列王第一11章・エホバの証人と偶像崇拝

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

 ソロモンは、晩年になって偶像崇拝に陥りました。(列王第一11:7,8)その結果、エホバ神は、王国をソロモンから裂き取ると言われました。(列王第一11:11)このことは、エホバがとりわけどのような偶像崇拝に対して、不興を抱かれるかについて洞察を与えます。

 エホバの証人は、キリストの像やマリア像、また神道の祭壇や仏像に対する偶像崇拝を避けています。それは大変褒めるべきことです。なぜなら、ソロモンの王国がふたつに分裂した第一の原因は、エホバ神ではない異教の神々に対する偶像崇拝だったからです。

 晩年のソロモンに関してこのように述べられています。「ソロモンがエルサレムの前にある山の上にモアブの嫌悪すべきものケモシュのため、またアンモンの子らの嫌悪すべきものモレクのために高き所を築きだしたのは、そのころであった。そして、自分たちの神々のために犠牲の煙を立ち上らせ、犠牲をささげた。」(列王第一11:7,8)

 それで、「エホバはソロモンに対していきり立たれ(ました)」(列王第一11:9)それゆえに、エホバは王国をソロモンから裂き取り、それをソロモンの僕に与えると言われました。(列王第一11:11)ソロモンが行ったのはどういうことでしょうか。ソロモンは、エホバ以外の神を崇拝したということです。

 これは、十戒の一番目と二番目の掟からの逸脱です。十戒の第一番目の掟は、「あなたはわたしに顔に逆らって他のいかなるものをも神としてはならない」というものでした。自分のために「いかなる彫刻像や形も作ってはならない」「それに身をかがめてはならず、さそわれてそれに仕えてもならない」というものでした。(出エジプト20:3-5)

  これは、エホバ神以外の神の崇拝を一切禁じるものでした。また、彫刻すべてを禁じるものではありませんが、崇拝の対象としての偶像を崇拝してはならないことを意味していました。

 ですから、神の目に、一番悪いことは、聖書の神エホバ以外の神を崇拝することです。ですから、神の目に明白に間違っていることは、神道の天照大神などの八百万の神、仏教の神の仏陀如来や菩薩、ヒンズー教の神ヴィシュヌ神、イスラム教の神アッラーフなどを崇拝することです。また、それにはキリストの像やマリア像を神として崇拝することも含まれます。

     BuddhistAltar by geraldford(buddhistaltar2)     エホバ神は仏壇に対する偶像崇拝を非とされます

    great  mosque of damascus 709-15 AD, syria, easter 2004         byseier+seier(muslimtemple1)

   エホバ神はイスラム教のアラー神に対する崇拝を非とされます

            utamaShrine by Yoshikazu TAKADA (shintoshrine)エホバ神は神社での神道の神に対する偶像崇拝を受け入れられません

  ある人々は、さまざまな偶像を通してまことの神を崇拝していると主張して、偶像崇拝を正当化しようとします。しかし、明らかに聖書の神エホバは、人々が偽りの神の偶像を通して、ご自分を崇拝しているという主張を受け入れられません。このことは、イスラエルの王ヤラベアムが行ったことに対してエホバ神が不興を示されたことからも分かります。

 ヤラベアムは、エホバを崇拝すると称して、金の子牛の崇拝の様式を作りましたが、エホバはそれを是認されず、最終的には金の子牛崇拝を悔い改めなかったイスラエルを滅ぼされました。(列王第一12:27-29。列王第二17:16,18)エホバを崇拝すると称しても、偶像崇拝はやはりエホバの不興を買い、エホバ神からの保護と助けを得ることはできません。

                     (goldencalf)昔ヤラベアム王がエホバ神であると称して金の子牛の崇拝を始めましたが神は反対されました

 ある人々は、エホバの証人が自分たちの組織や、組織の中での特権を崇拝していると主張して、エホバの証人を非難します。もちろん、エホバ以外のもので崇拝の対象にしていいものはありません。

  なぜなら、どんな立派な神の僕であっても、間違いをしない、神の律法に決して違反しないという保証はないからです。(列王第一8:46)神の組織というのは、神の僕で構成されています。神の僕が必ず間違いを犯すわけですから、神の組織が決して間違いをしないと盲信するのは間違っています。神の組織が間違いがないと考えることは、確かに、組織を崇拝することに近いです。

 しかしながら、私たちは、ある程度神の僕を信頼するのは間違いではありません。とりわけ、その神の僕が長年神に忠実であった場合、その神の僕が残りの人生もおそらく神に忠実であることを期待できます。

 例えば、長年ダビデは神に忠実を保ち、ダビデの僕は晩年のダビデが正しく行動すると信頼してダビデに重要な情報を知らせました。(列王第一1:1,11,30,31)ソロモン王の例もあるのですから、全幅の信頼を寄せることはできないとは言え、ある程度は信頼できます。

 このことから、神の組織に対する崇拝のような信頼は間違っているとは言え、それは明白に間違っている異教の神々への崇拝よりは、罪の重大性の程度は低いでしょう。

  しかし、組織が絶対に間違いをしないと考えるのは、過去のエホバの僕に起きたことから間違っていると言えます。キリスト教の組織の場合、一番大切なのは、聖書をどのように解釈しているかということでしょう。

 私たちは間違う可能性がある者です。私たちは、何度か間違いを犯して、それを正すということを避けられません。神の組織もその進路が間違っていることに気づいたら、その間違いを正す必要があります。

 私たちは、聖書について最初からすべてを知っている人はいません。ですから、聖書についての私たちの理解は不完全なものであり、間違っている可能性もあります。また、聖書の適応の仕方も間違う可能性があります。

 エホバの証人は過去に教義の変更をしてきたことのゆえに、非難される場合があります。しかし、もしそれがより一層聖書の教えを当てはめるものであったり、聖書を正しく理解したゆえの聖書の教義の変更であれば、かえって賢明なことだと言えます。

 反対に、自分たちの理解や教義を決して変更しようとしないというのが間違っています。このことを考えるならば、エホバの証人が西暦1914年当時抱いた聖書の理解はもし間違っていることに気づいたなら、変更すべきです。最初の理解がすべて完全に正しいとは限らないのです。

  崇拝されるべきなのは、エホバ神です。私たちは、異教の神々の崇拝を断固として避けなければなりません。また、仲間の人間や神の組織はある程度は信頼することは可能ですが、崇拝するのは間違っています。また、尊重されるべきなのは、聖書であり、私たちは聖書に合わせて自分を変化させていく必要があります。

                                              (bible24)PierreSelimエホバ神だけを崇拝し偶像崇拝を避け聖書の理解に合わせて自分を変えていきましょう

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