御心を地にもなさせ給え

｢主の祈り｣の前半は、｢御名が崇められますように｣、｢御国が来ますように｣、「御心が行われますように」という三つの祈願である。先週も述べたように、日本語では｢御｣という言い方で少しあいまいになっているが、本来、｢神よ、あなたの御名が…｣、と言うべきところであり、外国語では皆そうなっている。そして、この三つは別々の祈りではなく、基本的には「神様、あなたの支配が続きますように」という願いをめぐっている。

とは言うものの、今日扱う第三の祈りにも独自の意味がある。前の二つと根本的には同じだ、と言って済ましてしまうわけには行かない。それについて話したい。

「御心が行われますように。天におけるように地の上にも」(マタイ6,10ｂ)と言う祈りを我々が祈る時、具体的にはどういうことを心に抱いて祈るのだろうか。

我々人間は、この地上では 神の御心を行っていない。私は先ずそのことを考える。

この世界のこと、我々の日本のことを考える時、神の御心が行われているとは、どうしても考えられない。神が本来美しく創られた自然が、人間の営みによって甚だしく汚されていることを見る時、汚職が横行し、嘘がまかり通るのを知らされる時、また、口では平和と言いながら軍備が増強され、軍事的な体制が強化されていくのを見る時、さらには、ユーゴでも中東でもアフリカでも、和平の話し合いが一向に進展しないということを聞く時、ニューヨークで犯罪を抑止する筈の警察が一人の黒人男性を四十数発の銃弾で蜂の巣のようにしたということを聞く時、神の御心が行われているとはとても思えない。

それでは、「神の御心」とは何か。

我々が勝手に｢これが神の御心だ｣と決めることはできない。戦争中、日本では天皇の言葉が、実際は天皇の名において軍部が決めたことであるが、｢神の御心｣だった。同じことは、ナチスドイツでも、スターリニズム支配下の旧ソ連でも起こった。中世のヨーロッパでは、教会が同様のことを行った(魔女狩りや宗教審問)。このように、人間の考えやイデオロギーを「神の御心」と称することは許されないことである。

｢神の御心｣とは、律法（トーラー）に記されている教えのことである。「わたしの神よ、御旨を行うことをわたしは望み、あなたの教えを胸に刻み…」(詩40,9)と詩人が歌った時、彼は律法（トーラー）のことを考えていた。

だが、もしかすると、｢律法そのものも、人間の考えが絶対化されたものではないのか｣という疑問が起こるかもしれない。答えは、イエスの言葉に見出される。

イエスはある時、律法の全体を、たった二つの掟にまとめたことがある。

マルコ12,28以下。

ここでイエスは、｢唯一の主なる神を愛する｣と、｢隣人を自分のように愛する｣ということがあらゆる律法の中心であり、それこそが｢神の御心｣である、と言っているが、これは決して人間の勝手な思いを絶対化したものではない。むしろ、人間や、動物や植物まで含めたすべての自然の根源的で普遍的な経験について語っているのだ、と私は信じる。

人間は、愛し合っている時にしか、本当には生きられない。憎み合っている時、我々の心は深く傷つき、肉体もまた傷む。これは人間の、そしておそらく人間だけではなく、動物や植物まで含めてすべての自然の根源的で普遍的な経験である。天地万物は、愛し合って共に生きるために造られたのであり、これが唯一の神の永遠･不動の意志である。

この｢神の御心｣が、天においても、そして我々の地上の世界でも、行われますように！

これが、我々の祈りだ。

だが、先程も言ったように、人間の罪が、｢神の御心｣が行われるのを妨げている。従って、｢御心がなされますように｣という祈りは、われわれ自身の悔い改めの祈りを含んでいると言わなければならない。ルターは、｢主の祈りにおいて、われわれは、われわれ自身に逆らって祈る｣と言ったが、それは、その通りだ。

あるラビが、こう祈ったという。

｢宇宙の主よ、私たちの願いがあなたの御心を行うことであることは、あなたもご存知です。しかし、何が妨げているのでしょうか。パン粉のイースト菌です。私たちがそのイースト菌になっていることです。どうぞ、私たちをそれらの手から救ってください。そしてもう一度、私たちが御心から出る数々の命令を全たき心で実行できますように｣。

だから、この祈りは、｢強く、肯定的な懇願｣(ヤング)である。