南米の日系人にキリストを伝えて 嘆きを聞かれる神

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

塚田 献
南米宣教会ブラジル・カンポグランジ教会・協力宣教師

 一九〇八年四月二十八日、移民船笠戸丸は七百八十一名の移住者の人たちを乗せ、神戸港からまだ見ぬ南米の地を目指して大海原に旅立って行きました。今から百年前のことでした。それから約三十万人の人がブラジルに渡り、今では百五十万人という数の日系人の方々がそこで生きています。その百周年を記念するこの年、日本でも多くのメディアに取り上げられ祝われましたが、その歩みには、想像を絶するような過酷な生活の中でいのちを育んでいった歴史がありました。

 しかしこのような移民の歩みは、日本においてあまり知られたものではなかったと思います。私自身、そのような歴史を全く知らず生きて来ましたが、一九九〇年に初めてブラジルを訪れて、ブラジル特有の明るさと人の温かさに触れ、大のブラジル好きになってしまいました。そして何よりもそこで信仰を回復したので、ブラジルは忘れられない場所となりました。時を経て、二〇〇四年から今度は宣教師として再び家族でブラジルに渡ることになるのですが、当時の自分としては想像もしないことでした。

 宣教師として働くことのきっかけとなったのは、私がブラジルで三年間お世話になった佐藤浩之宣教師が、当時私たちが牧会していた新潟県五泉市の教会を訪れてくださり、今のブラジル日系人宣教の状況を話してくださったことでした。そして、移民で渡った一世の方々の時代が終わろうとしていること、日本語による宣教が急務であることなどを話してくださいました。そして妻とともに主の召しを確認しつつブラジルへと遣わされて行きました。

今こそ重要になった高齢一世への伝道

 現地の日系教会の中心は今三世、四世の時代となっています。ですから当然活動の中心はポルトガル語ですが、私たちが協力させていただいているブラジル・ホーリネス教団の教会の多くは日本語部があり、一世の方々を対象にしたプログラムもあります。デイケアのように教会でおじいちゃんおばあちゃんが集まり、一緒に賛美歌、童謡、唱歌などを歌ったり、体操やゲームをしたり、工作などをしたりして交わりを持っています。普段家にいると日本語を使う機会がない方が多く、その交わりの時を楽しみにして来られます。また教会における敬老会なども地域の方々と接点を持ち、福音を伝える大切な機会となっています。

 感謝なことは、そのような年配の一世の方々への宣教の働きを教会が重荷を負い、また若い世代の方々が祈り支えているということです。一時期はもう必要ないと考えられていた日本語による宣教の働きを、最後まで担おうという思いの中で働きができることは幸いなことだと思っています。

 そのような祈りと働きの中で、私たちが三年目に遣わされたカンポグランジ教会では、九十歳を超えた方が救いへと導かれました。

 一人は沖縄から移民で来られ、七十年もブラジルで過ごしてきた島袋さんで、九十三歳でイエス・キリストを救い主として信じ、受け入れました。それから半年後病気で倒れたのですが、容態が悪くなったと聞き駆けつけた時には、苦しみに耐えながら日本語の話せる私たちを待っていたかのようでした。そしてイエス様にあって天に帰る場所があることをもう一度話すと何度もうなずき、私たち夫婦の頭をなでてくれました。息づかいも荒い中、島袋さんは賛美を聞きながら穏やかになり、その晩静かに天に召されて行きました。島袋さんが歩んできた人生を想いながら、神が愛されるいのちの重みを私たちは感じていました。

 もう一人は福島から渡って来た大泉さんで、ブラジルに来て何一つ良いことがなかったと、いつも娘さんに話していた方です。体調を崩し、もう死を覚悟した時に、以前日本人牧師が何度となく訪問し話しをしてくれたイエス・キリストを信じようと決心されました。私たちが初めて会った時は、弱々しくもう長くない印象を受けたのですが、その後歩けるまで元気になり、家庭集会で会うたびに「ありがとう。ありがとう」といつも笑顔で迎えてくれるようになりました。

 移民の方々の歩んで来た歴史を聞くと、それぞれに本当に多くの困難と痛みがあることがわかります。ブラジルを選び生きながらも故郷をなつかしむ人たちの心にいつも接します。神様はそのような一人一人のたましいを覚えておられて、そこにイエス・キリストにある本当の救いと慰めを届けようとされていることを覚えます。それは、迷子の羊を捜しに行く主の熱心です。そして、多くの困難の中で広大な大地を切り拓き、生き抜くために流してきた涙と祈りを主が覚えていてくださったのだと思います。

私たちの痛みを知り祈り続けてくださる主

 私はLYRE(リラ)という賛美グループで十五年活動してきましたが、今回一時帰国中に新譜を録音する機会が与えられました。その中に「いつまでも祈りとなって」という曲があります(CD「かけがえのないもの」)。これはブラジル移民百周年を記念して作ったものです。

 「見上げる空は変わらず愛の広さを映す
 涙ながらに祈った想いを知って包み込む
 風よ伝えておくれ あの日の祈りの声を
 今はあなたのその胸に響いているでしょうか
 あのなつかしい声が」

 私たちが生きるために、どれだけの祈りが積まれ、私たちが永遠のいのちに生きるために、どれだけの祈りが捧げられてきたのかと思います。何よりも主イエスご自身が絶え間なく祈ってくださっています。私たちもその祈りを受け継いで生きたいと心から願います。そしてその祈りがいつまでも、ブラジルでも日本でも、そして世界中でも捧げられていくことを信じて。

 「わたしは、……彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている」(出エジプト3・7)。

塚田献師プロフィール

1969年 新潟県に生まれる1987年 洗礼1997年 東京基督教大学卒業2002年 南米日系人宣教の召命を受ける2004年 南米宣教会・ブラジル宣教師として出発。グァルーリョス教会・協力宣教師に2007年 カンポグランジ教会・協力宣教師2007年末 宣教報告・休養のため帰国 2008年末 第2期目出発予定。カンポグランジへ

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