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- それでは、もしも私のほうで他の人を赦すことができない場合には、どうなのでしょうか。
それでは、もしも私のほうで他の人を赦すことができない場合には、どうなのでしょうか。 フィンランド語原版執筆者: マヌ・ルオソ(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)他の人を赦すことが非常に困難であったり不可能に感じられたりする場合もあるかもしれません。自分に罪の赦しを願うと同時に、他の人の罪をも赦すように、と聖書は私たちに忠告しています。実はもっと強い表現で、「私たちが互いに赦し合わないかぎり、私たちは自分の罪の赦しを受けられない」、とさえ聖書は教えています。「他の人を赦せない」、「自分が受けた
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- 聖餐式とは何ですか。
聖餐式とは何ですか。 フィンランド語原版執筆者: ヤリ・ランキネン(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)キリスト信仰者は聖餐式に参加します。聖餐式はイエス様の命令によってもたれる聖なる会食の場です。聖餐式が行われる時にはかならず、牧師が聖餐式の設定辞を唱えます。この設定辞は、エルサレムでイエス様が死ぬ前日の出来事についての聖書の箇所から構成されています。イエス様はこの設定辞をもって弟子たちと共に聖餐式の時を過ごされました。そして、後でもこの最初の回と同じ設定辞に基づいて弟子たち(キリスト信仰者
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- 神様は全能なのでしょうか。
神様は全能なのでしょうか。 フィンランド語原版執筆者: リーサ・ロシ(神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)この世界や自分の身の回りで起こる不幸な出来事やひどい苦しみを目にするとき、「神様は本当に全能なのだろうか。私たちを愛しているのだろうか」、といった疑問が私たちの心の中に忍び込んできます。そのような場合にも、私たちは神様の御言葉に基づいて物事を判断するべきです。御言葉は人間の理性よりもはるかに信頼できるものだからです。聖書によれば、神様は全世界を支配する主の中の主、王の中の王です。神様はすべてを見ておられ、すべてをご存知
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- 罪とは何ですか。また、どのようなことが罪なのでしょうか。
罪とは何ですか。また、どのようなことが罪なのでしょうか。 フィンランド語原版執筆者: マヌ・ルオソ(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)罪とはいったい何なのか、さまざまな言葉を用いて表現することができるでしょう。罪とは、考えや言葉や行いが良くない方へと向かったり歪んでしまったり、神様に対して反抗的になったりすることです。すべての罪に共通する特徴は、「命そのもの」なる神様から遠ざかるよう人を仕向ける点にあります。短く言えば、罪とは心で神様を捨てることです。原罪(生まれながらの罪)とは、あらゆる人
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- 聖書をどのように解釈するべきでしょうか。
聖書をどのように解釈するべきでしょうか。 フィンランド語原版執筆者: エルッキ・コスケンニエミ(フィンランドルーテル福音協会、神学博士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)聖書はいかようにも解釈できるものです。しかし、恣意的な聖書解釈は解釈者にとって褒められるような行為ではありません。適切な解釈をするためには、いくつかの基本事項を押さえておく必要があります。私たちが読んでいる聖書は何百年も昔に生み出されたものです。聖書の解釈に興味をもつ人がまず考えるべき問題は、聖書に含まれている一連の書物はそれを初めて聴いた当時の人々によってどのよ
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- もしも善そのものなる神様が万物を創造なさったのなら、悪はいったいどこから生じてきたのでしょうか。
もしも善そのものなる神様が万物を創造なさったのなら、悪はいったいどこから生じてきたのでしょうか。 フィンランド語原版執筆者: マヌ・ルオソ(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)聖書はすべてを解き明かす書物ではありません。人間が救われるために是非とも知っておくべきことについてのみ、聖書は告げています。悪の起源について、聖書はあまり多くを語りません。聖書の最初の数章には、本来人間には善か悪のどちらかを選ぶ自由があったことが書かれています。人間と世界は「よいもの」として創造されました。しかし、人間は
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- 洗礼とは何ですか。
洗礼とは何ですか。 フィンランド語原版執筆者: ヤリ・ランキネン(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)牧師が人の頭の上に水をかけて、「父と子と聖霊の御名によってあなたに洗礼を授けます」、と言います。どうして人に洗礼を施すのでしょうか。それは、イエス様が洗礼を授けるように命じておられるからです。「洗礼を通して人々を自分の弟子とするように」、とイエス様はおっしゃっています。人は洗礼を通してイエス様が成し遂げられたことを自分にもいただけるようになります。イエス様は私たちに神様の子どもとなる権利と罪の
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- CD Review ◆ CD評 『Prayer Songs』
向日 かおりクリスチャン・ミュージック・アーティスト祈りと音とが一つになる ――スピリチュアルなピアノの祈り プレイヤーのボタンを押す。すると今までの情景が一瞬にして変わる。文字通り空気が変わる。音楽にそのような力を求めるとしたら、これこそ、そんなCDだ。繊細なピアノの音が流れ出し、その空間で心は解放され、弛緩し、ほどけていく。そこには聖い神の臨在がある。このアルバムがなぜそのような力を持っているのか。それはユニークな録音方法と、演奏者や制作者のスピリットによるだろう。 ピアノプレイヤーであり、卓越したミュージシャンであるジェフ・ネルソンは、ある日何も持たずにスタジオに来るように言われたという。ジェフの前に立っていたのは二十人ほどの共演者たち。彼らは音楽家ではなく、祈りの共演者たちだったのだ
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- わがたましいよ 主をほめたたえよ! 最終回 賛美こそリバイバルの鍵 賛美のスピリットを求めて
編集部 かわいた空気、強い日ざしとどこまでも広がる青空、十月も近いというのに汗ばむような暑さは、瀬戸内地方特有の気候を十分に感じさせる。今回ご紹介する津田キリスト教会(日本伝道隊)は、本州から四国への玄関口、香川県高松から高徳線で一時間弱、大川郡津田町にある。 礼拝はまず賛美にはじまる。聖書朗読をはさんで、再びワーシップタイム。前半は賛美が中心である。曲のタイトルのように「さあ賛美しよう」と明るく、全身で喜びを表現しながら賛美する姿は、プログラムの一つとして惰性でなされがちな礼拝賛美とはまったく異なっていた。水村光義牧師は言う。「賛美を通して、礼拝は建て上げられていくのではないかと思います。聖書には私たちが、ささげることのできるいけにえは、賛美だとあります(へブル一三・一五)。つまり賛美こそ
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- 21世紀の伝道を考える 7 インターネット伝道のもつ豊かな可能性
山下 正雄キリスト改革派教会 メディア・ミニストリー 日本語部 主事「メディア」とは本来「媒体」を意味する言葉です。その媒体を使った伝道というのは、キリスト教会の歴史と同じくらい古いといってもよいかと思います。 コロサイ人への手紙の中に「この手紙があなたがたのところで読まれたなら、ラオデキヤ人の教会でも読まれるようにしてください。あなたがたのほうも、ラオデキヤから回って来る手紙を読んでください」(四・一六)という文章が出てきます。直接出向いて伝えるべきことを、パウロは二通の手紙を書いて、それぞれ諸教会に回覧させたことがわかります。これは「紙」という媒体を使ったメディア宣教といえます。これによって福音が飛躍的に進展したことは言うまでもありません。もし彼が現代に登場したとすれば、様々な媒体を駆使
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- 翻訳者の書斎から 4 チャレンジを与えられて
須賀 真理子日本福音キリスト教会連合 川越聖書教会 会員 小学校高学年の頃だったと思うが、大変衝撃的な話を聞かされたことがあった。だれから聞いたのかは覚えていないが、「アメリカ人大富豪の御曹司がニューギニアで消息を絶ち、現地の首狩り族に殺されて食べられてしまったらしい」という話だった。 猟奇的な事件や常識を超えた物騒な事件が日常茶飯事と化した昨今とは違い、のどかで良識的な環境に育った(少なくともそう思えた)当時の私には「人が人を殺して食べる」などということが今もこの世界で現実に起きているという話はとうてい信じ難く、大変なショックだった。「なぜ首を狩るのか。人肉とはどんな味がするのか」などと想像すると、イメージは勝手にふくらみ、おぞましい映像となって脳裏に焼き付いた。その後しばらくは「ニューギ
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- ブック・レビュー 『信仰の友への手紙』
重田 稔仁単立 上野の森キリスト教会 牧師悩みに囚われた信仰者の心のために 本著は、著者ユージン・H・ピーターソンが、この世のキリスト者の抱える信仰生活に関する多種多様な疑問やジレンマを受け、彼の刎頸の友(グンナル)との間で交わした手紙のやりとりを通じて、悩みに囚われた信仰者の心を、生ける神が支配する世界に向けさせるために記した書である。 彼はその目的のために、全体を通じてキリスト者の信仰生活における誤った固定観念や幻想、あるいは人為的な操作を狙った教えに対して、厳しい態度と言葉で批判している。(クリスチャンの霊的指導やクリスチャンの成長、霊性の形成に関する誤解などについて)それは一部の既存教会がキリスト者の混乱を増長しているという現実があるからだ。 ピーターソンは一貫して、クリスチャンが霊
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- ブック・レビュー 『わかりやすい 旧約聖書の 思想と概説(下)』
遠藤 嘉信聖書宣教会 聖書神学舎 教師旧約聖書の「教えと戒め」のすばらしさを現代人にわかりやすく 『わかりやすい旧約聖書の思想と概説』が上巻および中巻に続いて、下巻の発刊をもって完成した。一つの大きなプロジェクトの完了である。著者によれば、上巻が上梓されてからちょうど七年になるという。「安息年」が思い起こされる。 本書は、エゼキエル書からマラキ書までの預言書の概説、それに中間時代略史を加えたものである。著者は、旧約聖書学の教師として、個々の書を真摯に解説し、かつ牧会者としてのあたたかい目をもって聖書の使信を今に伝えようと務めている。 エゼキエル書とダニエル書はじっくりと解説され、小預言書はそれぞれコンパクトに手際よくまとめられている。また中間時代史も興味深く読み進めることができる。牧師には、
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- 終末と再臨 終末の時代にどう生きるべきか
小西 直也単立 北本福音キリスト教会 牧師 2001年は9月11日にアメリカで同時多発テロが起こり、それに続いてアフガン戦争、また年末にはイスラエルとパレスチナが武力衝突し、私たちは世の終わりが近づいていることを肌で感じました。 クリスチャンに限らず、一般の人々も自分たちの将来について大きな不安を感じています。文明や産業・技術が発達して幸福になるはずの私たちの生活が、逆に、環境破壊の問題、核兵器の開発による人類滅亡の危機感などによって脅かされているからです。将来への不安を感じるとき、人は何か将来について教えてくれるものを探して、占いやオカルトやいろいろな予言者と称する人々の言葉を求めます。 しかし、クリスチャンには約束したことを必ず成就される神の言葉、聖書が与えられています。主イエスが言われ
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- 「携挙」を考える 栄光の体に変えられる時
高木 慶太単立 吹田聖書福音教会 牧師“>
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- ブック・レビュー 『全能の主との親しい交わり』
小渕 春夫国際ナビゲーター スタッフ神との親しさをより深めるために 著者のスウィンドル氏は、多くのベストセラーをはじめ、精力的な活動で知られる米国で著名な牧師の一人である。インターネットで検索すると、数十冊もの著作があり、その生産性の高さは信じられないくらいだ。 その彼が、一見、これまでの多忙な生活と最も縁遠そうで、対極的とも思われる内容の本を書いた。その理由は、本書の冒頭で明かされる。悩める牧師との出会い、神学校学長という比較的余裕のある環境に置かれて、人生を振り返ることができたことによる。 本書ではその邦題が示すように、信仰生活で最も核となるべきテーマが扱われている。神との親しさを深めることは、最も重要なことだが、最も注目されにくく、話されることも少ない。伝道活動に熱心で、霊的な言葉を盛
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- わがたましいよ 主をほめたたえよ! 8 会堂いっぱいに響く賛美
編集部 新潟市に北接する新潟県新津市は、JRの三路線が乗り入れ、鉄道関連の施設も多いことから、「鉄道の町」とも呼ばれている。今回訪れたのは、新津福音キリスト教会(日本同盟基督教団)。住宅地の中で、ひときわ目をひく教会の白い建物は、遠くからもよく見えていた。 ちょうど会衆が賛美していた会堂に入り、気づいたのは二つのことだった。第一は会堂中に本当によく響きわたる賛美の歌声だ。天井を見上げると非常に高く(約九メートルとのこと)、複雑な形をなしている。また壁面の柱は外側ではなく、内側に出た構造になっている。こうした設計によって音が反響し合い、よく響いて聞こえるようになっている。後で聞いた話によると吸音材は一切使われていないとのこと。残響は、椅子や人間が入ることによって若干緩和されたが、それでもこうし
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- ブック・レビュー 『わが魂よ、水源へ帰れ』――何者として、どこへ
堀 肇日本伝道福音教団 鶴瀬恵みキリスト教会 牧師魂の危機を乗り越えるために 本書はキリスト者の在り方を根源から問うものである。第一章でこの「根源としての問い」が取り上げられているが、これは現代教会に対する貴重なメッセージであると思う。 繰り返し語られる「自分は何者で、どこへ行こうとしているのか」との問いかけに対して読者はどの程度の危機感を抱くのだろうか。これは単に青年期に見られるような哲学的、心理学的な課題ではなく、生きることそれ自体が持っている問いなのである。著者は「この問いかけが根源的なものであれば、どうして危機的な状況のみならず、日常的な問いとして自覚されることが少ないのでしょうか。ここに私たちの覆われた危機がある」(19頁)と語る。これは魂の危機とでもいうべきものではないだろうか。
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- わがたましいよ 主をほめたたえよ! 4 「賛美せずにはいられない」 ――弱さのうちに働かれる主
編集部 まだまだ寒さの残る三月下旬、長野県の諏訪郡富士見町入笠山には残雪が見られた。静かな環境の中で神と向き合い、十字架の救いを黙想する場をとの願いからこの地に「讃美の家」を建設した声楽家の今仲幸雄先生を訪ねた。 今回は礼拝賛美のレポートから少し離れ、キリスト者にとっての賛美の意味について、先生のお話を通して考えてみたいと思う。 音楽伝道者として活躍されている先生の働きの根底にあるのは、何といっても十字架の救いの恵みのすばらしさに対する感動だ。これを本当に経験するとき、神の栄光のために生きよう、神を礼拝しようという思いが自然に出てくる。そして「賛美」とはそのように神をたたえるための一つの方法なのだ。 例えば「礼拝」という言葉。日本語ではこの一語のみだが、英語ではワーシップ(worship)と

- The Cross Pendant
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
