ヤマアラシのジレンマ”
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は、‘ヤマアラシのジレンマ’について考えてみました。19世紀のドイツの哲学者ショーペンハウアーの寓話に以下のようなものがあります。寒空の下、一匹のヤマアラシがいました。ヤマアラシはひとりで淋しく思っていました。そこへ、同じように寒がっているヤマアラシに出会いました。寄り添って温め合えば、淋しくないし、お互いが温かくなると思った二匹は、すり寄りました。しかし、ヤマアラシたちはある程度近寄ると、自分の身を守るためのとげがお互いの身体を刺し合いました。二匹はどうにかして近寄って温め合おうとしましたが、背中の自分の身を守るためのとげが近寄らせてくれません。どうやっても近寄ることのできないヤマアラシ。二匹はお互いのとげが刺さらない距離を保ちながら、一緒に泣きました。ヤマアラシたちは泣き合っているうちに気がつきました。近寄りすぎるとお互いの身を守るためのとげで相手を傷つけてしまうけど、傷つけ合わないぎりぎりの距離を保てば、お互いが淋しくなく、それなりの温もりを得られるということに。 心理学の大家フロイトは、この寓話を元に、‘ヤマアラシのジレンマ’という人間の姿を表しました。それは、「自己の自立」と「相手との一体感」という二つの欲求によるジレンマに悩む人間の姿です。 相手の針の長さをよく考えて近づきつつ、遠ざかりつつ、時には傷ついたり寒くなったりを繰り返して、適度な距離感が掴める様になることがコミュニケーションのコツであり、かつ最も難しいところです。そのためにも、相手の針の長さだけではなく、自分の針の長さを知らなければなりません。ところで、動物には、自分のテリトリーを誇示する意識があることはよく知られていますが、動物心理学者のヘディガーは、このような動物の行動を研究して「距離の法則」を発見しました。たとえば、ここに野生の馬がいるとしましょう。人間などが近づいていき、ある一定の距離になると逃げようとします。これは「逃走距離」と言います。さらに人が近づき、もし逃げられないとなると、馬は逆に襲い掛かってきます。これを「攻撃距離」と言います。文化人類学者のエドワード・T・ホールは、この説を人間関係に応用し、プロクセミックスと名付けて、人間同士の距離を以下の4つに区分しました。密接距離(0-45cm)固体距離(45-120cm)社会距離(120-360cm)公衆距離(360-750cm)そして彼の研究によれば、人間関係が悪いのは、ほとんどの場合、密接距離(0-45cm)と固体距離(45-120cm)の関係を持っている時だそうです。つまり、人間関係の距離がいわゆるベッタリの関係になる時、やがてその関係に問題が生じるようになるということです。ですから、相手との関係の距離が近すぎた時に、人間関係に問題が生じるので、もしそうなったら、一度距離を開く必要があります。そして再度少しずつ近付いて行きながら、適切な距離を判断するようにすればいいのです。問題が生じたら、もうその人とは付き合わないというのは子供の言うことで、そういう態度では幸せな人生など送れません。そうではなく、何事にも取り組みという態度で臨みながら、適切な距離を人との関係に見出すことが出来れば、平和な人間関係を持つことができます。聖書に、「愛はすべてを完全に結ぶ帯である」という言葉があります。帯には長さがあり、長過ぎても良くないし、短くても良くありません。適切な長さが必要です。つまり、愛とは距離であり、しかも適切な距離のことです。ぜひ寛容な心で人を受け入れ、赦し合う心を持ち、適切な距離をもって平和な人間関係を築いていきましょう。今日の一言: 愛とは適切な距離のこと平安鶴田健次ブログランキングにランキングに参加しています。クリックで応援してください。