近藤由美
「あなたはどうして今のご主人(奥さん)との結婚を決めましたか」と質問すると、「~のみことばが与えられたから」と答える人が、女性には多い気がします。それに満足できない私が、「ご主人(奥さん)のどんなところに惹かれたのですか」と再度尋ねると、急に困惑してしまう人が多いのに少し驚きます。そして結婚後しばらく経った人から、「相手の~なところに悩んでいる」などという相談を受けたりすると、私は、そんなことも知らないままに結婚を決めた人の無謀さに、感心してしまうのです。
一生を左右する結婚であるゆえに、祈りはふだんにも増して大切なことであることは承知していますが、結婚することになるかもしれない人に出会っている時に、みことばが与えられるか否かを重要視するあまり、目の前にいる人を知ることが二の次になり、自分自身が決断することを、不信仰であると考えるなら、むしろ神さまのみこころを悲しませている気がします。神さまが、人に、生涯を共にする伴侶を備え、与えてくださるという信仰は、目の前に登場した人をじっくり観察して、自分との相性を自分自身が確かめて決断することを否定するものでは決してないと私は思っています。かえってそうすることこそ、人格的な存在として造られ、信仰が与えられた者の務めだと考えます。
おみくじを引いて、大吉が出るなら結婚するというのと、みことばが与えられたなら、結婚を決意するというのは、主体的な決断から逃げる(他人任せにする)という点において、似通っているように思えて仕方がないのです。
ですから、もしも心を惹かれる人が現れたなら、ぜひ、その人とデートすることをお勧めします。それも良質のデートを。その人についての客観的な情報がいくら多くても、信仰の立派な先輩がたのお墨付きを得ても、その人に向き合い、その人自身を感じ、とらえるのは、自分自身です。その人を「知りたい」と思える(願える)なら、その人に会ってみることです。明るい陽の差す場所で、気持ちを楽にしてその人と話せる所を選ぶとよいでしょう。
「デート」というと、すぐに映画を見たり、コンサートに行ったり、という出会いのための小道具の部分をまず考えるかもしれませんが、好感を持ち、心惹かれている人がどんな人であるかを知り、その相手に自己紹介をして自分を知ってもらうには、会って、共に話してみることです。その人が、自分にとって心を通わすことができる相手かどうかを知るには、「言葉」を交わして確認していかなければならないのです。これには近道はありません。ややもすれば妄想のうちに、自分勝手に相手を作り上げていたり、外見に惑わされて、その人の人となりが見えていなかったりするものです。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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