Mt. Hermon Youth Camp 証し その4
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
Mt. Hermon Youth Camp 証し その1~3に続き、<Ian L.兄の証し>をご紹介いたします。どうぞお楽しみください。またIan兄の救いの為にお祈りください。この教会に来る前、僕はいつも教会に行きたいと思っていました。父が僕を他の教会に連れて行ってくれていた時から、もっと神様について学びたいと思っていたからです。父が亡くなってから、時々、母に僕を教会に連れて行ってくれるように頼みましたが、母は2つの仕事をしながら僕と僕のお兄さんを育ててくれて、いつも忙しくて疲れているので、そうすることができませんでした。ある日、母は僕たちを教会に連れて行ってくれると言いました。その時はとて嬉しかったです。そして父もこのことを喜んでいると思います。なぜなら父はこれを望んでいたからです。この教会に来るようになって、神様についてたくさんのことを学びました。それから、僕は素晴らしい機会を与えられました。それはマウントハーモンのユースキャンプでした。キャンプへ行く前の自分を振り返ると、自分はそれほど良い人だとは言えませんでした。そして僕はコントロールができていないことを全くりませんでした。“コントロールができていない”というのは、僕は嘘をつく等のすべきでないことをしていて、そして神様に祈る等のすべきことをしていなかったということです。僕はそれらのことをあまり深く考えていませんでした。キャンプが始まり、僕はとてもわくわくしました。というのも、僕は楽しい時間を過ごすことができることと、神様について新しいことを学ぶことができると確信していたからです。キャンプ中、もちろん新しい友達と作ったり、彼らとのアクティビティーを楽しみました。それらの楽しいアクティビティーの他に、僕ははっきりと覚えている、教えてもらった一つの御言葉があります。それはヨハネの手紙第一 3:15「自分の兄弟を憎むものはすべて人殺しです。すべての人殺しはその内に永遠の命を持っていないことを、あなたがたは知っています」です。この御言葉を教えてもらうまで、僕は罪というものがどれだけ悪いものなのかを知りませんでした。ある夜、JEMSのミッショナリーの方々が僕にいくつかのお話をしてくれました。その中でもこの2つが僕の心の中に残っています:1.とある孤立した村がありました。ある日、そこへJEMSのミッショナリーの方々がその村へ行きました。その村の人々はイエス様を信じたくなかったので、みんな自分の住処へ隠れてしまったそうです。しかし一人の小さな女の子が出てきて、JEMSのミッショナリーの方々の後をついてきたそうです。彼女の母親は彼女に戻ってくるように言いましたが、彼女は母親の言うことを聞きませんでした。その時、ミッショナリーの方々は彼女の片方の目が盲目であると言うことに気づきました。ですから、彼らは彼女のために祈ったそうです。すると、彼女の片目は見えるようになり、村の人々は驚いたそうです。それから村の人々はイエス様を信じるようになったそうです。2.あるとき、JEMSのミッショナリーの方々がフィリピンで教会を作ろうとしましたが、そのための費用が足りなかったそうです。ですから、彼らはその教会を作るためのお金が与えられるように祈ったそうです。もちろんイエス様は彼らの祈りを聞いてくださり、彼らはある方がそのミッションのために50,000ドルの寄付をしてくれたという電話をもらったそうです。これらのお話は僕に神様に祈ることがどれだけ大切なのかを教えてくれました。これらのお話だけでなく、イエス様が私たちの罪を贖うために死んでくださったので私たちの罪は赦されたということ、救われたということはどれだけ大切なことなのかということ、そして神様は神であり、聖霊であり、イエス様であると言うことを教えてくれました。僕は自分が学びたかったことを含めて、本当にいろいろなことを学ぶことができました。キャンプを終えて、僕はキャンプ前と同じことを繰り返さないように努力しています。それはとても難しいことです。僕は毎晩お祈りをし、時々、聖書を読むようにしています。キャンプ前は神様とのつながりを全く感じませんでしたが、今は神様とのつながりを感じています。僕はこのキャンプに参加できて本当に良かったと思っています。そして以前は洗礼を受けるべきかどうかわかりませんでしたが、今は洗礼を受ける準備ができたと思います。下記のアイコンのクリックで応援を願いいたします!またFacebookをご利用の方は、「いいね」と「シェア」のクリックをしていただくと、多くの方々にも、教会ブログをお楽しみいただける機会になるかと思いますので、よろしければ、ご協力をお願いいたします。✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨