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罪まで赦す人

⇒(MP3, 32kbps)「罪まで赦す人」秋葉正二詩編25,8-11; イエスさまは、度々ファリサイ派の人の家に食事に招かれています。 このテキストの物語はそうした舞台設定です。 イエスさまはまず食事の席に着かれます。 席に着いたと言っても、当時のユダヤではギリシャやローマの慣習が取り入れられていて、テーブルを前にして椅子に座るのではなく、横向きに寝るようにするのが正式な食事であったようです。 そこへ一人の罪深い女が入って来ます。 彼女はイエスさまがファリサイ派の人の家に招かれて食事の席に着いておられるのを知ると、香油の入った石膏の壺を持ってきたのでした。 勝手に他人が家に入って来たというのはおかしいな、と私たちは感じますが、当時の社会的慣習では、客のいる家には誰でも勝手に入ってくることが

神が求められること

⇒(MP3, 32kbps)「神が求められること」秋葉正二;エフェソ2,19-22 きょうのテキストは、申命記の言わば中心テーマを最もよく要約している部分と言われています。 最初の12,13節は申命記特有の基本原則の宣言で、一定の様式に従った記述です。 神ヤハウェに対してあるべきイスラエルの民の基本姿勢が述べられており、それはまた、ヤハウェに対するイスラエルの関係を全体的に規定しようとする新しい試みとも言えます。 イスラエルの宗教には、この申命記以前の時代に、こうした信仰の概念規定はほとんどありませんでした。 「ヨシヤ王の宗教改革」という言葉をお聞きになったことがあると思います。 紀元前621年に、南王国ユダの王ヨシヤの時代に、エルサレム神殿で原申命記と呼ばれる申命記の中核部分が発見され、ヨ

聖なる民、宝の民

⇒(MP3, 32kbps)「聖なる民、宝の民」秋葉正二;マタイ4,12-16 申命記の7章にまず述べられているのは、小見出しにあるように「七つの民を滅ぼせ」という穏やかでない神さまの命令です。 これは「聖戦」というイデオロギーの最も悪い面を表している、と見られています。 このことに関してはきょうのテキストを学んでいく中で触れます。 きょうのテキストの小見出しは「神の宝の民」となっていまして、これはいわゆる「選民」理解に関わります。 これが「聖戦」とどう関わるのか、気になるところです。 選民意識と云えば多くの人は、賛成しかねるでしょう。 特定の選ばれた民族だけにスポットライトをあてれば、誰だってその民族に属していない限り自分は排除されていると感じます。「我々は選民だ」と偉そうに言えば、そこに

海を二つに分けなさい

⇒(MP3, 32kbps)「海を二つに分けなさい」秋葉正二;テモテへの手紙 二 1,9-10 出エジプト記の中でもっとも劇的なシーンがきょうのテキストにあります。 エジプトを脱出したイスラエルの民を救うために起こされた奇跡物語です。 この奇跡によってイスラエルはエジプト軍に決定的な勝利をおさめました。 奇跡の表現に重複があったり、脱出のルートなどについての訂正が加えられたりしていますが、これは元となっている文書資料が数系統にわたり、複雑に交錯しているために一貫性に欠けているということです。 シナイ山の場所についても確かではなく、後の荒野の進路についても明らかとはなっていないので、イスラエルが渡った海の場所はどこだと定めようとしても何にもならないでしょう。 私たちは、あまりそうしたことに捕ら

すべての人に恐れが生じた

⇒(MP3, 32kbps)「すべての人に恐れが生じた」秋葉正二申命記26,16-19; 2章は14節からペトロの説教が記されていますが、ペトロは説教の終わりに 『邪悪なこの時代から救われなさい』 と勧めて第一回の説教を終えています。 彼は「邪悪な時代から救われよ」、と言ったのであって、「邪悪な時代を救え」 とは言っていないことに注意を払っておきたいと思います。 皇帝までもが神とされ、崇拝を強要された暗黒の時代から「救われなさい」とペトロは言ったのです。 多くのキリスト者の陥る錯覚ですが、この暗黒の世を自分たちの手で救わなければならない、と私たちは考えがちですが、よく考えるとこれは本末転倒です。 まず私たち一人ひとりがその存在の根底から救われなければならないことを思います。 自分が神さまの愛

復讐してはならない

⇒(MP3, 32kbps)「復讐してはならない」秋葉正二アモス2,4-8; 「平和聖日」を迎え、今年も平和について聖書から学ぶ機会を与えられました。 今、現代の平和についての課題を考えると、世界中が民族主義との関連の中で問題を抱えているように思います。 旧約聖書では平和はヘブライ語のシャロームですが、これが意味するところは単に戦争がないというだけではありません。 共同体の中に神さまの祝福が溢れ、民衆の間にも信頼と調和があり、全体として生き生きと活動している状態を指しています。 古代の平和構築の方法はとにかく「力」でした。 イスラエルにしても、ダビデ王国に象徴されるように、神さまを「万軍の主」として引っ張り出して、力による「平和」秩序の維持を目指したことは確かです。 しかし、そうした世界にア

パウロ暗殺の陰謀

⇒(MP3, 32kbps)「パウロ暗殺の陰謀」秋葉正二列王紀上2,12-25; 使徒パウロ暗殺未遂事件に関する記事から学びます。 キリスト教の中心は聖書ですが、中でも新約聖書の福音書はその中核であるという感覚が私たちにはあります。 その理由は福音書がイエス・キリストについて証言する書物だからです。 でもよく考えるとキリスト教成立の一番の立役者は福音書ではないように思えます。 なぜなら、福音書の成立よりもっと以前にパウロの書簡が書かれていて、その影響を福音書も受けていたと考えられるからです。 パウロ自身は福音書を読んでいません。 パウロ自身は生前のイエスさまに会っていないのですから、当時バラバラに存在した伝承の一部を参考にしながら、あちこちに誕生し始めていた信徒の群れをまとめようと、自分の回

救いの恵みへの熱き思い

⇒(MP3, 32kbps)「救いの恵みへの熱き思い」秋葉正二エゼキエル書18,1-4; エフェソ書から学びます。1章1節に差出人の名前と宛先が書いてありますので、使徒パウロからエフェソ教会に出された手紙だと普通は思いますが、近代聖書学は内容を神学的に分析したり、本文ギリシャ語を比較したりして、パウロではなく、彼の思想に近い人が1世紀の終わり頃、アジア州の諸教会へ出した回状だとする異論を出しました。そこにはそれなりの理由がきちんと示されていますが、ここではそうしたことに触れず、伝統的な理解に従って、パウロの手紙として読んでいくことにします。2章の冒頭には「死から命へ」と小見出しがつけられていますので、そのことも頭の隅に置いておきましょう。4節から10節までの区切りは、ローズンゲンに従ったもの

回心

⇒(MP3, 32kbps)「回心」秋葉正二エレミヤ書3,14-18; キリスト教の歴史上、最も重要な位置を占め、多大なる働きをしたパウロは、使徒言行録においてはまず教会の恐るべき迫害者として登場します。当時の呼び名はサウロでした。彼は7章のステファノの殉教のシーンではその処刑に立ち会っていたことが記されています。また8章では家から家へ押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた、とありますし、さらに9章の冒頭では、エルサレムにおいて積極的に迫害に加担し、ダマスコに逃れたキリスト者を追ってパレスチナの境界線を越えようと大祭司に添書を求めたことも書かれています。 どの記述も上からの命令ではなく、パウロ自身の確信と信念に基づいた自発的行為として行われたことが描かれています。もちろ

気力が失せたとき

⇒(MP3, 32kbps)「気力が失せたとき」秋葉正二;ヘブライ人への手紙 4,14-16 モーセに率いられたイスラエルの民の脱出行が苦難の旅であったことはよく知られています。荒野の放浪ですから食料や水の確保は大変です。実際荒野の40年間には民の不満がいろいろな形で噴出しました。リーダーのモーセやアロンの苦労は記されている出来事だけに留まらず、並大抵ではなかったはずです。出エジプト記から申命記にかけて、その旅の顛末が記されていますが、そこにはとても信仰とは呼べないような古い迷信や慣習が民を支配していたことも分かります。現代から見ればばかばかしいと思える一種の偶像礼拝ですが、文明の発達というのはそうした慣習にもとづいて行動様式が歴史的に発展していくことでもあるわけですから、古いばかばかしいだ

偽りの平和、真の平和

⇒(MP3, 32kbps)「偽りの平和、真の平和」秋葉正二ミカ7,1-7;  きょうはカンファレンスなので、テーマ「信仰・希望・愛」に合わせて、たとえばコリント前書などをテキストに選べばよかったのですが、4週程前にローズンゲンからすでにルカをテキストに選んであったので、変更せずにそれを用いさせていただくことにしました。ということで、きょうのテキストですが、いささかショッキングな内容です。キリスト教思想には対立などあり得ず、常に穏やかな平和の空気が満ち満ちている、と信じている人には驚くようなことをイエスさまは口にされています。そのイエスさまの驚くような厳しい物言いの意味を探ってまいりましょう。 ところで、「平和」ということを考えるとき、今世界は、とりわけアメリカは、東北アジアに起こった北朝鮮

悪魔との戦い

⇒(MP3, 32kbps)「悪魔との戦い」秋葉正二ゼカリヤ3,6-8; 監督・長老・執事といった教会の位階的な職制が確立されるのは2世紀前半と見られていますが、一世紀後半の教会には、エフェソ教会のように、指導的な役割を果たしていた長老と呼ばれるリーダーがいたことが分かっています。原始エルサレム教団以来、教会ごとに使徒たちに任命された指導者です。そうした権威を与えられた人たちの中には、苦境にあえいでいる外国人寄留者が多く集まっていた地域の教会に対し、使徒の名を記した手紙を送って、教会の秩序形成へのアドバイスや信仰指導を行った人たちがおりました。このペトロ前書の著者もそうした指導者の一人であったろうと考えられます。 テキストの5章前半には「長老たちへの勧め」と小見出しがつけられています。実際に

すべての人々と共に食卓に

⇒(MP3, 32kbps)「すべての人々と共に食卓に」秋葉正二詩編25,6-11;  イエスさまと食事を共にした人たちの多くは、徴税人や罪人でした。徴税人は文字通り税金を徴収する人たちです。テキストの舞台はカファルナウムですから、通行税を徴収する収税所がありました。彼らはそこで通行と携行荷物について税を徴収したのですが、官吏ではありません。領主から雇われた徴税請負人です。徴税額が課せられた額より多く集まれば過剰分は自分のものです。反対に不足すれば自分で補わなければなりませんでした。まあ多くの徴税人は損をしないように集めたことでしょう。多く取り立てて自分の懐を肥やすことができたからです。ですからザアカイの話に出てくるように、大抵の徴税人は金持ちだったと言われています。 きょうのテキストの場所

互いを受容する信仰

⇒(MP3, 32kbps)「互いを受容する信仰」廣石 望イザヤ32,15-20;I 1997年、代々木上原教会は、上原教会とみくに伝道所が合同することで設立されました。今日は、その20周年を記念する礼拝式です。 20年前の合同にさいしては、まぶね教会の前牧師で、つい先日天に召された善野碩之助先生による、また前東京女子大学教授で東京大学名誉教授である大貫隆先生による懇切な仲介があったと聞いています。また、上原教会の信徒たちは故・赤岩栄牧師によって、他方でみくに伝道所の信徒たちは故・鈴木正久牧師によって指導された人々の一部です。赤岩牧師と鈴木牧師は、戦後の日本基督教団の歴史にあって特別に重要な働きをした二人の指導者でした。 その二つの信徒の群れが一つの教会を形成し、20年間歩んできたことは、み

偶像から生ける神へ

⇒(MP3, 32kbps)「偶像から生ける神へ」秋葉正二列王記下17,13-18; パウロとバルナバの第1次宣教旅行の中の出来事から学びます。 最初に聖書巻末の地図7をご覧ください。 出発地はシリアのアンティオキアです。 セレウキアからキプロス島を経由する船旅でした。 到着地は小アジアのピシディア州ペルゲ、そこから北上してピシディア州のアンティオキアを経由してイコ二オン、リストラ、デルベに至り、そこから引き返して再びリストラ、イコ二オンと戻っています。 これらの町々でパウロたちは教会を生み出していくのですが、その歩みは決して順風満帆なものではありませんでした。 行く先々で彼らを待ち受けていたのは迫害でした。 それも下手をすれば命を落としかねない危険なものです。 きょうのテキストの舞台はその

巻物を食べる

⇒(MP3, 32kbps)「巻物を食べる」秋葉正二;コリント一 1,1-3  エゼキエル書から学びます。 エゼキエルはエルサレム神殿の祭司の子で、自身も祭司であったと見られています。 祭司の中でも上流階級に属し、高度な学問を身につけていました。 彼の活動は紀元前6世紀初頭ですが、その頃南王国ユダはアッシリアとエジプトという大国に挟まれて、双方についたり離れたりしながら歩まなければなりませんでした。 7世紀から6世紀に移る頃、バビロニアにはアッシリアに代わり、ネブカドレツァル王が新バビロニア帝国を築きます。 南王国ユダの王はこれに逆らい朝貢を中止しました。 するとすぐさまネブカドレツァル王はエルサレムに軍を送ってこれを包囲しました。 包囲されている最中に南王国では王が死ぬなどの出来事が起こり

宗教改革500年~分裂から一致へ

⇒(MP3, 32kbps)「宗教改革500年~分裂から一致へ」秋葉正二詩編130,1-8; テキストはいきなり勧告から始まっています。 勧告とは、ある行動を取った方がいいよ、と説いてすすめることですから、パウロの意識はコリント教会の人たちへの牧会が中心にあります。 ご存知のように、コリント教会はパウロの活動によって誕生し、その後同労者であるアポロなどが指導にあたりました。 コリントはユダヤに比べればギリシャ文明の本場ですから、哲学に通じた者や高い教養を身に付けた人も多かったはずです。 それだけに信仰理解は理屈っぽくなりやすかったと思います。 パウロが伝えた福音がいろいろに解釈されて、コリント教会内が混乱していました。 しかし書簡を送った目的は、福音理解の対立とか、正統異端に関わる抗争をやめ

聖なる者となりなさい

⇒(MP3, 32kbps)「聖なる者となりなさい」秋葉正二;マタイ福音書22,34-40 レビ記から学びます。 この書物は元々独立した一つの書物ではありません。 旧約聖書の冒頭の五書は、律法(トーラー)としてまとまっていますが、レビ記はその中の一つです。 これら五書が編集されまとめられた背景には、4ないし5の元になった資料があったと見られています。 その資料の一つが聖書学ではP(priest)と呼ばれている祭司資料です。 レビ記はこのPに多くを負っています。 Pはバビロン捕囚中から祭司グループによって書かれ、捕囚後にまとめられましたが、これらを元にがレビ記が編集されると、表現が機械的形式的になり、文学的な潤いが少ないものになってしまいました。 ですから今でもキリスト者には敬遠されがちです。

唯一真実なる神

⇒(MP3, 32kbps)「唯一真実なる神」秋葉正二;エフェソ2,1-10 信仰とは、一般的には神や仏などを信じることです。 しかし信仰者が自分の信じる神や仏をどのような存在として捉えているかと問えば、一人ひとり理解度は異なります。 キリスト教の神はと言えば、聖書が証しする神です。 旧約聖書の時代、イスラエル民族にとっては、ヤーウェと呼んだ唯一の神様が信仰対象でした。 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神は唯一神と呼ばれますが、この唯一神を理解するためには旧約聖書をしっかり読まなくてはなりません。 日本は多神教の国ですから、日本人には唯一神がとても分かりにくいと思います。 唯一であることがそんなに重要なのか、と思われる方も多くいるでしょう。 重要なのです。 少なくとも聖書の神様を理解しよう

十字架へ向かう主イエス

⇒(MP3, 32kbps)「十字架へ向かう主イエス」鈴木文治マルコ3,1-61 罪人を招く主イエス 本日の聖書に入る前に、前後の状況について触れる。2章13~17節では徴税人レビの家で食事を刷る記事がある。ローマ帝国のために税を取り立てていたレビは、「私に従いなさい」とイエス様に声をかけられ、一緒に食事をする。そこには多くの徴税人や罪人が同席していた。イエス様が食事を共にする、それはレビやその仲間たちにご自身を与えられたということである。イエス様と一緒に食事をすることは、イエス様の血と肉に預かることを意味する。つまりご自身を与えるとは、与えられた者が救われたということである。 しかし、それを見たファリサイ派や律法学者は、なぜこんな人たちと食事をするのかと問いただす。彼らは恥ずべき人々で、神

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