神は信じているのですが、なぜキリスト教の神でないといけないのか、分かりません。

私たちは聖書を唯一の土台とする、プロテスタントのキリスト教福音団体です。

#41. 神は信じているのですが、どうしてキリスト教の神でないといけないのですか。

Q. 質問

私は、神様の存在は信じているのですが、なぜ、キリスト教の神でないと救われないのか、その理由がわかりません。どの宗教でも、結局は同じ目的地にたどり着くのではないのですか。

A. 回答

この方の質問は、別の質問に置き換えると、このようになると思います。「キリスト教と他の宗教は、どこが違うのか」。キリスト教と他の宗教の違いが確認できれば、キリスト教でなければならないということが分かるはずです。そこで今回は、キリスト教と宗教一般の違いについて、3つのことを申し上げたいと思います。

1番目に、宗教一般は、どうすれば「神」や「真理」に近づくことができるのかを教えるものです。

ですから、宗教一般の中には、「こうしたらいい」、「こうしてはいけない」、「こう考えたらいい」、「こう考えてはいけない」、といった教えの体系があるわけです。そしてそれを、信者は実行していくわけです。宗教一般が教える救いの特徴は、「業による救い」です。これは、非常に重要なポイントです。

キリスト教の場合は、救いの構造の方向性が、他の宗教とは全く異なります。つまり、「人が神に手を伸ばした」(宗教一般)のではなくて、「神が人に手を差し伸べてくださった」(キリスト教)ということです。この教えの背後には、「人は自力救済が不可能だ」という人間観があるわけです。神が人に手を差し伸べてくださった。これがキリスト教の第一のポイントです。

2番目に、宗教一般は、「哲学的思索」の結果生まれたものです。それに対して、キリスト教は、「神の啓示」によって成立したものです。

つまり、神が歴史に介入し、ご自身を人類に啓示されたということです。その歴史的記録が、聖書です。ですから、クリスチャンは「聖書のみ」という原則に立つわけです。聖書は、歴史書であり、神による啓示の書です。

3番目に、キリスト教は、人類の歴史上で起こった、ある驚くべき出来事を土台として生まれました。その出来事とは、「キリストの復活」です。

キリストは十字架上で死に、墓に葬られ、3日目に復活されました。復活の出来事は、キリストのことばの信頼性、また、聖書のことばの信頼性を証明するものとなりました。

弟子たちは、キリストの復活の目撃者として、自分たちの体験を記録に残しました。それが、新約聖書の内容です。

以上の3点は、キリスト教が宗教一般とは明確に異なる点です。

あなたも、ぜひ聖書を開いて、神からの語りかけを心に受け止めてください。神はあなたを愛しておられます。

参考になる聖句

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』」(ヨハネの福音書14:6)

「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです」(使徒の働き4:12)

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

Buy Now

bible verses about welcoming immigrants

Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......

Blog
About Us
Message
Site Map

Who We AreWhat We EelieveWhat We Do

Terms of UsePrivacy Notice

2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.

Home
Gospel
Question
Blog
Help