イエスの愛の教えですが、初代教父を代表して、隣人愛の根底となる「神の像」としての人間を想定しています。
ゆがめてきた歴史近代デモクラシー、平等論、人権論、人間の尊厳と、「人は誰もが神のかたちに創造されている」ことを基本として西欧思想は展開されてきました。しかしながら、実際は歴史の随所に、「神の像」論は著しくゆがめられて利用され、その影響は今日に至るまで根強く残っています。
身体的・精神的・知的・政治力に優れた人びとを「神にかたどられた人間」とみなし、逆にそれらの能力に欠ける、あるいは劣る人びとを「神の像に満たない人間」とする傾向は、上述の聖書的に健全な「神の像」理解と並んで、神学の歴史の中に顕在しています。それは差別の歴史であり、支配する側と支配される側、上に立つ側と弾圧される側を常に作り出してきました。
神の像がゆがめて用いられるとき、それは社会にあって男性が強いと見なされた「理性」「統治能力」として理解されていました。すると、知的な障害を持っている人物はどのようにみなされるのでしょう。13世紀のトーマス・アクィナスは知的な障害を受けている人物の中に、神の像は事実上、存在していないと考えました。そのようにして尊厳を否定された人びとは、社会の活動から排除されていきました(詳しくは、Anthony. S. Hoekema, Created in God’s Image, Eerdmans, 1994, 37)。1981年、WCCが英国シェフィールドでもたれたときに、障がい者のシンポジウムがもたれ、様々な国からの障がい者が差別の体験を共有しました。そのときに、単に社会において差別的な扱いを受けているだけでなく、「神の像」が失われる、欠落している、薄れているという判断を下す傾向・伝統が教会にあるということが明らかにされました。
人によって「神の像」の濃い・薄いという差があるという考えは、ナチスドイツのホロコーストで悲劇的に現れます。1925~26年に出された『我が闘争』の中で、ヒットラーは、社会のより優秀な人びとを「主にかたどられた者たち」と評価し、ユダヤ人やジプシー、そして障がいを持っている人びとを「主の像がゆがめられた人びと」として、社会から浄化されるべきと主張しています。
自由と平等を求めて建国されたアメリカはどうだったのでしょう。イギリスからアメリカに渡り、そこで彼らが出会った先住民族(インディアン)をどのように考えたのでしょう。最初に創設されたニューイングランドの大学、ハーバードの教授O. W. ホルムスは、先住民族は神の像を十分には現していない、神の像として創造された白人に対して、赤黒い肌の彼らは地上から消し去られてもよし、と(T. F. Gossett, Race: The History of an Idea of America, NY: Oxford Univ. Press, 1997, 243)。こうして先住民族の膨大な殺害は正当化されました。背景には英国の啓蒙主義哲学者ジョン・ロックの思想があったと言われています。ロックは、人間とは何か?という問いに対して、神のような創造性・生産性をもって人間を定義しました。ですから、自然(大地)に溶け込んでいる先住民族の姿は、動物に等しきものでした。
さらに強烈なのは、アフリカから狩ってきた黒人奴隷に対する考え方です。ここでも「神の像」が利用されます。1900年に発行された『黒人は獣なのか、神の像なのか The Negro a Beast, or, In the Image of God?』(Charles Carroll著)は、奴隷解放宣言・南北戦争終結にもかかわらず、根強く黒人蔑視をアメリカに植え付けました。「もし白人が神の像に創造されたとしたら、黒人は他のモデルに象られて創造された」と論じます。この本は、驚くことに1967年にも再版されています。キング牧師による公民権運動が広がりを見せた後の出版でした。キング牧師が「神の像は人類すべてに適用されるべきであり、平等を求める黒人の闘争を正当化するものである。……神の像は、黒人が生き残るための戦いに神学的根拠を備えている」と論じた言葉は、米国で神学的人間論を説く者なら、誰もが用いる言葉です(John F. Kilner, Dignity and Destiny: Humanity in the Image of God, 2015, 13) 。しかし、残念なことに、今年(2020年)のコロナ渦にあって起きた白人警察官によるアフリカ系アメリカ人の殺人、1991年の同様の事件と、いずれも大規模な抗議運動へと発展するものの、差別の現状は厳然と存在しています。1200万人以上のアフリカ人を狩って、奴隷として買い取り、家畜のような小屋に住まわせ、労働に就かせてきたキリスト教国アメリカは、「黒人は獣に象られた存在であって、白人のみが神の像に創造された」という論を平然と受け入れてきました。
女性が差別されるとき上述のキルナー(Kilner)の書物に多くの文献紹介がなされていますが、人種差別を神学的に正当化するとき、「神の像」がゆがめられて用いられてきました。ゆがめられた聖書解釈の典型は、女性差別に現れます。
1981年のWCCの専門委員会は、「『神の像』の教義は、伝統的に女性に対する弾圧と差別の温床となってきた」と結論しています。そうした神学者たちは、女性がアダムのあばら骨から創造されたこと(創世記2:22)、女性がサタンの誘惑に最初に落ちたこと(創世記3:6)、あるいは「男は神のかたちであり、神の栄光の現れ……女は男の栄光の現れ」(Ⅰコリント11:7)という聖書の言葉を当時の父権社会を前提に解釈します。
テルトゥリアヌス、アンブロシウス、そして後の神学に強い影響力を持つことになるアウグスチヌスなども、その傾向にあります。アウグスチヌスは、男も女も神の像に創造されたことを主張しました。しかし、彼は人間に神との関係における霊的生と世俗的生の二つの次元を考え、前者においては男女ともに神の似姿にあり、後者においては男性のみが神の似姿にあると理解しました(Jann Aldredge-Clanton, In Whose Image? God and Gender, 1990, 41/アウグスチヌス『三位一体論』bk.XII, 19章)。女性はより完全な神の像に保たれている男性と結び合わされることによって、神の像にあずかる。いわば、知的により低い者が高いものと結び合わされることによって、神の像にあずかることができるというのです(同、7章)。12世紀のアベラルドゥス、13世紀のアクイナスも女性が神の像であるとは考えませんでした。
16世紀に入り、カルヴァンもアウグスチヌスと同じです。神の像には二つの次元があって、一つは霊的な永遠のいのちとかかわる次元、もう一つが統治力・秩序を維持していく能力、です。カルヴァンは前者において男女を等しく神の像にあずかる者と考えましたが、後者は男性のみに限定しました(カルヴァン、『聖書注解』創世記2:18)。当時にあっては、女性が教育や政治に入る機会はなく、そのように見なされても仕方がなかったという見方と、こうしてゆがめられた神学理解が、女性から歴史的にそのような機会を奪ってきたとする見方と、両方ともに妥当性はあるかと思います。
この膨大な教理史の傾向について、すでに1975年にイエール大学のマーガレット・ファーレイが教理史研究の結果として「キリスト教神学は……imago Deiを十分に女性に帰することを拒否する傾向にあったことを、すでに多くの教会史研究によって証明されている」(Margaret Farley, “Sources of Sextual Inequality in the History of Christian Thought”, Journal of Reigion 56, no.2:162-76)と記しています。2001年にはスタンレー・グレンツが同様に、「神の像」を女性に適用しない傾向は「教会史に一貫していた」(Stanley Grenz, The Social God and the Relational Self: A Trinitarian Theology of the Imago Dei, p.290)と指摘しています。
さて、女性と神の像に関する聖書の箇所をどのように解釈すべきかは、次回の論考に回します。ここで最後に述べておきたいのは、こうした傾向をひっくり返したのは、神学や聖書解釈が進歩した故ではなく、起点は、公民権運動のあとの「ウーマンリブ運動」であったということです。筆者は、このことを肯定的な意味で評価し、以下にまとめます。
強烈な反発が、正統神学を守るコロナ渦のステイホームで、2018年の『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』という実話に基づいた映画を見ました。1973年にアメリカで開催されたあるテニスの試合を描いています。当時29歳の女子テニス世界チャンピオン、ビリー・ジーン・キング(現役時代、日本では「キング夫人」と呼ばれた)と、当時55歳の元男子チャンピオンであるボビー・リッグスの試合です。
映画は、あるパーティの会場で主人公ビリー・ジーン・キングが激怒する場面から始まります。全米テニス協会が発表した女子選手優勝賞金の額が、男子の1/8だったのです。しかし、いくら交渉しても、「テニスは男性のスポーツ、スピード感や迫力があり、客が多く入る」と埒があかず、女子テニス界の女王、ビリー・ジーン・キングはウーマンリブ運動にも押されて、このマッチに勝利します。試合の最後で、性的マイノリティーの男性の友人が「私たちはこれまでも戦ってきた。そして戦いはこれからも」と偏見に満ちた課題も示唆し、そのような社会にあって時に打ちのめされ、時に勇気を得て戦いを挑んでいく人びとを描こうとしています。
さて、なぜ筆者はこの映画を持ち出したのでしょう。それは大いに驚いたからです。1973年の段階で、いまだにアメリカは男性優位社会であったのか! だとしたら、日本は? アメリカは世界で最も早く女子高等教育機関を創設します。19世紀の半ばに生まれる「female seminary 」は、数学や科学をも教えるリベラル・アーツ・カレッジでした。当時、英国の女子教育が、しつけや家事や裁縫にとどまっていましたから、レベルが違います。やがて南北戦争で男性が戦場に駆り出されたとき、教会が野戦病院や物資の補給場所になります。それらを運営しネットワークを作ったのは女性でした。ですから、南北戦争が終わると、女性の能力は、海外宣教に、女子教育に、病院にいかんなく発揮され、日本はその恩恵を受けてきました。にもかかわらず、1973年の段階で、未だに男性優位主義がまかり通っていたことがわかります。
それを打ち破る推進力となったのは、1960年代後半から始まった女性解放運動(Women’s Liberation)でした。時代的には、1970年代には未だに植民地構造に苦しむ第三世界の「解放の神学」(ペルーのグティエレス等)、さらに黒人解放の神学(アメリカのジェームズ・コーン等)、そしてフェミニズム神学へとつながります。今回論じました、「女性における『神の像』のゆがみ」を平然と内包してきた神学の歴史を暴露したのは、フェミニズム神学です。
さて、耳にしないわけではありません。女性解放運動はキリスト教的発想ではなく、世的な運動だと。解放の神学は、教会の本分ではなく社会の課題だと。あるいは黒人解放運動もフェミニズム神学も「特殊」「個別」「限定的」すぎると。しかし、歴史を振り返ると、剣のように先鋭な問題意識を持った運動を神は備えてくださり、それによって社会のゆがみが正されてきたのではないか。さらに言えば、神によって「勇士の剣」(ゼカリヤ9:13)となった人びとによって、神学の正統性は保たれてきた、のではないだろうか、と。すべてがすべてそうではないでしょう。しかし確かに上記の解放の神学は、振り返ってみると、神学に正統性を取り戻す助けをしたのではないだろうか、と。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
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