連載 リラ結成30年 いつまでも賛美をこの口に 第3回 帰り道 宮脇(若林)栄子

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

LYRE(リラ)
1993年に東京基督教大学の神学生たちによって結成された賛美グループ。卒業後、コンサート活動をしながら、6人のメンバーは各々のところへ遣わされ、主のみわざに励んでいる。

 

「帰り道」という曲は、LYREのコンサートをする時に、最後に歌う曲としてよく選んでいる。コンサートに来られた方の帰り道が、その先の人生の歩みが、神様に守られるように、そう祈りを込めながら、いつも賛美をしている。
この曲を作った時を思い出す。実家の小さな四畳半の部屋で、床に置いたキーボードを弾いていた。たぶん二十六歳くらいだったかと思う。
心と体のバランスを崩し、伝道師を辞めた私は、実家に帰りしばらく静養していた。成し遂げられなかった、という苦々しい思いを引きずりながら、でも何もしないでいるわけにもいかず、求人広告で見つけたアルバイトをすることにした。
喫茶店のホールスタッフとして見習いからスタートした私は、よくミスをし、指導係に叱られた。
「言われたことを理解していない。周りが見えてない。」仕事のことで注意されていたのだが、まるで自分自身が否定されているような気持ちに何度もなった。情けなくて涙が込み上げ、人に悟られないよう慌ててトイレに駆け込んだこともあった。
仕事終わりの帰り道。電車へ乗り遅れないように急ぐ人たちに交ざりながら、自分も自然と早歩きになる。そんな姿が、まるで人についていくのが精一杯な今の自分自身を映すようで、悲しくなった。
夜になると、布団の中で「明日仕事に行きたくない。私は何をやっても上手くできない。他の人のように上手に生きられない。」そう思いながら涙をこぼしていた。夜の暗闇がいつまでも続き、希望の朝が来ないような気がしていた。
そんな私の心の中に、フッと浮かんできた言葉があった。「明けない夜はない。」何かで読んだのか、誰かが言っていたのか、覚えていないけれど、暗闇の中に差し込んだ一筋の光のような言葉に私は慰めを覚えた。
確かそんなみことばがあった。私は聖書を開き、詩篇を読んだ。
「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。」(詩篇 30・5 口語訳聖書)
聖書の中に自分の姿を重ねてみる。今まさに「よもすがら泣きかなしんでいる」私に、神様は「朝と共に喜びが来る」そう語ってくださった。みことばによる励まし、それは暗闇の中の希望の光、明日への力となった。
「今日がたとえ涙で終わっても 朝の光はこの心を照らす。」そのフレーズをメモしたノートを開き、四畳半の部屋で四十九鍵の小さなキーボードを弾きながら作った曲。
曲名は涙を堪えて歩いたあの日の「帰り道」。

 

帰り道
詞/曲  若林栄子

ほんのささいなことで
傷ついてしまう私は
とても小さく

こんな多くの人が
足早にすぎて行く中を
流れて歩く

生きてゆく
ただそのことが
むずかしく思う夜だけど

今日がたとえ
涙で終わっても
朝の光は
この心を照らす

私たちが
見上げるその方は
ここにおられる

いまわたしのうちに
いまあなたのうちに

© Eiko Wakabayashi

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Emmanuel

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