来るべき方はあなたでしょうか

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「来るべき方はあなたでしょうか」

秋葉正二
イザヤ35,5-10;

 イエス・キリストの降誕を待ち望むアドヴェントに、キリストの先駆けと位置付けられている洗礼者ヨハネ(以後「ヨハネ」と表記)について学ぶことには大きな意味があります。 ヨハネは領主ヘロデの罪をはっきりと告発したために、牢の中に捕らわれていました。 いつ死罪が言い渡されるかもしれないという極限状況です。 その中で邪悪な支配者を退け、神の支配をもたらしてくれるメシアを待望していたと思われます。

 不安の中で彼は自分の弟子たちをイエスのもとへ送ります。 ヨハネの質問は、『来るべき方は、あなたでしょうか。それともほかの方を待たなければなりませんか』 というものでした。 それに対してイエスさまは答えられるのですが、ここでまず確認しておきたいことがあります。 それは、イエスさまがヨハネの弟子だったという点です。

 イエスさまは後のキリスト教会にとっては神の子ですから、神の子がヨハネという偉大ではあっても人間の弟子であるということは、あまり好ましいことではないでしょう。 しかし4つの福音書の初めの部分には、イエスさまがヨハネの運動に参加したことやヨハネから洗礼を受けたという記事がはっきり出ています。 おそらくイエスさまがヨハネの弟子であったことは周知の事実であって、それを福音書という教会の立場から書かれた書物でも隠すことはできなかったのでしょう。

 実際にヨハネ関連の記事を見ますと、イエスさまの方がより偉大だという点が強調されています。 キリスト教の立場からすればそうした修正は当然です。 ところが、ヨハネとはどういう人物なのか、あるいはどういう活動をしたのかということになると、福音書以外にはほとんど資料がない上、新約聖書の中でもわずかしか書かれていないので、正確に知ることはなかなか困難です。

 それでもあえて福音書の記述から判断するとすれば、ヨハネの活動の第一は「神の国の接近」を説いた点ということになるでしょう。 その際、人々に対し、神の国を迎えるために厳しい悔改めをヨハネは求めました。 もちろんイエスさまもヨハネもユダヤ教に属していたわけですが、当時のユダヤ教には黙示思想というものがあって、そこでは「神の国の接近」ということが熱心に説かれていたのです。 黙示思想においては、「今の世」と「来るべき世」の二つの世があると考えられていました。 その際、今の世は一方的に悪いと考えたのです。 しかし神様の介入があって、悪い世は突然終わり、その次に来る新しい世こそが神の栄光が讃えられる幸福な世なのだ、というふうに理解したのです。 ヨハネはその終末が極めて近いと説いたわけです。 みんな真剣に悔改めないと終末で滅んでしまうぞ、というのが彼の指摘です。

 イエスさまはそのような人物に弟子入りをしていたわけです。 ですからそうしたヨハネの考え方を共有していたと思われます。 ところが、イエスさまはヨハネの影響から抜け出して独自の歩みを始めたのです。 どのように抜け出したかと言えば、黙示思想的な言い方をすると、現在のこの悪い世の只中に神の支配はすでに始まっているのだ、という新しい理解をもって抜け出ました。 このことはイエスさまが徐々にご自分をメシアだと自覚されていくことに関係してきます。

 つまり、「私が今ここにいることが神の支配の始まりなのだ」というメシアの自覚です。 このことを新しく意識し始めたことがヨハネとの決定的な分離を生み出しました。 同時にそれはユダヤ教との分離でもありました。 ヨハネが弟子を遣わして尋ねさせたことは、イエスさまが只者ではないことに気づき始めてはいたけれども、今ひとつその実体が分からなかったということでしょう。 しかしヨハネの質問に対して、イエスさまは「その通りだ、私がメシアだ」とは答えられませんでした。 イエスさまの答えは5節に書かれています。 『目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている……』。 旧約の引用です。 そのままの引用ではありませんが、イザヤ書35章5-6節や61章などが根拠になっています。 これに「重い皮膚病の清め」や「死者の生き返り」が加えられています。 こうしたメシア像はヨハネにとっても、当時の人々にとっても想像を超えたものでした。

 ヨハネの弟子たちが帰った後、イエスさまは民衆にこう語られています。   『あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか……』。 並行記事であるマルコの1章を見ますと、『ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し……』 とありますし、同じマタイの3章7節には、『ファリサイ派やサドカイ派の人々が、大勢、洗礼を受けに来た……』 ともありますので、ヨハネの運動が相当影響力のあったことを窺わせますが、イエスさまは民衆にヨハネの偉大さを少々皮肉っぽく語られています。

 『あなた方は、風にそよぐ葦か、では何を見に行ったのか、しなやかな服を着た人か……』。 もちろんヨハネはそんな人ではありません。 イエスさまの表現をもってすれば、『預言者以上の者』 です。 これはヨハネの働きが旧約以来の預言者の系譜に連なる者であり、同時にそれを超えていたという意味でしょう。

 預言者以上という表現を理解する鍵は、10節にあります。 『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』。 これは預言者マラキがメシアの先駆けとして預言したエリヤを引用した言葉ですが(「マラキ書」3章23節)、これをもってヨハネがメシアの前に道を備える役目を帯びていたことが表されています。

 イエスさまはヨハネの運動に同調しつつ歩む中で、ある時点において、「神の支配は間近いぞ」という主張とは違う新しい真理を発見されたのです。 それが神の支配はすでに始まりつつあるという理解です。 神の支配が将来やって来るということを完全に否定するわけではないけれども、神の国、神の支配はすでに始まっているとの確信が生まれたのです。 この点でイエスさまはヨハネから完全に独立して歩み始められます。

 私たちは現在の世の中が悪い世の中で、どこか神さまの支配とは無縁であるように思っていますが、私たちが聖書から何かを学ぼうとする時には、自分の常識で聖書を読みこなしてはいけません。 イエスさまが神の支配はすでに始まっていると受け取られたことを、私たちは自分たちに与えられた神様からの問いとして受け取るべきでしょう。

 ヨハネは稀に見る優れた信仰指導者でしたが、そのヨハネの活動の中から自分自身の存在において神の支配がすでに始まりつつあると感じ取ったイエスさまは、はるかに偉大なのです。 偉大と言っても偉ぶるという意味ではまったくなく、日常生活の中で神さまの支配に身を委ねて歩むことができる偉大さです。 11節にある 『天の国でもっとも小さな者でも、ヨハネよりは偉大である』 という言葉は、そういう意味でしょう。

 もっとも、神の支配がすでに始まっているという信仰理解は、実は死海文書にもあります。 戦後偶然発見され、イエス時代まで遡ることができるこの文書には、クムラン教団のことが記されていました。 そこには「クムラン教団の自分たちには神の支配は実現している」 という考え方が述べられています。 しかしその神の支配の実現は、あくまでもクムラン教団という限定された集団内の出来事です。

 イエスさまの場合はその点がまったく異なります。 イエスさまは神の支配の実現に一切の条件などを付けないのです。 神の支配は私たちの日常生活の真只中に起こる、私たちの現実の中に起こる出来事だと言われるのです。 黙示思想の言い方をすれば、悪い世の只中に神の国はあるということです。 神の支配は神さまの側からの一方的な働きですから、そこに人間が介在する余地はありません。 言い換えれば、イエスさまが明らかにされた神の国、神の支配は、ヨハネのように徹底的な悔い改めのような条件がないのです。 それはどうしようもない人間に対する神さまの愛としか言いようがありません。

 だからイエスさまは人間世界のあらゆる仕組みに惑わされることがありませんでした。 上下関係とか富んだ者と貧しい者の区別とか、人間がこの世の秩序と称して規範としているものにイエスさまはまったく影響されないのです。 イエスさまの目には、取税人も罪人も、祭司もファリサイ派も本当の意味で違いはないのです。 そこにいろいろな違いを見つけては様々な理屈をつけていくのは、私たち人間です。 イエスさまだけが神さまの真実の姿を明らかにしてくださいます。

 そういう救い主、イエス・キリストを私たちはこのアドヴェントの中で待望しています。 この世に、この悪しき世に誕生されるメシアをしっかり見つめつつ生きてまいりましょう。 祈ります。


 
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