「あなたを解放する神」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

「十戒」に関する二回目の説教である。

旧約聖書の中には、「十戒」の本文が二回出てくる。出エジプト記20章と、申命記5章であるが、双方の間にはやや違いがある。例えば、今日読んだ申命記には、出エジプト記にない長い導入部がある。「イスラエルよ聞け。今日、わたしは掟と法を語り聞かせる。あなたたちはこれを学び、忠実に守りなさい…」(1-5)。

今日は、主としてこの申命記のテキストに基づいて考えたい。

ここでのキーワードは、明らかに「契約」である。いったい「契約」とは何か?

『広辞苑』には、1)約束、2)対立する複数の意思表示の合致によって成立する法律行為(売買・譲渡・雇用など)と説明されているが、その後に、3)キリスト教で、神が救いの業を成し遂げるために、人間に対して示す特別な意思、とある。「契約」には特別にキリスト教的な意味があるわけで、申命記5章に 「我々の神、主は、ホレブで我々と契約を結ばれた」(2)と言われているのがそれに当たる。

話は少し脱線するが、先週の木曜日の夜、NHKで「にんげんドキュメント」という番組を見た。77歳の元ハンセン病患者・桜井哲夫さんの話だ。彼は青森県鶴田町の生まれで13歳の時発病、群馬県にある国の施設に強制隔離された。名前を変え(本名は長峰利造)、故郷との関わりも一切絶って、あたかも「存在しない」かのようにひっそりと生きてきた。病気によって顔は全面ケロイド状になり、視力も失われた。

ところが、在日朝鮮人三世の金正美(キム・チョンミ)さん(26歳)が7年前、恵泉女学園大学の学生だった頃のヴォランテイア活動がきっかけとなって、詩人でもある桜井さんを頻繁に訪れるようになり、それ以来、祖父と孫のような親しい交わりを結ぶようになった。金さんのごく自然な態度が美しい。感動的な映像だった。

そして昨年の秋、桜井さんは金さんを伴って、とうとう思い切って故郷・津軽を訪問するのである。実は鶴田町は私の母の生まれ故郷で、山や川や林檎畑の映像を懐かしく見たが、その中に鶴田町の町長が出てくる。彼は桜井さんの遊び友達だった。60年ぶりの再会を喜んで手を握り、「俺達はケヤグだ」と言う。津軽弁の分からない金さんに、町長は「親しい友達のことをケヤグというのだ」と説明する。

私は以前、土地の古老から、この言葉は「契約」から来たのかもしれない、と聞いたことがある。本当の友達とは、固い約束で結ばれている人たちのことである。どんなことがあっても、見捨てない。裏切らない。それが「ケヤグ」だ。この思想は確かに、聖書の「契約」に近い。神はイスラエル民族と契約を結び、どんなことがあっても見捨てず、裏切らないと約束されたのである。

さて、次に「主はこの契約を我々の先祖と結ばれたのではなく」(3)という言い方に注目したい。これは「先祖と契約を結ばれた」という過去の事実を否定するものではない。主なる神はノアと契約を結ばれた(創世記 9,8-11)。アブラハムとも契約を結ばれた(創世記15,18;17,1-8)。これらの契約は、目に見える徴、肉体に刻みつけられる徴を伴っていた。ノアの場合は雨の後で現われる美しい「虹」であり、アブラハムの場合はイスラエルの男子に命じられた「割礼」であった。このようにして契約は、いつまでもイスラエル民族の記憶に刻みつけられるものとなった。だから、申命記の著者がこの「民族の記憶」を否定することはあり得ない。

「主はこの契約を我々の先祖と結ばれたのではない」という言葉の意味は、むしろ、先祖との契約を単なる「過去の物語」として「忘れる」ようなことがあってはならない、ということであろう。「主は、ホレブで我々と契約を結ばれた。…今ここに生きている我々すべてと結ばれた」と強調されているのも、そのためである。

過去は現在につながる。「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる(この訳語は視覚障害者に対して失礼である。変えた方がよい)」(ヴァイツゼッカー)。 過去の重要な記憶は、絶えず現在化されなければならない。

一つの例によって説明しよう。車を運転しているとき、突然飛び出してくる自転車などに腹を立てることがある。しかし、次々に新しい事態に対応して行くためには、そんな小さなことに一々こだわってはいられない。その意味では、どんどん忘れた方がいいし、事実忘れてしまう。だが、かつて起こした「事故」のことは、とても忘れられるものではないし、現在と将来に対する教訓として心に刻まれる。

「戦争責任」は忘れてはならない重大な経験の一つであるが、我が国にはそれを忘れようとし、この姿勢を「未来志向」と呼ぶ政治家・歴史家がいるが、本末転倒だ。だが、 イスラエル民族は、過去に味わった重大な経験を決して忘れなかった。自分たちの先祖は弱さを持っていたし、過ちも犯した。本当なら神の裁きを受けねばならなかった。だが、それにもかかわらず、神はそこから立ち直るように慈しみを示された。

「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」(6)。この解放の恵み。これが「契約」の本質であり、それが「十戒」、及びあらゆる掟と法に先立つ前提なのだ。申命記は、これを現在化するようにと訴えているのである。


 
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