日本にキリスト教が伝えられてきたのは、戦国時代の末期でした。その当時、豊臣秀吉は各地を武力で平定することにより、日本全国を統一しようとしていました。キリスト教が初めて伝えられてきた時、秀吉は、迫害はしませんでした。しかし、秀吉自身は、神道と仏教を両方信心していました。そして、彼は遭難したスペイン船の船員により、スペインの植民地主義を知り、キリスト教を禁止する方向に変わります。そして、彼は、宣教者を含めてカトリック教徒を含めてキリスト教徒を処刑し、殺害しました。今回の記事は、その有名な二十六人の殉教について取り上げます。
(1)秀吉はスペインの遭難船の事件をきっかけにしてキリスト教に対して態度を硬化させる
1596には、今の高知・土佐国にスペインの船サンフェリペ号が漂着しました。その船には、七名の司祭が乗り組んでいたそうです。その時、乗組員は、船の修繕許可と身柄の保全を求めて使者に贈り物を持たせて秀吉の元に派遣しました。 秀吉は奉行を差し向けました。秀吉は、船は海賊に違いなく、ペルー、メキシコ、フィリピンを武力制圧したように日本も武力制圧を行うため、測量に来たに違いないこと、このことは都にいるポルトガル人ほか数名に聞いた という文書を奉行に持たせていました。
奉行は、乗組員の持ち物を没収してしまいました。そして、船の乗組員が、奉行に世界地図を見せて、スペインの欧州、南北アメリカ、フィリピンにまたがる領土を示したようです。それで、奉行が、どうしてスペインはこのように広大な領土を持つに至ったのかを尋ねました。
すると、乗組員は、スペインの王は、宣教師を世界中に派遣して、布教とともに征服することを事業としていると言いました。まず、スペインは、その土地の民を教化して、その後信徒を従わせて、兵力をもってその領土を加えてきたと説明したようです。これは、日本側の記録には、ありませんが、スペイン側の記録にあります。
船員がスペインがキリスト教の布教と武力制圧をして国土を広げる政策をタイアップしていたことを認めてしまい、ポルトガル人の話を確証することになりました。ですから、秀吉が危機感を抱いて、外国に門戸を閉ざす政策をとったことにも、もっともな反応であったかもしれません。 しかしながら、そのスペイン船は海賊ではなかったので、それは秀吉の不当な判断でした。そして、船員が話したことは実情を話していたかもしれませんが、誠実な動機で、神に仕えていたキリスト教徒に迫害と苦難をもたらすことになりました。
これがきっかけとなって、豊臣秀吉によるキリスト教徒への迫害である日本二十六聖人殉教が起きました。
(2)日本人の先祖が行なった罪- 日本二十六聖人の殉教
秀吉は、キリスト教の宣教に続いて日本の本土がスペインによって征服されるのを恐れたのかもしれませんが、 1596年には、京都奉行に命じて、イタリアのカトリック教徒によって始められたフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して処刑するよう命じました。 1597年には、京都や大坂にいたフランシスコ会の宣教師3人と修道士3人、および日本人信徒20人が長崎に送られて処刑されました。(日本二十六聖人)
まず、24名は、秀吉の命令では耳と鼻を削ぐように言われていましたが、京都・堀川通りで左の耳たぶを切り落とされて、市中引き回しとなりました。そして、1597年、長崎で処刑せよという命令を受けて一行は大坂を出発、歩いて長崎へ向かいました。また、道中でイエズス会員の世話をするよう依頼されていた日本人のクリスチャンと、フランシスコ会員の世話をしていた日本人のクリスチャンも捕縛されました。
厳冬期の旅を終えて長崎に到着した一行を見た責任者は、一行の中にわずか12歳の少年ルドビコがいるのを見て哀れに思い、「キリシタンの教えを棄てればお前の命を助けてやる」と持ちかけました。でも、ルドビコは「(この世の)つかの間の命と(天国の)永遠の命を取り替えることはできない」と言い、毅然としてその申し出を断ったということです。
わたしはこの当時のイタリアのフランシスコ会の信仰がどのようなものであったか、聖書と十分調和していたかはまだ十分に知りませんが、永遠の命の方が地上のつかの間の命よりも勝っているという聖書的な認識を、子供でも持っていたことが分かります。
一行26人は、キリストが処刑されたゴルゴタの丘に似ている丘を処刑の場として望んだといわれます。それで、一行の26人は通常の刑場でなく、長崎の西坂の丘の上へ連行されました。
処刑当日の2月5日、長崎市内では混乱を避けるために外出禁止令が出されていたにも関わらず、4000人を超える群衆が西坂の丘に集まってきていました。死を目前にして、十字架の上から群衆に向かって自らの信仰の正しさを語ったイエズス会のパウロ三木というクリスチャンがいたそうです。午前10時頃、群衆が見守る中、このクリスチャンと一行は槍で両脇を刺し貫かれて絶命したとのことです。
16th-17th century Japanese painting, reproduction in Arnold Toynbee, "A study of history"
Christian Martyrs Of Nagasaki, is known as "元和大殉教図" in Japan
日本での宣教師などカトリック教徒の殉教を描いた図
(3)殉教した二十六人のカトリック教徒の名前
フランシスコ吉日本人大工。フランシスコ会員の世話をするため、一行に付き添い、道中で捕縛された。コスメ竹屋日本人、38歳。大坂で捕縛される。ペトロ助四郎(またはペドロ助四郎)日本人、イエズス会員の世話をするため一行に付き添い、道中で捕縛された。ミカエル小崎(またはミゲル小崎)日本人、46歳。京都で捕縛。トマス小崎の父。ディエゴ喜斎(時に、ヤコボ喜斎、市川喜佐衛門、備前屋喜左衛門とも称す)日本人、64歳。大坂で捕縛。行商者として上阪し商家に奉公した後、イエズス会員として祭壇係および門衛(接待係)に就く。備前国岡山藩津高郡馬屋郷芳賀村(現在の岡山県岡山市北区芳賀)出身。パウロ三木日本人、33歳。大坂で捕縛。イエズス会員。パウロ茨木日本人、54歳。京都で捕縛。レオ烏丸の兄。五島のヨハネ草庵(またはヨハネ五島)日本人、19歳。大坂で捕縛、イエズス会員。ルドビコ茨木日本人、12歳で最年少。京都で捕縛。パウロ茨木、レオ烏丸の甥。長崎のアントニオ日本人、13歳。京都で捕縛。父は中国人、母は日本人。ペトロ・バウチスタ(またはペドロ・バプチスタ、ペドロ・バウティスタ)スペイン人、48歳。京都で捕縛。フランシスコ会司祭。マルチノ・デ・ラ・アセンシオンスペイン人、30歳。大坂で捕縛。フランシスコ会司祭。フェリペ・デ・ヘスス(またはフィリッポ・デ・ヘスス、本名・フェリペ・デ・ラス・カサス)メキシコ人、24歳。京都で捕縛。フランシスコ会修道士。メキシコの初聖人(列聖順)。ゴンザロ・ガルシアポルトガル人、40歳。京都で捕縛。フランシスコ会修道士。フランシスコ・ブランコスペイン人、28歳。京都で捕縛。フランシスコ会司祭。フランシスコ・デ・サン・ミゲルスペイン人、53歳。京都で捕縛。フランシスコ会修道士。マチアス日本人、京都で捕縛。本来逮捕者のリストになかったが、洗礼名が同じというだけで捕縛。レオ烏丸日本人、48歳。京都で捕縛。パウロ茨木の弟。ルドビコ茨木のおじ。ボナベントゥラ日本人、京都で捕縛。トマス小崎日本人、14歳。大坂で捕縛。ミカエル小崎の子。ヨアキム榊原(またはホアキン榊原)日本人、40歳。大坂で捕縛。医者のフランシスコ(またはフランシスコ医師)日本人、46歳。京都で捕縛。トマス談義者日本人、36歳。京都で捕縛。絹屋のヨハネ日本人、28歳。京都で捕縛。ガブリエル日本人、19歳。京都で捕縛。パウロ鈴木日本人、49歳。京都で捕縛。
スペインの漂着船は修繕後、マニラに行きました。そこでスペイン政府は事件を徹底的に調査し、スペイン使節がマニラから秀吉の元へ送られ、漂着した船の積荷の返還と宣教師たち二十六人の遺体の引渡しが求めました。しかし、引き渡しは行われなかったということです 。
当時、スペインで徹底的な調査が行われて、日本を武力制圧しようかという話もあったそうですが、日本にとっては幸いなことにスペインもイタリアもそうはしませんでした。 その時、イタリアやスペインのカトリックは日本に復しゅうはしませんでした。しかし、聖書には、「わたしの愛する者たち,自分で復しゅうをしてはなりません。むしろ神の憤りに道を譲りなさい。こう書いてあるからです。『復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる』」(ローマ12:19)
そして、事態の進展は、この言葉通りになったことを示しているのではないかと思います。
イエスは神に信仰を抱くアベルや祭司ゼカリヤの殉教のために、一世紀のエルサレムの百万人以上ものユダヤ人の死という災いが生じることを予告されました。イエスは、一世紀のユダヤ人に、「義なるアベルの血から,あなた方が聖なる所と祭壇の間で殺害した,バラキヤの子ゼカリヤの血に至るまで,地上で流された義の血すべてがあなた方に臨むのです。」と予告されました。(マタイ23:35)
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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