主よ、どうか希望を与えたまえ ◆三月十一日から止まった時間

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

佐藤彰 氏
保守バプテスト同盟 福島第一聖書バプテスト教会牧師

その著書が出版されたのは、東日本大震災の直後。奇しくも三月十一日が誕生日という著者の佐藤彰師は、福島第一原発から五キロ圏内の福島第一聖書バプテスト教会牧師であり、震災後には避難退去を余儀なくされた。
会津に続き、山形県米沢へと教会員たちと避難し、「どうやって食糧を確保し、生き延びるか」に腐心し、届けられた食料を日割り計算し、寒さと闘いながら苦闘する中、その本は届いた。タイトルは『順風よし、逆境もまたよし』、帯には「想定外こそ想定内」。
佐藤師は当時を振り返り、「自分でこう宣言した以上、もう逃げられないと思いました。でも、今回の大地震と津波と原発事故は想定外でした。家や教会、そして故郷そのものがなくなるということを想定したことがなかったのです。家族や教会員がばらばらになって、今何が起こっていて、これからどうなるのかの見通しが一切立たず、その時々を生き延びることに精いっぱいの日々でした」と語る。将来はもちろん、明日さえ見えなかった日々。「震災を経験したことで、したたかに生きなければと思うようになりました。これはサバイバルだ。そして主は、やがてすべてを益に変えてくださる。こんなにも痛んだのに、震災の前後で何も変わらないなら、悲しすぎる」
現在は、避難をともにした教会員たち総勢六十人で、東京・奥多摩で生活している。子どもたちは学校に通い始め、新しい就職先を見つけた人もいる。生活は落ち着きを見せ始めたが、それでも「これは夢か、現実か」と、朝起きて、いぶかしがるという。教会から始まった英会話教室、親子の集い「こひつじクラス」や野点、百名ほどの子どもたちが集まる夏のキャンプなど、今年も続くはずだった平穏な日常―。それらすべてを失った喪失感は大きい。
数か月が経った今では、さらに「私たちの地域は、いまだに三月十一日で止まったまま。取り残されていくようで不安だ」と話す人もいるという。

*神の御手に導かれるまま

巨大地震が日本を襲った三月十一日、佐藤師夫妻は福島県双葉郡を離れ、千葉県にある東京基督教大学の卒業式に出席していた。すぐに教会のことが気になり、公衆電話から佐藤将司副牧師や教会員たちに安否確認の電話をかけ続けた。二百名近い教会員のうち、六十名ほどの安否がわからないまま時は過ぎていく。ガソリン不足や道路事情の悪化の中で、福島へ帰る手配がついたのは震災五日目の十五日、原発で大きな水素爆発が起きた後のことだった。
佐藤師は、震災直前の礼拝で「ヒゼキヤ王緊急の祈りの要請」(イザヤ三七章)と題し、王が預言者イザヤに祈ってほしいと要請したできごとを語っていた。そのとき苦難について、「二月にニュージーランドのクライストチャーチで起きた大地震がもし東北で起こったら、一、二年で回復するのは難しいのではないか」と話したそうだ。自らは忘れていたが、後に長女が当時のメッセージをホームページで聞いて知らせてきた。また、福島へ向かう車の中で、次女からメールが届き、「お父さんはこのときのために牧師になったのだと思う。教会の人や故郷の人を私の分まで励まして」と言われたという。
「そして直後にこのタイトルの本が出版されたということにも、不思議な導きを感じています。『水の上を歩きなさい』と言われているような」。不思議といえば、妻のちえ子さんも二十年以上前から、教会員が一緒にバス旅行する夢を何度も見ていたという。それが正夢になったかのように、福島へ戻った佐藤牧師たちは、その後、約六十名の教会員たちとともにノンストップの「流浪の旅」を始めることになる。

*ふるさとを追われて

津波や地割れ、家屋倒壊など死と隣り合わせの中を生き延びた教会員たちは、避難所へと避難した。「『ひどいじゃないか。神様は信じられない』と言う人がいてもおかしくないと、当初考えました。けれども皆は口々に、『神様に救われた』『イエス様を身近に感じた』と報告するのです」。かえって感謝する人が多かったという。
だが、ダメージも思いのほか大きかった。ある日、支援物資をほかの避難所に届けようとした佐藤師は、避難所の雑踏に耐えきれず、思わず外へ飛び出してしまった。「自らが枕するところがなく、ほかの人を助けることの限界を感じました。自分も傷ついているのだということを知ったのです。家内も食事していたら味が消え、風景がモノクロに見えたり……」
双葉郡の人々は一、二時間で戻れる、遅くとも明日には帰れると考え、着の身着のままバスや自衛隊のトラックに乗り込んで避難所へ来ていた。だが、いつになっても帰宅できる気配がない。離れ離れの家族とも再会できるようになり、転々とする避難所生活に疲労の色が濃くなってきたころ、佐藤師は教会員たちとともに集団疎開をすることを決め、バスを手配した。「当初私は、地域が消えたので、教会も閉鎖するしかないと考えました。こんな形で宣教を強制終了するのは納得できないけど、地域がないのではしょうがない。やがて、それぞれの教会員の行く末を見届けたら私の働きも終わると思いました。ところが、一緒に行きたいという人たちが当初予想した十七名を大幅に超え、六、七十名で集団移動することになったのです」。教会員の家族や希望する地域の人たちも乗り込んだ。そこから、不思議な、移動式一年三百六十五日二十四時間教会の旅が始まった。旅の途中で訃報が届き、教会員が天に召されることもあった。一方で神を信じ、バプテスマを受ける人々もおこされた。「夏に受けようと思っていたけれど、明日がどうなるかわからないから」と。くり返された葬儀と洗礼式。そして、毎日の礼拝と初代教会のように物資を共有する共同生活の日々。「教会堂は閉鎖し、組織もプログラムもなくなりましたが、教会は生きていました」
六月に発売された『流浪の教会』には、東京に辿り着くまでの仔細が記録されている。「報道では伝えられない、生々しい体験や緊迫した様子がありのままつづってあります。私たちがどんなふうにおびえ、うずくまり、泣き、そして立ち上がったか。ぜひ、多くの人に、手に取り、読んで欲しいです」

*涙とともに種をまく

福島第一聖書バプテスト教会は福島第一原発ができる前、今から六十年以上も前から、かの地に建つ。「名称も同じく〝第一”とついています。この土地の教会としての不思議を感じています。教会員にも原発で働いている人が多くいます」
原発事故の収束が見えない中での生活は、「希望に至る材料が見えなくてつらい。それでも望んでいます。再び皆であの懐かしい故郷に帰り、教会の扉を開くその日を。かつて捕囚地バビロンから、人々が遠く故郷エルサレムを憧れたように。忍耐力と自己コントロール、神に対する信仰が問われてれています」。共通の関心は、「帰れるのか、帰れるならいつか。避難生活も限界を超えています。よく耐えていると互いに評価すべきかもしれません。家族や家をなくして、生きているだけでもたいしたものだと」。自らが通ってきた道のりを振り返りつつ、言葉を紡ぐ。「悲しみは消えないかもしれません。けれど、悲しみもだえる人にイエスさまが寄り添ってくださる。泣く者とともに、泣いてくださる。私たちは弱いですが、主がご一緒なので……」
そして佐藤師は言う。「苦しみに寄り添おうとしてくれる人々の存在がありがたいです」と。

★ 雑誌「恵みの雨」(現在休刊)での連載を一冊の本にまとめた『順風よし、逆境もまたよし』(1,050円)は、今年4月に出版された。

★ 『流浪の教会』(900円)には、ホームページに掲載された記録や礼拝メッセージ、避難生活をともにする人々の証言が収録されている。

★過去のBOOK紹介
 当時、「30歳という若さで出版することはあまりないと言われました。これも、この震災のためだったと思うことにしました」。20年も前の著書『「苦しみ」から生まれるもの』や、『祈りから生まれるもの』は、そのタイトルにも何か感じずにはいられない。現在は、新版として出版されている。(各1,365円)

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