ここ何回か「罪の告白と赦し」という主題で説教して来たが、このシリーズは今日で一応終わりにしたい。今日は旧約聖書の代表的な「罪責告白」を取り上げる。サムエル記下 12章と詩編51編である。
この前提になっているのは、ダビデ王が部下の将軍ウリヤの妻バト・シェバに横恋慕し、彼女を手に入れるために夫ウリヤを前線で戦死させたという有名な話である。先ず、その出来事を詳しく報告した11章2-17節を読もう。
この事件があってから間もなく、ダビデに仕えていた宮廷預言者ナタンが王に拝謁を求めて来た。そして、「富める男と貧しい男」の物語をする。12章1-4節。
この話を聞くと、ダビデは激怒し、「そんなことをした男は死罪だ」(5)と叫ぶ。するとナタンは王に向かって、「その男はあなただ」(7)と言う。自分がやったことを棚に上げて他人を裁くダビデの自己欺瞞を、ナタンはこういう仕方で仮借なく暴いたのであった。恐ろしい指摘だ! 読む者は全身に鳥肌が立つような戦慄を覚えずにはいられない。しかも、預言者の追及には容赦がない。12章7-12節。ダビデは「ぐうの音も出ない」ところまで追いつめられる。そして遂に、絶大な権力を持つこの王が一介の預言者の前に崩れおれて、「わたしは主に罪を犯した(13)と告白するのである。
今日交読した詩編51編には、「ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき」という注がある。多分、ダビデ自身の作ではないだろうが、このような詩が作られたこと自体、この出来事が後世の人々の心に深い印象を残したことを物語る。特に3-11節は、彼の心情をよく代弁するものだ。
さて、この物語についていくつかの点を考えたい。
先ず、人間の「身勝手さだ。これは、すべての人間に共通の傾向である。「我が身可愛さ」から、我々は自分に対してはどうしても甘くなる。イエスが「山上の説教」の中で、「兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか」(マタイ7,3)と言われたように、我々は他人の過ちはどんなに小さなものでも厳しく追及するくせに、自分の罪にはひどく鈍感だ。仮に気づいていたとしても、なるべく「口を拭って済まそうとする。聖書の中で最も尊敬される人物の一人であるダビデですら、この「身勝手さに囚われていた。「罪の告白」には、この「身勝手さ」を自覚するということが伴っていなければならないだろう。
次に、もっと大切な点を指摘しておきたい。「わたしは主に罪を犯したと罪を告白したダビデには、正にそのことを通じて救いへの道が開かれた、ということである。ナタンは、「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる」(13)と告げる。コリントの信徒への手紙二 7,10に、「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします」とあるのは、そのことを意味しているのである。
そして、これは教会についても言えることだ。地上の教会は決して「栄光の教会」ではなく、過ちを繰り返す。このことを思って「心の深い痛み」を感じない信者はいないであろう。だが、この痛みこそ、再生への道なのだ。
「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白(1967年)の中に、次のような一節がある。
「『世の光』『地の塩』である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛するが故にこそ、キリスト者の正しい良心的判断によって祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外に向かって声明いたしました。まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪に陥りました。わたくしどもは『見張り』の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります」。
今引用した部分が「戦争責任告白」の心臓部である。この告白を全体にわたって仔細に検討すれば、いろいろ批判されねばならない所もあるであろう。だが、少なくともこの部分に関して、その真実を疑うことはできない。そして、この「心の深い痛みこそ教団を再生に導く神の恵みなのではないか。このことを忘れてはならない。詩編51編にも、「打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」(19)と言われている。我々はこれを信じよう。
最後に、預言者の役割について一言したい。預言者とは、神の言葉を「預かって」それを社会の中で語り伝える存在である。ナタンはその任務に忠実だった。ダビデ王に対しても、彼は歯に衣着せずに直言した。時の権力者に阿らず、ただ神から示された真実を語るのが預言者なのである。
そして、教会には預言者的な使命が与えられている。「戦争責任告白」が「世の光・「地の塩について、あるいは「見張りの使命について述べていること、我々は心に刻みつけておきたい。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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