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収穫物奉献と信仰の告白

⇒(MP3, 32kbps)「収穫物奉献と信仰の告白」秋葉正二;マタイ福音書 9,35-38 申命記におけるイスラエルの民にとってカナンの地は、良い地であり豊かな地であり、乳と蜜の流れる地でした。 そこは水が豊かで農作物にも天然資源にも恵まれている、と8章7節以下に記されています。 平野には川が流れ、地下水にも恵まれていたということは、人工的な灌漑も必要なかったということです。 しかもカナンの先住民から、高度な農耕文明と都市文明を学ぶことができました。 年3回ある祭りも農耕祭です。 ですから、イスラエルの民がカナンの地に入るということは、農耕地への移住を意味しています。 6章10節以下には、大きな美しい町々と豊かな家や貯水槽、ブドウ畑もオリーブ畑も労せずして手に入れたことが書かれています。 

メシア時代の夜明け

⇒(MP3, 32kbps)「メシア時代の夜明け」秋葉正二イザヤ7,13-15; 今年もこれまで守られて皆さまと一緒にアドヴェントを迎えることができた幸いを感謝しています。アドヴェントは過去における主イエス・キリストの降臨を思い起こし、クリスマスのお祝いに備えますが、同時に終末的に未来における主の降臨を待ちながら、心の準備をする期間でもあります。 カトリックや聖公会の教会では祈祷書がありますから、その中の第1アドヴェント用の特祷が読まれます。私たちプロテスタンは、ダイレクトに聖書のメシア誕生関連の記事に帰ります。新約聖書中で、最もセム的ヘブライ的筆致をとどめている箇所は、きょうのテキストだと言われています。この点において、福音書記者ルカがこの福音書を編集執筆する際に、アラム語かヘブル語の資料

逆転

⇒(MP3, 32kbps)「逆転」秋葉正二;ルカ1,47-55 古代イスラエルの歴史に「士師時代」と呼ばれる時期があります。大体紀元前1250年頃から1020年頃です。エジプトを脱出したイスラエル民族が、いろいろな困難を乗り越えてカナン地方に定着し、やがてサムエルによってサウルが統一イスラエルの初代の王に任職されるまでの期間です。 エジプトやアッシリアという大国が一時弱体化して、シリアやパレスチナへの支配力を失った時期がありましたが、それでもカナンにはペリシテ人が勢力を保っていましたし、ミデアン・モアブ・アンモン・シリアなどの来襲があり、イスラエルは部族ごとの応戦では対抗し切れなくなり、より強力な指導者を求める声が高まって、王国制度を打ち立てます。王政導入は古代イスラエルが体験した最も激し

来るべき方はあなたでしょうか

⇒(MP3, 32kbps)「来るべき方はあなたでしょうか」秋葉正二イザヤ35,5-10; イエス・キリストの降誕を待ち望むアドヴェントに、キリストの先駆けと位置付けられている洗礼者ヨハネ(以後「ヨハネ」と表記)について学ぶことには大きな意味があります。 ヨハネは領主ヘロデの罪をはっきりと告発したために、牢の中に捕らわれていました。 いつ死罪が言い渡されるかもしれないという極限状況です。 その中で邪悪な支配者を退け、神の支配をもたらしてくれるメシアを待望していたと思われます。 不安の中で彼は自分の弟子たちをイエスのもとへ送ります。 ヨハネの質問は、『来るべき方は、あなたでしょうか。それともほかの方を待たなければなりませんか』 というものでした。 それに対してイエスさまは答えられるのですが、こ

飼い葉桶から始まった生涯

⇒(MP3, 32kbps)「飼い葉桶から始まった生涯」秋葉正二イザヤ53,1-5; 皆さま、クリスマスおめでとうございます。ルカ福音書のイエスさまの誕生物語から学びます。ルカ福音書は歴史的な記述表記が印象的ですが、きょうのテキストにもそれがはっきり出ています。2章はのっけから「皇帝アウグストゥスからの勅令」とか、「キリニウスがシリア州総督であったとき」という表現が出てきます。アウグストゥスが皇帝であった時期は正確に分かりますし、キリニウスが総督であった時に住民登録があったこともヨセフスの古代史に書かれていますので、確かに歴史的記述ですが、厳密に歴史的かどうかは今ひとつ断定できません。とにかくイエスさまの誕生は、皇帝アウグストゥスの勅令による人口調査の行われていた時ということですから、アウグ

賢明な経験に富む人たち

⇒(MP3, 32kbps)「賢明な経験に富む人たち」秋葉正二; 申命記は実に興味しろい書物です。 全体的な構成としてはモーセが遺言を語るという風になっていますが、そこには「シナイ契約」という旧約聖書ではとても重要な出来事が中核として存在しています。 モーセが出エジプト後、シナイ半島の荒地を放浪していた際、シナイ山で神さまから律法を与えられ、イスラエル民族が神さまとの約束を頂いた出来事が「シナイ契約」です。 創世記から申命記までの五つの書物には編纂の際に用いた伝承や資料があったのですが、申命記より古い資料ではシナイと呼ばれていた地がこの申命記ではホレブと書き改められます。 ですから「シナイ契約」は「ホレブ契約」に、「シナイ山」は「ホレブ山」となります。 表現と共に内容も変えてしまうというので

再臨への備え

⇒(MP3, 32kbps)「再臨への備え」秋葉正二アモス4,11-12; 人間はどうも時間感覚を身につけていないと上手に生活できないようです。 ですから昔からどの民族も暦などを編み出して、それを生活の道具にしてきました。 日本にも中国からいろんな暦が入ってきて、日常生活にも結構影響を及ぼしています。 たとえば十二支とか十干とかの干支があり、来年は戌年だとか言い合って、皆さまも年賀状のデザインに取り入れたりされたのではないでしょうか。 教会も教会暦という暦を作り出して、信仰生活がより充実するようにと日々の過ごし方にメリハリをつけるようになりました。 世界のキリスト教会はそれぞれ自分たちで工夫して独自の教会暦を生み出しています。 代々木上原教会はドイツのヘルンフート兄弟団のローズンゲンを活用し

励ましに満ちた決定

⇒(MP3, 32kbps)「励ましに満ちた決定」秋葉正二レビ記18,1-5; 使徒言行録15章には「エルサレムの使徒会議」と呼ばれる教会会議のことが記されています。 異邦人キリスト者が救われる条件として割礼を守る必要があるかどうかをめぐって、アンティオキア教会からの使者パウロやバルナバたちと、エルサレム原始教会のヤコブやペテロたち使徒・長老たちの間で開かれた会議です。 紀元48年春頃のことでした。 その決定は無割礼のまま信徒として受け入れる、つまり律法から自由な異邦人伝道を認めるというものでした。 エルサレム教会はこの決議を記した手紙をバルサバとシラスを選んで、アンティオキア教会の人たちに知らせるべくパウロやバルナバに同道させたのでした。 その託した手紙が23-29節に記されています。 「

神がお遣わしになった方

⇒(MP3, 32kbps)「神がお遣わしになった方」秋葉正二申命記6,10-25; きょうのテキストのテーマは「イエス様って一体何者なのか?」ということです。 テキスト全体がモノローグの形になっていますが、これは誰のモノローグなのかという議論があります。 すぐ前には洗礼者ヨハネの記事がありますし、彼は荒野で呼ばわる者の声ですから、洗礼者ヨハネのモノローグだろうと思えますが、21節から続くイエスご自身のものとも考えられます。 どちらにしろ福音書記者ヨハネが自分が所属する教団の福音理解をモノローグの形に込めた、と理解できます。 31節には『上から来られる方は……云々』とありますが、「上」という言い方はこの福音書の特徴の一つで、要するに「天」とか「神の国」とか「神様の領域」を意味しています。 ヨ

アブラハムの信仰

⇒(MP3, 32kbps)「アブラハムの信仰」秋葉正二創世記15,2-6; パウロと言えば信仰義認ですが、きょうのテキストで彼はその主張を旧約のアブラハム物語を引用して論証します。 彼がアブラハムを引き合いに出すのは、ここだけではありません。 ガラテヤ書にもありますし、この後の9章にもあります。 義認とは神様と正しい関係に置かれるという意味ですが、パウロにとってすべての人が信仰によって義とされる根拠は、もちろんイエス・キリストが十字架につけられたことです。 しかし彼は生れながらのユダヤ人ですから、子どもの時からずっと律法世界で育った人です。 しかも律法を専門的に学んだ過去も持っているのですから、律法抜きに信仰を考えることは難しかったでしょう。 必然的に自分の書いた手紙で再三律法を論じること

キリスト者の安息

⇒(MP3, 32kbps)「キリスト者の安息」秋葉正二ヨシュア1,1-9; 説教題に「キリスト者の安息」とつけましたが、これは本日のテキストを含む一まとまりに「神の民の安息」と小見出しが付けられていることによります。 その一まとまりは、3章7節から4章13節までの2章にまたがる長い部分ですから、本日のテキストとしては結びの部分に位置している最後の2節だけを掲げておきました。 そういうわけですから、先ず一まとまりである「神の民の安息」全体を理解しておかなくてはなりません。 構造をかいつまんで申し上げます。 「神の民の安息」という題で何が書かれているかを一言で言いますと、「神様の言葉に聞き従え」ということになると思います。 きょうのテキストの12節にも『神の言葉は生きており』という表現がありま

赦しの恵み

⇒(MP3, 32kbps)「赦しの恵み」陶山義雄詩編51,1-11; 本日の週報下段のコラム:「牧師室から」でも触れておりますが、教会の暦では、来週の2月18日から受難節に入ります。クリスマスと並んで私達には大変大切な行事が始まります。クリスマスが主のご降誕を喜び迎える時であれば、受難節はこの幼子が地上にあって、為された出来事と働きを思い起こし、その事が今の私にとってどんな意味をもっているのかを確認する、ある意味ではクリスマス以上に大切な時ではないでしょうか。幼子ご降誕の意味は正に受難節から受難週、そして復活節の中で私たちが与かることの恵みである、と云うことが出来るのです。 そして本日の礼拝は来週から始まる受難節前の聖日であり、今週はレント(受難節)を迎える準備として守られます。プロテスタ

悪霊と戦うイエス

⇒(MP3, 32kbps)「悪霊と戦うイエス」秋葉正二サムエル上16,14-23; テキストはベルゼブルと呼ばれた悪霊(アクレイ)の話です。 日本語としては悪霊(アクリョウ)と読むのが一般的でしょうか。 恨みを抱いて祟りをする死霊(シリョウ)や生霊(イキリョウ)であり、怨霊(オンリョウ)とも言われます。 ジブリのアニメに「もののけ姫」という作品がありますが、もののけとは取り付いて祟る悪霊です。 霊の話になると、多くの現代人は何か得体の知れない存在として正面から取り上げないのではないかと思います。 霊を正面から取り上げるのは宗教者です。 もっとも古代や中世の時代の人々は悪霊の存在を敏感に感じ取っていたようです。 源氏物語にも悪霊は登場しますし、安倍晴明のような陰陽師が活躍した背景にも悪霊の存

神を見ること

⇒(MP3, 32kbps)「神を見ること」秋葉正二;マタイ福音書17,1-13 「神様を見る」という変な説教題になりました。 なぜかと言いますと、きょうのテキストの10節に『彼らがイスラエルの神を見ると』と書いてあったからです。 思わず「えっ、神様って見ることができるの?」と思います。 33章20節にはモーセに向かって神様が『あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである』とも書かれています。 イスラエルの人たちにとって神様は創造主ですから、少なくとも私たちの仲間ではなく、言うなればまったく血の通わない絶対的な力を持つ別格の存在です。 どう考えても、友達と向き合うように気楽に相対する相手ではないでしょう。 名前にしても「ヤーウェさん」と直接

主の僕の忍耐

⇒(MP3, 32kbps)「主の僕の忍耐」秋葉正二;コリント二 11,17-27 棕梠の主日を迎えました。 きょうから始まる受難週に備えたいと思います。イエスさまはとても恰好良い人として、威厳を持ってエルサレムに入城しませんでした。  世間では愚鈍と言われていたロバに乗って行きます。 それも弟子にわざわざロバを連れてくるように指定していますから、完全に意図的です。 神の御子を前面に打ち出して、どんな状況でも設定出来たはずなのに、ドンキホーテの従者、サンチョ・パンサみたいに、わざとロバに乗って行ったのはなぜでしょうか。 そこにはキリスト教の神様の本質が隠されていると思います。 これはクリスマスの時、イエスさまがみすぼらしい馬小屋で生まれたことと共通していて、神様はイエスさまをごく普通の当たり

人間と自然が共に苦しむ

⇒(MP3, 32kbps)「人間と自然が共に苦しむ」秋葉正二創世記6,5-7; 20世紀に地球規模での自然破壊と環境汚染が進んだ時に、その責任の源はキリスト教にある、という主張がなされました。 広大な森林の伐採や水俣病のような大規模公害が世界各地に起ったのですから、そうした環境破壊が人類存続に対する危機であることが明白である以上、その原因を追求するのは当然です。 しかし責任の源がキリスト教にあると指摘されれば、それは私たちの問題になります。 創世記の創造物語が槍玉に挙げられて、「ほら、こう言っているじゃないか」となったわけです。 確かに創世記の1章26-28節を見ると、人間を自然の支配者と定める神様の言葉があります。 『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、

新しい生命の夜明け

⇒音声を聞く(MP3, 32kbps)「新しい生命の夜明け」秋葉正二イザヤ60,1-5; イエスさまの生涯を記している4福音書の最後の章は、十字架刑によるイエスの死ではなく、それに続いて起こった復活に費やされています。 きょうはヨハネ福音書を選びましたが、共観福音書の並行記事を一緒に読んでみると復活についてより多くのことが分かります。 なかでもヨハネ福音書だけは独特の書き方、まとめ方をしていることに気づきます。 復活物語では出来事の流れにつれていくつかのことが出てきますが、その一つはペトロともう一人の弟子がイエスの墓に向かって急ぐ記事であり、もう一つは墓の前でマグダラのマリアに復活されたイエスさまが話しかける記事です。 この二つの出来事を共観福音書は別々なこととして描いています。 ところがヨ

復活の証人

⇒(MP3, 32kbps)「復活の証人」秋葉正二イザヤ65,17-25; はじめにきょうのテキストの舞台について地図で確認しておきましょう。 聖書の巻末に地図があります。 「7.パウロの宣教旅行1」という地図を見てください。 このパウロの最初の宣教旅行1は、後の第2第3の宣教旅行に比べると、内容がもっとも宣教旅行にふさわしく思われます。 パウロはバルナバと共に、アンティオケア教会から派遣される形でこの旅行に出かけています。 後の旅行ではフリーになります。 地図には順路が示してありますが、最初はバルナバの故郷であるキプロス島を経由して、小アジア・パンフィリアのペルガに上陸しています。 そこから陸路を北上して、アナトリア高原にあるピシディアのアンティオキアを訪れています。 使徒言行録13章16

新しい人を身に着け

⇒(MP3, 32kbps)「新しい人を身に着け」秋葉正二列王記上 17,17-24; コロサイ書はパウロの真正な手紙ではないと見られています。パウロの死後、弟子の一人がパウロの名によって書き送ったものです。コロサイ教会はパウロの活動により誕生した教会ではなく、コロサイに福音を宣教したのは弟子の一人のエパフロスです。エパフロスの福音理解はもちろんパウロ的なものですが、時が経つに連れ周囲のキリスト教と競合するように展開されていた外部の教えに、コロサイ教会の人たちが影響されていったという状況が起こりました。 パウロは紀元60年頃に殉教していますが、彼の死の直後にパウロの名をもって認められた書簡です。もちろんその理由は、このままコロサイ教会を放っておくわけにはいかないという弟子たちの判断です。コロ

イエスと愛弟子

⇒(MP3, 32kbps)「イエスと愛弟子」秋葉正二詩編100,1-5; テキストの前半は復活されたイエスさまと弟子ペトロとの一対一の対話です。 20節からはもう一人の弟子が出てきます。 「イエスの愛しておられた弟子」としか記されておらず、固有の名前は記されていません。 前半でまず印象的なことはイエスさまがペトロに三度も同じ質問を繰り返されていることです。 ペトロに三度と来れば、私たちにもピンと来ます。 大祭司の屋敷の中庭で「お前もあの男の弟子の一人だろう」と問われた時に、三度も「違う」と答えてしまった途端、鶏が鳴いたという記事です。 ペトロは12弟子の中心的人物です。 元々ガリラヤの漁師ですから、パウロのような知識人ではなかったでしょう。 しかし知的ではないけれども、信仰的な感性という意

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Emmanuel

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