第五のみ使いがラッパを吹いた後、底知れぬ深みの坑の中から地上にいなごが出てきます。(啓示9:3)そのいなごは、「額に神の証印のない人々」だけを損ないます。
先回も述べたように、エホバの証人はいなごを自分たちエホバの証人の奉仕者の中の聖霊で油そそがれたクリスチャンに当てはめています。その解釈は正しいでしょうか。今回はそのいなごの軍勢は何を表わしているのかということを検討してみます。
(1)煙の中から地上に出て来る啓示の書のいなごの描写
いなごには、地のさそりが持つのと同じ権威が与えられます。いなごは「額に神の証印のない人々」だけを損ないます。(啓示9:4)そして、そのいなごには、「額に神の証印のない人々」を殺すことではなく、五カ月のあいだ責め苦に遭わせることが許されます。(啓示9:5)
いなごの姿は戦闘の備えをした馬に似ていました。頭の上に金のような冠と思えるものがあり、顔は人間の顔のようでした。(啓示9:7)そして、女の髪のような髪がありました。そして、歯はライオンのようであり、鉄の胸当てのような胸当てを着けていました。(啓示9:8)
そして、彼らの翼の音は、多くの馬に引かれる兵車が戦闘に走りゆく音のようでした。(啓示9:9)また、彼らには尾とさそりに似た針とがあり、その尾に、人を五カ月のあいだ痛める権威があります。(啓示9:10)彼らの上には、ヘブライ語で「アバドン」ギリシャ語で「アポルオン」という名がある「底知れぬ深みの使い」である王がいます。(啓示9:11)
(2)ヨエル書と啓示の書にとても良く似たいなごの描写が出て来る
ではいなごとは何を表わしているのでしょうか。ヨエル1章にも「いなご」が出てきますが、啓示の書の「いなご」ととても似ています。まず、ヨエル書の1章に登場するいなごは、2章に登場する軍勢とは同じ実体を表わしていると考えていいのではないかと思います。さらに、ヨエル書のいなごと、啓示の書のいなごと描写が共通していることから、両者は同じ実体を表わしているとみなしていいのではないかと思います。
ヨエル書のいなごと啓示の書のいなごはどんな点で似ているでしょうか。ヨエル書のいなごの「歯はライオンの歯」と描写されています。(ヨエル1:6)啓示の書のいなごも、ヨエル書に出て来るいなごも、ライオンの歯を持っていますから、両者は、似ています。(啓示9:8)
そして、ヨエル書のいなごの「姿は馬の姿に似ており,その走って行く様は乗用馬のよう」です。(ヨエル2:4) さらに、そのいなごは、「山々の頂を行く兵車のような響きを立てて」跳び回ります。(ヨエル2:5)
啓示の書のいなごもヨエル書のいなごも馬のようであり似ているので同じ実体でしょう
この描写も啓示の書の「いなご」と似ています。啓示の書のいなごの「姿は戦闘の備えをした馬に似ていました。」(啓示9:7)さらに、啓示の書のいなごの「翼の音は、多くの馬に引かれる兵車が戦闘に走りゆく音のようでした。」(啓示9:9)
ヨエル書のいなごは何を表わしているのでしょうか。いなごについては、「わたしの土地に上って来た国民」であると説明されています。(ヨエル1:6)「わたしの土地」とあるので、神の民の土地に上って来るのですから、そのいなごは、神の民とは異なります。神の民を攻撃する立場にあります。
また、そのいなごは「数が多くて強大な民」と描写されています。(ヨエル2:2)さらに、そのいなごは、「戦闘隊列を組んでいる。」と説明されています。(ヨエル2:5)さらに、そのヨエル書のいなごは、「軍勢」と言われています。(ヨエル2:11)その国民は、「北方から来た者」であるとも説明されています。(ヨエル2:20)
いなごの軍勢とは北の王に率いられる強大で数の多い兵士の軍勢ではないか?
これらの描写から、ヨエル書のいなごは、神の民の地に上ってきて攻撃する、「戦闘隊列を組んでいる」数の多い強大な「国民」、すなわち、軍勢を意味しているのではないでしょうか。(ヨエル2:5)さらに、そのいなごの国民は、「北方から来た者」なのですから、北の王の編成した軍勢を意味しているのではないでしょうか。(ヨエル2:20)
ヨエル書のいなごのために、「畑は奪略に遭い,・・・穀物は奪い取られ」ます。そして、その国民の攻撃は、「エホバの日」の到来と結びつけられています。(ヨエル2:1,11)畑や穀物を略奪するのですから、そのいなごは、良心的な神の民とは言えないでしょう。そして、文字通りの軍勢の描写であれば、納得できます。
(3)いなごの軍勢をエホバの証人の聖霊で油そそがれたクリスチャンではなく北の王の率いる軍勢と解釈する方が妥当な理由
さらに、ヨエル書では、エホバは、いなごの攻撃のために、「あなた方は心をつくし,断食と涙とどうこくとをもってわたしに帰れ」と告げられています。(ヨエル2:12)さらに、いなごの軍勢の攻撃を受けた者たちに対して、「シオンで角笛を吹き鳴らせ。断食の時を神聖なものとせよ。聖会を召集せよ。民を集めよ。会衆を神聖にせよ。」と勧められています。(ヨエル2:15,16)
ですから、いなごの軍勢の攻撃のゆえに神に救いを叫び求めるために、集会を開くようにと勧められています。ここでもいなごの軍勢の攻撃を受ける者たちは、神の民です。
さらに、祭司たちエホバに奉仕する者たちは、『エホバよ,どうかご自分の民を哀れんでください。ご自分の相続物をそしりの的,諸国民によって支配されるものとはなさらないでください。どうして彼らがもろもろの民の中で,「彼らの神はどこにいるのか」などと言ってよいでしょうか』と泣き悲しんで言うようにと勧められています。(ヨエル2:17)
いなごの軍勢の攻撃を受けて神の民が嘆いて聖会を開いて諸国民からの助けを求めるようにと勧められているいなごを諸国民と呼んでいるので神の民の奉仕者ではない
ここでも、いなごの軍勢の攻撃を受ける神の民は、エホバ神に、自分たちが諸国民に支配されるものとならないように助けを求めています。ですから、いなごの軍勢とは、諸国民の軍勢とみなすのが妥当ではないでしょうか。また、いなごがエホバの証人の奉仕者であれば、その霊的な攻撃を受けて、神の助けと哀れみを求めるというのはおかしいことになるでしょう。
いなごの軍勢の攻撃は諸国民の軍勢による神の民に対する攻撃と解釈する方が理解できる
これらのことから、ヨエル書のいなごの軍勢も、啓示の書のいなごの軍勢も、大患難の時に、北の王が率いる数の大変多い「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」の軍勢を意味すると解釈する方が、妥当です。
また、ヨエル書で描写されているいなごの軍勢は、「定めのない過去からいまだ存在したことがなく,それ以後にも代々の年月にわたり二度とないであろう。」と説明されています。(ヨエル2:2)
イエスは、大患難について、「世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難」と描写されました。(マタイ24:21)そのような大患難は、いまだ存在したことがなく、二度と存在しないような軍勢によって初めてもたらされるのではないでしょうか。
(4)いなごの軍勢は北の王の設立する荒廃をもたらす嫌悪すべきものの軍勢と判断する理由
北の王が設立する「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」は、最終的に南の王とその同盟国を総攻撃をしかける前に、北の王がしたように、神の民を攻撃することが啓示の書の中に予告されています。
啓示の書によると、「底知れぬ深み」から上る野獣は、大患難の前に、二人の証人と戦いを彼らを霊的なエジプト、すなわち、南の王の土地に連れて行きます。(啓示11:7,8)
このことがいなごが「額に神の証印のない人々」を五カ月のあいだ責め苦に遭わせるという預言で預言されているのではないかと思います。(啓示9:4)「額に神の証印のない人々」とは、神の王国に入るという希望を与えられていると自称しながら、神の律法に不忠実になっている人々で、神とイエス・キリストに是認されていないクリスチャンを意味するのではないかと思います。(啓示9:4)
すなわち、その時点で不忠実になってしまったローマカトリック教会とギリシャ正教会の聖職者たちを表わしているのではないかと考えています。
しかしながら、いなごに攻撃される時に、「額に神の証印のない人々」は命は奪われません。いなごは彼らを「殺すことではなく」「五カ月」間、責め苦に遭わせることだけが許されます。(啓示9:5)啓示の11章の預言の中でも、二人の証人は「墓に横たえる」ことが許されません。(啓示11:9)つまり、彼らは生きながら捕えられて、卑しめられることになっています。
いなごは、神の民を攻撃する北の王の率いる軍勢と解釈する方が、より正確な解釈と言えると思います。ダニエル書の預言が、これから将来にわたって成就していくと解釈した方が、聖書全体をすんなりと解釈できます。そして、その方が聖書全体が調和していることがとてもよく分かります。エホバの証人の統治体は、自らの啓示の書の解釈を再検討してみられることをお勧めします。
聖書の預言を間違って解釈するならば、意図は悪いものではないとしても、エホバ神から偽預言者とみなされてしまいます。偽預言者は、最終的な救いは得られないと思います。これは、全世界にいる何百万ものエホバの証人の救いに関係するのです。謙遜になって再検討してみられることをお勧めします。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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