新約聖書よもやま裏話 第11回 イエス様の四つの生涯!?

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

伊藤明生
東京基督教大学教授

「マ~タイ、マルコに、ルカ、ヨハネ♪」

 新約聖書にはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと福音書が四つ収められている。福音書とは、ひとことで言えば、主イエスの生涯が書き記されている書であるが、いわゆる伝記ではない。

四人の観点で綴られ

 たとえば、マルコ福音書では、ヨルダン川でのイエスのバプテスマから始まり、十字架、「空の墓」と、イエスの公生涯のみが記述されている。そのうち、エルサレム入城から十字架に至るイエスの地上での最後の一週間「受難週」に、三分の一が費やされ、イエスの生涯のある特定部分に記述が集中していることがわかる。福音書をイエスの生涯を描いた伝記であると位置づけても、ある特定の観点から綴られた伝記だといえる。

 そのような福音書が四つある。注意深く読み比べてみると、微妙に異なる描き方がされていたり、事実関係の認識にズレがあったりする。「聖書は誤りなき神のみことば」だと信じる福音派の私たちには、気がかりなところだ。

なぜ四つも?

 しかし考えてみると、福音書が四つある以上は、四つの福音書が同じであるはずがない。相違があるからこそ四つあり、集められて、新約聖書に所蔵されているという意味がある。

 どうして四つも福音書が新約聖書にあるのだろうか。四つの福音書(four gospels)があるのではなく、むしろ、決定版の福音書(the Gospel)がひとつあったほうが良かったと(無意識に)思う人もいることだろう。

 だが、イエスにはひとつの福音書では、網羅しきれない豊かさがあるのだ。

 「聖書は誤りなき神のみことば」であるという福音主義の主張は、書かれた書物である聖書について言われることである。四つある福音書をまとめて、人間がイエスの生涯を復元したとしても、聖書と同等の権威はない。復元したイエスの生涯は、人間が書いたものでしかない。

 マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと四つの福音書があるおかげで、私たちはイエスの生涯を様々な視点から探ることができるのだ。

ユダヤ人の読者に向けて

 マタイ福音書では、「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図の書」(私訳)としてイエスの生涯が提示されている。

 「アブラハムの子」という表現は、イエスこそがメシアであり、神がアブラハムになさった約束がイエスによってまっとうされたことを意味する。神がダビデに約束なさったことが成就したという意味で、イエスは「ダビデの子」であった。

 マタイ福音書は、旧約聖書・ユダヤ教的背景から、ユダヤ人の読者を想定して執筆されている。

神の御子イエスに焦点を

 マルコ福音書では、神の御子なるイエスが描かれている。ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受け、御霊が天から下られたとき「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」と天から御声がした。

 ペテロがピリポ・カイザリヤで「あなたは、キリストです」と告白し、変貌山でイエスが栄光の姿をペテロ、ヤコブ、ヨハネにお見せしたときにも、天から「これは、わたしの愛する子である。彼の言うことを聞きなさい」という御声が聞こえた。

 十字架上でイエスが死ぬ有様を目の当たりにした百人隊長は、「この方はまことに神の子であった」と言った。

世界の救い主

 ルカ福音書では、イエスはユダヤ人の王であるだけではなく、「世界の救い主」ではあることが描かれている。

 ルカは、異邦人の使徒パウロが帝国の都ローマにたどり着くところまでを書いた第二部「使徒の働き」の前作として、福音書を執筆した。ユダヤ的背景から書き始められているが、「すべての人が神の救いを見る」というグローバルな視点が、彼の二部作では強調されている。

ヨハネの象徴世界

 「初めに、ことばがあった。」という冒頭で、ヨハネは読者を独自の象徴世界に招き入れている。

 ヨハネ福音書の中で、イエスは「わたしは、いのちのパンです」「わたしは、世の光です」「わたしは羊の門です」「わたしは、良い牧者です」と比喩を用いて自らを説き明かしている。

 キリストの福音、キリストにある救いをも「新しく生まれる」「生ける水」と比喩的に表現されている。

 ひとりの人イエスをめぐる四つの福音書には、共通する部分と異なる部分とが見いだされる。ちょうど、立体図形を様々な角度から眺めると、異なる形に見えるのと同じように。真上から見ると真ん丸、真横から見ると三角形、でも少々斜めからながめると三角すいだとわかる。

 そのように、イエスをより立体的に、より豊かに理解するためには、上から、下から、横からと、福音書記者の四人の視点が必要不可欠であったのである。

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