文学ジャンル別聖書の読み方ガイド 第21回 預言書の解釈 (下)

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

関野祐二
聖契神学校校長

 二千数百年前、その時代を生きる神の民イスラエルに向けて語られた詩的啓示である預言書は、霊感された神のことばとして今日の私たちに何を語るのか。預言の特質や預言者の役割を学び、預言書の歴史的文脈を確かめ、その文学様式を概観したら、次は預言書の内容をどう解釈して私たちに適用するかです。時代や状況は異なっても、預言者の指摘する罪の様相は今日も全く同じで、そのことばは悔い改めを促す力に満ちています。だからこそ、表面的機械的適用ではなく、正しい解釈の手順と注意点の確認が必要となりましょう。

● 立ち位置を考える
○ 予告の多くはすでに成就

 預言書は、預言者が彼と同時代のイスラエルおよび周辺諸国の罪をあばいて悔い改めを求め、差し迫るさばきと救いを予告するのが使信の基本。しかし、その予告のほとんどは、イスラエル史においてすでに成就しており、現代の私たちから見れば過去の出来事なのです。こうした預言を解釈する際に私たちは、自分の立ち位置をまだ預言が成就していない過去へと引き戻したうえで、当時の時代感覚を再現し共有しなければなりません。

 例えば、エゼキエル書二五・三九章は、イスラエルを含む諸国の運命を預言しますが、そのほとんどは数十年以内、すなわち紀元前六世紀中に成就しました。もちろん例外もあって、三七・一五―二八は新契約の時代を描写し、神がメシヤによって祝福を教会に注ぐ預言なのですが、他の大部分は旧約時代に関するもの。ですから、適用をあせらず、立ち位置を過去に動かして慎重に釈義するところから始める必要がありますね。

○ 二つの同心円を横から

 もちろん、近い将来(私たちから見れば過去)の預言が、大きな終末的未来を背景としてセットされ、両者が混じり合っている場合もあります。それは聖書が常に、ある時代における神のみわざを、人類の全歴史に対する神の計画全体という光の中で見るからでしょう。ちょうどそれは、大きな円盤の手前に小さな円盤を離して置き、二枚を正面から重ねて見るようなもの。横から見れば両者に隔たりがあるのですから、解釈する際には私たちの立ち位置を次の歴史へと移動し、俯瞰してみる必要があります。差し迫ったさばきを終わりの日に成就する出来事といっしょくたにし、遠い未来へと押しやってはなりません(ヨエル三・一―三、ゼパニヤ三・八―九、ゼカリヤ一四・九参照)。

○ 終末言語で近い将来が

 なお、預言書に現れる終末的言語はしばしば比喩的で、たいていは終わりの日の出来事を詩的に表現しているのですが、常に終末的出来事の予告とは限りません。例えばエゼキエル三七・一―一四にある枯れ骨復活の描写は、世の終わりに起こる死者の復活という用語を用いて、神がイスラエルのバビロン捕囚からの帰還(前六世紀)を予告しているのです。つまり、私たちには過去の出来事であり、預言書当時の聞き手には近い将来の出来事であるものが、あたかも終わりの日の出来事であるかのように、比喩的な終末的言語で予告されているのです。

● 旧約預言と第二の意味

 新約聖書記者による旧約引用の例は多く、中にはある聖句に、オリジナルとは全く異なる第二の意味を持たせている場合があります。旧約聖書記者を霊感してみことばを書き留めさせた聖霊は、通常の文脈、意図、文体、用語使用を飛び越え、新約聖書記者をも霊感することができたのです。預言書にもその例があるのでご紹介しましょう。ホセア一一・一「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子をエジプトから呼び出した」。ホセア書における文脈は、出エジプトという方法によるエジプトからのイスラエルの救いで、その意図は、いかに神がご自身の子としてイスラエルを愛したかを示すこと。文体は同義的詩的並行法で、「わたしの子」とは国家としてのイスラエルにリンクしており、用語法は比喩的で、イスラエルが「子」として擬人化されています。この旧約聖句の「明らかな」意味によっては、キリストへの言及はなく、マタイ二・一五の引用がなければ、ここはキリスト預言とはなりません。しかしマタイは、ホセアを霊感した同じ聖霊により、別の文脈でメシヤ預言としてこの聖句を用い、全く新しい意味を与えたのです。すぐ後のマタイ二・一八でも、エレミヤ三一・一五が同様に新しい意味で引用されていますから、そちらも参照してください。

● 預言書を読む価値

 神は預言者を通して、イスラエルの民のみならず私たち新約の民をも、正しい信仰/正しい行いというバランスへと召しています(ヤコブ二・一八、エペソ二・八―一○)。神がその昔イスラエルに望んでおられたことには普遍性があり、その集大成である預言書は、契約を施行する神の決意を私たちに思い出させる書として、時代を超えた機能を有しているのです。新契約(二大律法。神を愛し、隣人を愛せよ)に応答するなら、この世が幸せを保証しなくても永遠の祝福。従わないなら、この世でどんなにうまくやっていても永遠の呪いでしかない。預言書は現代の私たちにそう語って止みません。

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