"天職を見出す"
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は、
”天職を見出す生き方”について考えてみました。先日、旧約聖書のルツ記を読みながら、以前にも教えられたことのある”天職を見出す生き方”について改めて考える機会を得ました。ルツ記というのは、イスラエル史において敗北の時代とも言える士師時代の初期の頃に生きた、ルツという異邦人の女性の物語です。彼女はモアブという地の出身で、結婚前は神を知らない女性でした。ところが、イスラエル人である夫や姑を通して真の神を信じ、素晴らしい信仰の人になるのです。士師時代というイスラエルの暗黒時代の中で、どんな苦境の中にあっても神と人とに忠実に仕えるルツの生涯は、まさに砂漠にわき出るオアシスのように、この書を読む者の心を慰めてくれます。若くして夫に先立たれたルツは、自分の国に帰って幸せに生きるようにという姑ナオミの心遣いにもかかわらず、ナオミに仕えて生きることを決意し、ナオミと共に夫の故郷ベツレヘムにやって来ました。ルツはベツレヘムで、裕福なナオミの親戚であるボアズの畑で落ち穂を拾って生活をするようになります。ナオミはルツとボアズの結婚を願い、ルツにプロポーズの仕方を教えます。そこで、ルツはその事を実行し、ボアズは正式な手続きを経て、ルツと結婚をする、というのがルツ記の物語のあらすじです。「彼女ははからずもエリメレクの一族であるボアズの畑の部分にきた。」(ルツ記2:3b)この言葉は、ルツ記を代表する言葉で、ルツの人生に転機をもたらしたものです。姑ナオミの故郷ベツレヘムにナオミと共に帰って来たルツでしたが、彼女たちの生きる道はまさに前途多難でした。特にルツにとっては右も左も分からない初めての土地でどうやって生きていけばよいのかも分からない中、姑ナオミの親戚に助けを求めるのでなく、ただイスラエルの神に信頼し、自分にできることを一生懸命にしました。それは誰かの畑に行って落ち穂を拾い集めることでした。もちろん彼女には生きる道がはっきりと見えていたわけではありませんが、落胆せずに、今自分にできることを探し実行したのです。体裁を気にせず、熱心に自分にできることをして働きました。そして、それが契機となって彼女ははからずもナオミの親戚であるボアズという有力者に出会うのです。しかしそれは神が摂理の中で導かれたことでした。ルツがボアズの畑に行った時、ちょうどボアズがその畑にいました。ボアズは熱心に働くルツに関心を持ち、彼女がナオミの息子嫁のルツであることを知ると、彼女の食糧のためにその畑で思う存分落ち穂を拾い集められるようにしました。ルツがこのようにボアズから好意を受けるようになったのは彼女のうわべが美しかったからではなく、彼女が夫が死んだ後その姑に行なったすべてのことと、主の翼の下に避け所を求めて来た信仰に深い感銘を受けたからでした。 やがてルツはボアズと結婚しオベデが生まれ、オベデからエッサイが生まれ、エッサイからダビデが生まれ、異邦人の女であったにも拘わらず、イエス・キリストを生み出す家系の一員とされるという光栄にあずかるのです。
今日の一言: 今できる事を一生懸命にすることが天職を見出す道である平安鶴田牧師
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