神がおられることを示すひとつの証拠―聖書の内面的調和

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

エホバ神が存在されることや、聖書が神の言葉である証拠はたくさんあります。しかし、今回、神が存在されることを示すひとつの証拠である聖書の内面的調和について説明したいと思います。

「聖書全体は神の霊感を受けている」という言葉が聖書にあります。(テモテ第二3:16)それは聖書の本全体は、ひとりの神の霊の導きを受けて書かれたという意味です。

聖書が書かれた期間はおよそ千六百年で、全部で約四十人の筆記者によって書かれています。聖書を書いた筆記者たちは互いに住んでいた場所が異なり、住んでいた時代も異なっています。しかし、それでも、聖書は内面的に調和しています。

例えば、複数の人が編集する本の中に百科事典があります。百科事典などには、異なった複数の人の意見が掲載されているでしょう。その場合、ある項目の説明と、別の項目の説明が矛盾するということがあると思います。しかし、聖書の場合は、そうではありません。

Prirucnislovnik naucny, encyclopedia in Czech language (encyclopedia1)百科事典は複数の著者がいるので内容が互いに矛盾することがあります

 聖書の驚くべき点は、書かれた時期が何十年、何百年と離れていても、聖書の各書に出てくる語句や概念が互いに調和していることです。 千六百年生きている人はいません。それで、神が、千六百年間、約四十人の人たちによる聖書の筆記を監督されたことが分かります。このことは何世紀も生きておられる神が存在されることを証明しています。エホバ神が聖書の背後におられる真の著者です。

Français : Bible Chouraqui .Djhé(bible90)

聖書は1,600年の期間にわたった書かれたにもかかわらず語や概念が互いに調和しています   例えば、聖書全体でその意味が一貫している語のひとつとして、「嫌悪すべきもの」という語を挙げることができます。「嫌悪すべきもの」という語が最初に出てくるのは、申命記29章17節です。  「あなた方は,彼らの持つ嫌悪すべきものや糞のような偶像,木や石,銀や金など,彼らと共にあったものに見慣れていた。」とあります。

Idolby mynameisharsha (stoneidol)申命記の中で嫌悪すべきものとは木や石の偶像を意味しています

「嫌悪すべきもの」と「糞のような偶像」という語が並列に置かれています。ですから、嫌悪すべきものとは偶像を指して使われています。

そのような意味の「嫌悪すべきもの」は他の書にも出てきます。嫌悪すべきものは、エゼキエル書に8回、エレミヤ書に4回、ダニエル書に3回、福音書全体に3回出てきます。「嫌悪すべきもの」という語を多くの筆者は、明らかに偶像や偽りの神を指して使っています。

例えば、エゼキエル20章8節では、「彼らがその目に嫌悪すべきものをそれぞれ投げ捨てず,エジプトの糞像を捨てなかった」という文があります。ですから、ここでは、嫌悪すべきものとは、「エジプトの糞像」です。

Egyptianidol by Endomental Artistry(egyptianidol3)エゼキエル書の中で嫌悪すべきものとはエジプトの像です

また、列王第一と第二では、嫌悪すべきものミルコム、嫌悪すべきものケモシュ、嫌悪すべきものモレク、嫌悪すべきものアシュトレテという語が出てきます。(列王第一11:5,7;列王第二23:13)ここで、ミルコム、ケモシュ、モレク、アシュトレテとはいずれも諸国民の偶像の神の名です。ですから、ここでは、「嫌悪すべきもの」とは、偶像の神を意味しています。

Figurineof Astarte with a horned headdress, LouvreMuseum(Ashtoreth1)列王記の中では嫌悪すべきものとは諸国民の偶像の神を意味しています

そして、「嫌悪すべきもの」という語句はダニエル書に「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」という語で二か所出てきます。(ダニエル11:31;12:11) そして、その語は、福音書のマタイとマルコとルカの中に見られます。(マタイ24:15。マルコ13:14)イエスは、その語に言及された際、「ダニエル」を参照するようにと言われました。(マタイ24:15)

ダニエル書や福音書で言及されている「嫌悪すべもの」を偶像や偽りの神と解釈するならば、聖書全体をすっきりと理解することができます。それで、聖書全体で、同じ語が同じ意味で使われています。

申命記が書き終えられたのが、西暦前1473年位だと考えられています。エレミヤ書は西暦前580年ごろ、エゼキエル書は西暦前591年ごろ、ダニエル書は、西暦前536年ごろ、書き終えられたと考えられています。

マタイによる書は、西暦41年頃、ルカによる書は、西暦56‐58年頃、マルコによる書は、西暦60‐65年頃書かれたと考えられています。ですから、1500年以上離れていても、同じ語句と概念が見られます。

 エレミヤやエゼキエルやダニエルは当時密接に互いに連絡を取れたわけでもありません。住んでいた場所も違いました。エレミヤはほとんどエルサレムに、エゼキエルとダニエルはほとんどバビロンにいました。

(jeremiah3)

(ezekiel2)エレミヤとエゼキエルは互いに密接に連絡をとれませんでしたがそれでも彼らの語の使い方は調和しています

 それでも、この三つの書は内面的に調和しています。このことは、これらの書を書くにあたって神が監督されて、聖書の理解に必要な部分は調和するようにされたことを意味しています。

聖書全体で、語の意味が一貫している語は、「嫌悪すべきもの」以外にもたくさんあります。ですから、聖書のある語句の意味が分からない場合、他の聖書の本の語句の説明を参考にすれば理解できます。 そのようにして理解できた語句を使って聖書の他の部分を理解できます。そのようにして、パズルを解くように聖書全体を理解していくことができます。

そのように、聖書全体を参照するならば、聖書を正しく解釈することができますし、神が意図された解釈が浮かび上がってきます。

 聖書が実際は一人の著者の書物であることは、よくできた探偵小説を考えれば分かります。探偵小説の場合、著者は最初に犯罪を考えて、その真犯人が最初は分からないようにしますが、小説の各所に問題解決のための伏線を置きます。少しずつヒントを示して、最後に真犯人と、その犯罪がどのように行われたかを明らかにします。

探偵小説の場合、著者が一人なので、そのような書き方ができます。

DSC_0642by horslips5(detectivenovel1)探偵小説は一人の著者によって書かれていて最初は分からなくても最後には真犯人が分かるようになっています

 聖書も分かりにくい部分がありますが、神は聖書が正しく解釈されることを願っておられるはずです。神は正しい解釈のためのヒントを聖書の各所にちりばめられておられます。聖書も一人の著者によって書かれたよくできた探偵小説のようです。その真の著者は神なのです。

 しかし、このように聖書が書かれた場所や時代が異なっていても、聖書の各本が調和していることを、ある人は、聖書の筆者たちは以前に書かれた記述を厳密に調査して、同じ意味で書き記したのだと考える人もいます。

 それもあり得るでしょう。聖書の筆記者たちは、聖書をよく読んでいて、聖書の語の意味について共通な理解を持っていたために、聖書全体で語句の使い方が一貫しているのかもしれません。

 しかし、もし、そのように多くの筆者が以前に書き記された記述を厳密に継承していったとしたら、聖書の以前の記述がそれだけ尊重されていたことになります。聖書の記述や概念がそれだけ慎重に継承されていったということは、聖書の筆記者たちが聖書の記述を真実であることを認めて尊重していたことの状況証拠となります。 

このことは聖書の記述の信頼性を高めるでしょう。つまり、聖書に書かれている出来事は本当に起きた出来事なのです。

それで、聖書は神が人間に与えた神の言葉、神の音信です。聖書の内面的調和は歴史を通して神が存在しておられたことを証明しています。

神はご自分が人間に伝えたい音信があって、聖書全体を筆記させました。しかし、神は、聖書の意味をご自分に信仰を抱かない邪悪な人々から隠しておきたいと考えられたのではないかと思います。(箴言25:2)

そして、人間がご自分の言葉を探求することを望まれました。努力を払って探求する時に、神が人間に伝えたいと考える音信が分かってくるようにされたのではないかと思います。(箴言2:3,4)

ChristopheMeneboeuf - Personal work. More photos related to Boliviaand Peru on my photoblog: http://www.pixinn.netMiner in a mine of the "Cerro Rico" at Potosi,Bolivia.(miner1)聖書は宝探しをする鉱夫のように探求するなら理解できるようにされています

 聖書は、私たちの時代にとっても重要な音信を伝えています。聖書は私たちが、この終末の時代に救いを得るために書かれています。とりわけ、近づく大患難をできるだけ多くの人が生き残ることができるように、聖書は私たちの時代に重要な音信を伝えています。 是非、神の霊感を受けている本として、聖書を丹念に調べていきましょう。

JanBraet von Überfeld. Portraitof a young woman with Bible. 1866. (biblereading20)聖書の背後に神がおられますー神の言葉聖書を探求していきましょう

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