「幸いな人」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します
99・5・23

「幸いな人」

村上 伸
詩編 23編; マタイ 5,1-12

 

みんなは、どんな時に「ああ、幸せだなあ」と感じるだろうか。

大好きな友達と一緒にいる時。入学試験に合格して、希望した学校に入れた時。多分、一番身近に感じるのは、お母さんが作ってくれたカレーとか、大好きな食べ物が出た時だろう。みんなニコニコしている。私は、皆で一緒に食べるすき焼きなどが嬉しい。特に、だんだん煮詰まって来た所へうどんの玉を入れて、味の染み込んだのをフウフウ言って食べる時なんか、とても幸せだ。チーズ・フォンデユの時なども、みんなが食べ終わった後、最後に鍋を抱えて、底にこびりついたチーズをスプーンか何かでこそぎ落として食べる時など、もう最高だ(誰だ、よだれを垂らしているのは?)。

でも、幸せだなあと思っていても、それが長続きするとは限らない。大好きな料理を「おいしい、おいしい」といってパクパク食べて、食べ過ぎてお腹が痛くなって、「苦しいよう」と泣くことだってある。

とても残念なことだけど、私たちが今感じている幸せは、いつまでも続くわけではない。イエスさまのお話の中にこういうのがある。

ある小父さんが物すごくお金を儲けた。「しめしめ、これでもう心配ない。何でも好きなことができるぞ。幸せだなあ」。そしたら、その晩、その小父さんは急に死んでしまった。私たちは、ずっと長く幸せでいたい。すぐ消えてしまうような幸せは、つまらない。でも、それは無理かもしれない。

 

ところが、さっき教会学校の生徒たちが読んでくれた聖書に出てくる「幸せ」は、普通の幸せとは違って、すぐ消えてしまうということはないみたいだ。今は悲しい。苛められたり、いろいろ辛いことが今はあるかもしれない。でも、神様の教えに従って一生懸命生きていれば、最後には必ず、神様の下さる幸せ、いつまでも続く幸せが来る。「天の国はその人たちのものだ」というのは、そういうことだ。

「神様の教えに従って一生懸命生きる」というのは、どういうことか。三つだけ挙げる。先ず「心を貧しくする」こと。つまり、威張らない。次に、「柔和である」こと。つまり、力ずくで人に言うことを聞かせようとしない。それから、「平和を実現する」。これは、どんな人とも進んで仲良くするということだ。このように生きていれば、今は苦しいことがあっても、神様は必ず祝福して下さる。そしてそれは、目先の、すぐ消えて行く幸せではない。永遠の幸せだ。これが神の約束なのだ。



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