悔い改め ① - 救われる前の自分 -
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
はじめまして、新しくBlogの御奉仕を与えられたKMです。最初のBlogは、1.救われる前の自分について 2.どのようにしてイエス様を信じるに至ったか 3.これからどのように生きていきたいか という観点から自己紹介も含め書かせていただこうと思います。
「救われる前の自分について」これは私がこのラスベガス日本人教会に来る少し前の話になります。2014年12月に勤めていた旅行会社から解雇通知が言い渡されたため、その会社を去ることが決まりました。仕事上でのミスの連続、学校と仕事のバランス調整不足、その上、英語の能力不足などが重なった事が原因でした。解雇されたその日、妻に報告したところ、彼女を怒らせてしまいました。。さらに、その頃は、プライベートでも、学校の成績の事や経済的な事で妻と衝突しあっていました。そこに、私が仕事を解雇されたので、まさに火に油を注いだ状態になってしまいました。そのため、一時的に仕事を見つけるように妻から指令が出たため、仕事探しを始めました。しかし、行く先々でうまくいくことはありませんでした。仕事探しにプライオリティを置いていましたが、後日、このラスベガス日本人教会に行く事にしました。その日の鶴田先生の説教は「赦し」についてでした。その時に初めて、キリスト教の事や聖書のことを知りましたが、先生の説教内容を聞いた時に、心の底から納得し、その後教会に毎週行くようになりました。そして、教会に行きだしたある日、ある会社で自分が勘違いをしたために、会社の所有物であったジュース1本を盗んでしまいました。たった1本のジュースでも、人の物を盗ってしまった事に変わりはありませんでした。なぜ、その場で謝らなかったのか?とみなさんは思われるかもしれません。ただ単にその時は自分が盗った事実を隠したかったからというのが本音です。後日、その会社の方は自分を問いただしましたが、私はすぐに真実を打ち明ける事が出来ず、わかりやすい嘘をついてしまいました。私は、今でもその事を思い出しては、何と愚かな事をしてしまったんだろうと後悔しています。大変申し訳ない事をしてしまいました。その後、その会社の方から、辞表を書いて辞めるように促されました。私は、この会社の業務内容が当時の自分のスキルよりも、高い物を求められていると感じていたこともあって、辞表を書く事にしました。その時、もうこんな状況に二度となりたくないと思いました。それと同時に、「正しく生きたい」という思いが芽生えました。この正しさというのは、道徳的に言う正しさではなく、人間が決めるのではない別次元の絶対的な正しさを意味します。もし、人間の道徳的な正しさを求めてしまうのであれば、また同じことが起こる可能性があるからです。救われる前の私は、これらの出来事のように、世間的に言われている良い事、悪い事をしてきただけでした。その出来事などが神様と私を永遠にへだてる十分な理由、つまり罪になります。罪とは、神様に反して生きる事です。なぜなら、神様は聖なる方なので、罪を全く受け付ける事ができず、その罪を絶対にさばかれるお方だからです。聖書にこうあります。「そして人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(ヘブル人への手紙9:27)」ですから、私は神様から有罪判決を言い渡され、永遠の苦しみに至ることが確定していました。このBlogを通して皆さんの前で自分の過去の罪の告白をした理由は、2つあります。1つは「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。(ヨハネの手紙 第一 1:8-10)」もう1つは、私も聖書の中に登場している人物達と何1つ変わらないという事を皆さんに伝えたかったからです。なぜなら、私がある方達から、信仰深い人と思われる事があるようで、全くそんな事はない、と伝える必要があると思ったからです。ただ私が救いに導かれたのは、神様のあわれみによります。ここまでが
「救われる前の自分について」です。次回は、
「どのようにしてイエス様を信じるに至ったか?」について11月1日のBlogでお伝えいたします。(MK)下記のアイコンのクリックで応援を願いいたします!またFacebookをご利用の方は、「いいね」と「シェア」のクリックをしていただくと、多くの方々にも、教会ブログをお楽しみいただける機会になるかと思いますので、よろしければ、ご協力をお願いいたします。✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨