「労苦と忍耐」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

黙示録の著者ヨハネは、「神の言葉を伝え、またイエス・キリストについて証言した」という理由で、ローマ帝国の権力によってパトモス島に「島流し」にされた。その島で、彼はある日曜日、一種の恍惚状態の中で「ラッパのように響く大声」(10)を聞く。「お前が見るものを小さな巻き物に書き取って」(11) アジア州にある七つの教会に送れ、というのである。

続いて彼は、色彩と音響に満ちた圧倒的な幻を見た(12-16節)。復活して天に昇り、そこから地上で苦労している信徒たちを見守る主イエスの栄光と力の幻であった。この天上のキリストの命令に従って、ヨハネは、七つの教会に順番に手紙を書く。最初はエフェソ教会である。

エフェソ(巻末の地図参照)は、天然の良港に恵まれ、商業・交通の要衝として栄えた。女神アルテミスの有名な神殿もあり、皇帝礼拝も行われていたというから、当時のアジア州で中心的な位置を占めた都市であろう。「使徒言行録」19章には、パウロがここにしばらく滞在して教会を建てた経緯が記されている。

しかし、ここで言及されているのはパウロの建てた教会と同一ではなく、エルサレムが70年にローマに攻撃されて陥落した後、そこから移住してきたユダヤ人キリスト者によって創立された教会だろうと考えられる。

さて、冒頭のところで、「右の手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方」(1)、つまり天上のキリストが、「わたしは、あなたがたの行いと労苦と忍耐を知っている」(2)と言われる。先ずこの言葉に注目したい。

新共同訳では、「行いと労苦と忍耐」と三つを同格で並べているが、佐竹訳では、先ず「あなたのわざ」と言って、そこで一度切る。「わざ」とは、広い意味で信仰の態度、あるいは信仰生活の実際を意味する言葉であり、それを具体的に説明するのが「労苦と忍耐」だ、というのである。だから、「わたしはあなたのわざを知っている。つまり、あなたの労苦と忍耐を知っている」ということになる。この方が説得的だ。

私はあなたがどのような信仰生活を送っているか、よく知っている。地上では、色々な苦しみを味わねばならないし、忍耐しなければならないことも多い。そのことを、「私は知っている」と天上のキリストが言うのである。

この「私は知っている」と言い方は、エフェソ教会だけでなく、スミルナ(2,9)、ペルガモン(2,13)、ティアティラ(2,19)、サルディス(3,1)、フィラデルフィア(3,8)、ラオディキア(3,15)など、他の六つの教会に対しても使われる。それは一方で人の心に畏れを呼び起こす。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる」(3,1)という厳しい言葉などはその一例だ。神は、天上のキリストは、何もかもご存知だ。人生をなめてはいけない!

しかし、他方、この言葉には言いようもなく深い慰めもこめられている。天上のキリストは「あなたがたの労苦と忍耐を知っている」。「あなたの苦難や貧しさを知っている」(9)。あなたの苦しみに対して正当な理解と敬意を払う人がこの世に一人もいなくても、彼だけはあなたの苦しみをご存知だ!

それだけではない。「悪者どもに我慢できない」(2)あなたの潔癖さも、偽りを教える偽伝道者の「うそを見抜いた」(2)鋭さも、おそらくそれと関連しているであろうが、「初めのころの愛から離れて」(4)、つまり神に対する謙虚な愛という初心を忘れて徒に批判的・攻撃的になった過ちも、あの方はすべて見ておられ、知っておられる。

さらに彼は、「あなたには取り柄もある」(6)と言う。「ニコライ派」について詳しいことは分からないが、多分、「バラムの教え」(14)のように「偶像に献げた肉を食べ」、「みだらなこと」をする人々のことであろう。この人たちの「行い(=生き方)を憎んでいる」(6)のは評価できる、と天上のキリストは言う。

つまり、彼は私たちの生きざまを、良い点も悪い点もひっくるめて、すべて知っておられるのだ。

遠藤周作『沈黙』には、16世紀、禁教下の日本に潜入した若いポルトガル人司祭が「転んで」、つまり、信仰を棄ててイエスの顔を刻んだ銅版を踏む場面がある。

「司祭は足をあげた。足に鈍い重い痛みを感じた。…自分は今、自分の生涯の中で最も美しいと思ってきたもの、最も聖らかと信じたもの、最も人間の理想と夢にみたされたものを踏む。この足の痛み。その時、踏むがいいと銅板のあの人は司祭にむかって言った。踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。

こうして司祭が踏絵に足をかけた時、朝が来た。鶏が遠くで鳴いた」。

---これは日本の文学がかつて生み出した中で最も深い表現の一つだと思うが、中でも「お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている」という一句は、今日の黙示録の言葉と相通ずるもので、我々の魂を揺さぶる。

私たちの生きざま、労苦と忍耐、時には鼻持ちならぬ潔癖さや正義感、初心を忘れる弱さ。そして、「最も聖らかと信じたものを踏むこの足の痛み」(遠藤)。それらを、あの方が一番良く知っておられる。これを心に刻みたい。


 
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