「福音」とは何か(関野祐二師ゲスト投稿 その4)

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

(その1 その2 その3)

関野祐二先生によるゲスト連載、今回は物語神学について語ってくださいます。

「『福音』とは何か」の四回目は、「福音の物語」です。これまで述べてきたように、「福音」は「十字架による罪からの救い」のような単純化された表現だけでは言い尽くせない、豊かな内容を包含する概念。これを、旧新約聖書を貫く壮大な神の物語として説明するのが、物語神学による福音提示です。つまり、聖書を形作る諸要素、教理を支える証拠聖句をいったんバラバラにし、聖書論/啓示論から始まり終末論に至る聖書教理の枠組みに従い再構成した上で、主に救済論から「信仰義認」を核とした救いの使信を抽出する従来型の福音理解ではなく、聖書に啓示された神の物語そのもの、王なる主イエスの物語全体を福音と考えるのです。以下、近年邦訳出版された、『神の物語』『福音の再発見』という二冊の本を取り上げましょう。

マイケル・ロダール著(大頭眞一訳)『神の物語』(日本聖化協力会出版委員会、2011年、Michael Lodahl, The Story of God a narrative theology second edition, Beacon Hill Press, 2008)は、そのものズバリのタイトルで、いわゆるウェスレアン・アルミニアン神学の伝統をベースとし、物語神学で編まれた聖書全巻の手引きです。異なる神学の伝統にある方々は、ウェスレーの名まえが度々出て来ることに多少違和感を覚えるかもしれませんが、基本的にはたいへん読みやすく、「聖書はこんなにわかりやすくおもしろい書物なのか」と感動する、目からウロコの内容だと思います。実はこの書、従来型アウグスティヌス的伝統に基づく西方神学や、聖書の字義的解釈を基本とする福音派の伝統に慣れたプロテスタント信仰者にとっては、かなり斬新で思い切った考え方や聖書理解を凝縮した形で随所に取り入れています。たとえばそれは、創世記の解釈や原罪教理の扱い、人間の自由理解、東方神学の再評価などに現れているのですが、ここで詳細を論じるよりも、まずはご自分で読んでみることをお薦めします(この点に関してはアウグスティヌスの体験に倣い、「取りて、読め」ですね!)。本書は興味本位や騒ぎを起こすためにこうした新しい考え方を取り入れているのではなく、旧新約聖書を神の物語として読んだら、結果的に読み方が刷新されたという実例とも言えましょう。換言すれば、聖書全体の使信を記述する上での従来型構成と枠組みは、ある意味で聖書本来の表現形式をいったん無視し、素材をばらばらにして論理的に再構成した人工的産物なので、それが聖書のメッセージすなわち本来の福音を侵食やデフォルメしてこなかったか、問い直すべきはこちらなのかもしれません。

聖書を神の物語として読む本書が全体として強調し、読者に理解と参与を要請するのは、聖書全巻を貫く神の契約を実現する器として人が神に用いられる「神人協働説」(synergism)です。これは、「原罪によって善に対し無力となり、自由意志も正常に機能しなくなって、十字架の一方的恵みにより、日々罪の悔い改めをしつつ神のみこころを探り求めて生きる信仰者の従来型ライフスタイル」から、「先行的恵みと十字架への信頼による罪の赦しと復活を足がかりに、神の物語に自由意志を最大限に用いた神との協働によって参画し、契約に基づく神の国前進のため神とともに歩み、委ねられた被造物統治/管理を責任をもって実行していく新しい生き方」への転換と表現できましょう。ですから、前回と前々回に述べた被造物統治/管理&自然理解と親和性が高いのは当然の帰結です。聖書解釈や個別の神学的諸課題は今後の研究と議論に委ねられるとしても、こうしたパラダイム転換は、真の福音を理解した上で人間に与えられた使命を全うするために不可欠な挑戦と考えられます。そう、福音とは単に聖書教理を抜き出し理解することで得られる抽象論や概念ではなく、福音に生かされている者が神の使命を全うすること、それ自体が福音を構成しているのです。

スコット・マクナイト著(中村佐知訳)『福音の再発見――なぜ“救われた”人たちが教会を去ってしまうのか――』(キリスト新聞社、2013年、Scot McKnight, The King Jesus Gospel: The Original Good News Revisited, Zondervan, 2011)は、物語神学に基づきつつ、従来型「罪からの救い」との福音理解に再考を促し、パラダイム転換を迫る書です。信仰義認と「救いへの決心」の強調によって個人的な罪の処理法に特化され矮小化された福音は、旧約イスラエル物語の成就また結論としての王なるイエス、復活の主への弟子化を妨げ、我々を福音派(evangelical)ではなく救い派(soterian)におとしめてきたと著者は強調します。ですから私たちには、「地獄への恐怖より逃れる天国行きの福音」から「神の国の王なるイエスに仕え、地を治める使命に生かされる福音」への転換が求められます。イスラエルの物語、イエスの物語において語られてこそ、救いの福音は意味をなすのであって、イスラエル物語を完成させる十字架と復活のイエスが、すべての主、神の国の王である、この宣言こそが福音なのです。福音に生きるとは、地上に先取りされた御国で王なるイエスに仕えること。となれば、物語において重要となる要素は、メシアである王、王の民、王の土地でしょう。

マクナイトは、ジョン・ウォルトン著『創世記1章の失われた世界――古代宇宙論と起源に関する議論――』(邦訳未刊、John H. Walton, The Lost World of Genesis One: Ancient Cosmology and the Origins Debate, IVP Academic, 2009)を引用し、次のように述べます。「それは、創世記1章の創造の説明は、世界を壮大な神殿(宮)として描写するものだということである。神は人間をご自身の宮に置かれる。しかしそうするとき、神は人間をご自身のエイコン、つまり神のかたちを担うものとされる。人間の責任は、神、自分自身、他者との間に関係を持つことであり、また神とともに支配する者として、神の宇宙的神殿における神の御臨在の仲介者として、世界とかかわることである。...創世記3章のいわゆる「堕落」は、単に神の命令に背いた罪の行為だとか道徳的過失だというものではない。それは、私たちに与えられた、王として、祭司としての基本的な役割に対する裏切りなのである。...私たちが罪人だったことだけが問題だったのではない。私たちは神の園における簒奪(usurpers 訳注:本来その資格継承の地位にないものが、皇帝や王、政治の実権などの権力を不当に奪取すること)者だったのだ」(194-195頁)。

結論としてマクナイトは、知識として聖書を知るのではなく、私たちが自分を形づくる物語として聖書を知り、「神の物語の民」となるべきことを提案します。「福音とは、イエスの物語によって完成されたイスラエルの物語を、自分の物語にすることなのである。この『物語の形になっている福音』を自分のものにするためには、まず『聖書の物語の民』になる必要がある」(217頁)。次に彼は、「イエスの物語の民」になることを勧めます。福音はイスラエルの物語がイエスの物語で最終的な完結にいたることだから、四福音書を読み込み、そこに浸り、イエスの物語を自分の中にしみ込ませるべきなのだ。最後に彼は、「教会の物語の民」になるべきことを語るのです。「使徒たちの書いたものが、イスラエルの物語とイエスの物語をいかに次世代に、また異なる文化に伝えたのか、そして当時の世代がいかに私たちの世代にまでつながっていったのかを見る必要がある。...イエスは、自分の物語は教会の物語として継続するものであることを、明らかに弟子たちに語っていた。...これは、新約聖書の使徒たちの書き記したものを読むという新たな決意から始まる。使徒行伝から黙示録までである」(220-221頁)。

ロダールやマクナイトに触発され想起するのは、主イエスが復活後、エマオに向かう二弟子とともに歩きつつ、「モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた」(ルカ24:27)、あの忘れられない場面です。主イエスはまさに主の物語、すなわち天地創造とアブラハムの召命から始まるイスラエルの物語が、ご自身の十字架と復活により完結した物語を語ったのでした。そこにはアブラハム契約の結論および成就としてイエスの信実(faithfulness of Jesus)があり、この信実に信頼することで、あの二弟子は自分の物語を主の物語の中に書き込み、教会の物語を始める任を負ったのではないでしょうか。

「『福音』とは何か」、次回を最終回といたしましょう。

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