私の友人に、自殺願望のある人がいます。よく、自殺は聖書的には罪だと耳にしますが、詳しくはわかりません。聖書は自殺についてどう教えているのでしょうか。
いつものように3つ申し上げます。
1番目に、人がいつどのようにして死ぬかを決めるのは、神です。
なぜなら、命は「神からの賜物」だからです。プレゼントです。ヨブ記1章21節には、こういう有名なことばが書かれています。
「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(ヨブ記1:21)
2番目に、そこから出てくる当然の結論はこれです。自殺は、神の権威への挑戦です。
自殺というのは、聖書的には殺人です。加害者と被害者が同じだというだけで、これが殺人であることに変わりはありません。ですから、自殺は「罪」です。
さらに、自殺は周囲の人たちに、「癒しがたい傷」を残します。愛する者を自殺で失った人たちの悲しみは、いかばかりでしょうか。悲しむだけでなく、自責の念に駆られる人も出て来るでしょう。
3番目に、聖書には「自殺願望」を抱いた人たちが登場します。
例えば、ソロモンという王様が、このように言っています。
「私は生きていることを憎んだ」(伝道者の書2:17)
ソロモンは、全ての富や名声を手に入れた後、空しくなって、「もう生きているのが嫌になった」と言っているのです。
預言者エリヤという人もこのように言っています。
「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから」(列王記第一19:4)
エリヤの場合は、「燃え尽き症候群」ですね。彼は、勝利した後、虚脱感に襲われたのです。
ソロモンとエリヤは自殺願望を持ったのですが、幸いなことに、自殺しませんでした。エリヤの場合は、休息を与えられ、食物を与えられ、そして同僚、つまり友人を与えられたのです。ソロモンの場合は、空しさの彼方に何を見たかというと、「神を恐れること」です。人生というのは、神を恐れ、神とともに生きるところに意味があるのだということを、学んだわけですね。
今、このメッセージを聴いている皆さんの中にも、自殺の可能性を考えている方、あるいはそれが頭をよぎっている方がいるかもしれません。申し上げたいのは、私たちには「選択肢は1つしかない」ということです。「生きることを選ぶ」、「命を選ぶ」ということです。そう決断したなら、必ず「逃れの道」が用意されます。
ですから、聖書を開いてください。教会の扉をノックしてください。イエス・キリストというお方が、あなたを助けてくださいます。「命」を選びましょう。
「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです」(詩篇139:13)
「母の胎から出て来たときのように、また裸でもとの所に帰る。彼は、自分の労苦によって得たものを、何一つ手に携えて行くことができない」(伝道者の書5:15)
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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