伊藤明生
東京基督教大学教授
私たちは、読書と聞くとあたりまえのように、黙読する姿を思い浮かべないだろうか。
ところが、古代では、大勢の人の前で朗読することや読み聞かせることが、より一般的な「読書」だった。ひとりでも音読するのが普通で、むしろ黙読のほうが珍しかった。夕飯後の娯楽、宴の余興として朗読を聴くことはあっても、ひとりで静かに本を読むのは、日常的な光景ではなかった。文字そのものを知っている人が少なく、書籍の部数が少なかったこともあるが、そもそも黙読の習慣がなかったのである。
今では、音読するのは小さな子どもと相場が決まっている。赤子のころから親兄姉などが言語音声のシャワーを浴びせ、母国語はまず音声で習得する(もちろん、耳の聞こえないの方の場合は異なるが)。音声として言語を習得した後で、それと対応させて、文字を学ぶことになる。
現代の日本の国語教育においては、漢字、ひらがな、カタカナ三種類の文字を使い分けるために、読み書きに相当の時間が費やされる。うまく音読ができるようになれば、次の段階として黙読へと進む。
しかし、古代では黙読をせずに、音読や口を動かしながら読書するのが普通だったのだ。
有名な話であるが、神学者であるヒッポのアウグスチヌス(『神の国』『告白』で有名)は、自分を信仰に導いたアンブロシウスが(口も動かさないで)黙読している姿を目の当たりにして驚いた、と書き残している。最初は何をしているかわからなかった、とさえ書いている。
古代世界で、黙読ができたことで知られているもうひとりの人物は、ローマ共和制期の有力者ユリウス・カエサル(アウグストの叔父であり養父)である。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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