「命こそ宝」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

今月21日から24日まで、十数名の方々が「平和研修旅行」のため、沖縄を訪れる。これは一部の人たちの「物見遊山」ではない。沖縄は、東アジアの平和にとっても日本の教会にとっても、重要な所である。行く人にはその現実に触れ、いろいろな人々と出会い、問題を共有して来て欲しい。教会としても、今後共に考えていくきっかけにしたい。今日の説教では、そのことを念頭において語りたい。

今回のことを契機に、私は阿波根昌鴻(あわごん・しょうこう)という人物が書いた2冊の本『米軍と農民』(1973)、『命こそ宝』(1992、いずれも岩波新書)を改めて読み直した。深く教えられるところがあった。

阿波根さんは、「たぶん」と本人が書いているが1903年に沖縄本島の本部町で生まれた。17歳の時に洗礼を受け、その後移民としてキューバに渡り、ペルーでも働くなど9年ほど苦労し、1934年に帰国してからは伊江島で暮らした。1945年4月、あの苛烈な沖縄戦を彼はこの島で体験している。沖縄全体で20万人以上の日本人が死に、その内、沖縄県民の死者は12万人を超えた。人口7500人の伊江島でも1500人の島民が命を落した。犠牲者を出していない家は一軒もない、と阿波根さんは書いている。彼の一人息子も沖縄本島の戦闘で死んだ。彼にとって、辛く悲しい前半生である。そして、戦争が終わった後も苦しみは終わらなかった。

戦後、最初のうち阿波根さんは「アメリカとはすばらしい国だと思った」と書いている。「死んだ母親のそばに赤ちゃんが生きていると、これを助けて来てミルクを飲ませる。一人も虐殺しない」。日本軍と大違いである。

ところが間もなく、米軍もひどいことをすることが分かった。1953年、朝鮮戦争が終わった年に、米軍は伊江島の住民から有無を言わさずに土地を取り上げて基地を拡げ始める。「この土地がなくなると生活できないと、手を合せてお願いする農民を縛り上げて半殺しにする」。この居丈高なやり方を見て、阿波根さんら島の住民が立ち上がる。粘り強く交渉し、人権を守る闘いを続けて、遂にはかなりの程度まで譲歩させることに成功した。『米軍と農民』は、この実践の感動的な記録である。

その中に、米軍に陳情する時の「陳情規定」というものが載っている。1)反米的にならないこと。2)怒ったり悪口を言わないこと。3)正しい行動をとること。ウソ偽りは絶対語らないこと。4)会談の時は必ず座ること。5)鎌、棒切れその他を手に持たないこと。6)耳より上に手を上げないこと。7)大きな声を出さず、静かに話す。8)人道、道徳、宗教の精神と態度で折衝し、道理を通して訴えること。9)軍を恐れてはならない。10)人間性においては、生産者である我々農民の方が軍人に優っているという自覚を堅持し、破壊者である軍人を教え導く心構えが大切であること。

これは堂々たる文章だ。この規定を作ったのは誰かとよく聞かれたらしいが、阿波根さんは「誰がまとめたということもないのです」と言う。「挨拶しようねえ」と言い交わすところから自然に生まれたというのだが、私はやはり、全体にわたって阿波根さんのキリスト教信仰が反映していると考える。この規定は、ローマ書12,9以下の見事な具体化ではないだろうか。

「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れたものと思いなさい。怠らず励み…なさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。…旅人をもてなすよう努めなさい。あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい…」。

1972年に沖縄が本土に復帰してからは、阿波根さんは「反戦平和資料館」を作ることに全力を注いだ。戦争の残酷さと、戦争の結果から来る悲劇を展示すること、そしてそこを平和教育の場にすること。それが彼の悲願であった。やっと完成したのは1984年、この資料館を彼は「ヌチドゥタカラの家」と名づける。これは沖縄の有名な琉歌から取った言葉で、「命こそ宝」という意味である。沖縄であれだけの人が死んだのは、日本軍や米軍のためでもあるけれど、何よりも「わしら自身が命を粗末にする考えから抜け出せなかったからだ」と阿波根さんは言う。そのことへの反省も込めて、生涯を賭けて「命こそ宝」という言葉を伝えたい、と彼は言う。

そして、これこそは聖書の中心的なメッセージでもある。神は始めに天地万物を創造して、これに命を与えられた。生きとし生けるもの、すべては神の恵みから生まれた。これらの命が「共生」していくことを神は望み給う。イエスは病める人を癒し、貧しい人に糧を、絶望している人に生きる希望を与えた。このような言葉と行いによって彼は、生けるものすべてが愛し合って共に生きていくことこそ神の根源的な意志であることを明らかにした。そしてこの愛は、死にさえ打ち克つ。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ11,25)。

確かに、この世界には互いに憎み合い・殺し合うという現実があるが、それは神の本来的な意志でもないし、神が造られた人間の本質でもない。人間の罪の結果なのである。阿波根さんだけでなく沖縄そのものが、この真理を証ししているのである。

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