受難週に因んで、今日は旧約聖書のイザヤ書53章を読んだ。これは紀元前6世紀の預言者第二イザヤが、「主の僕」と呼ばれる不思議な人物のことを歌った四つの詩の一つで、特にその「苦難と死」がテーマである。その内容が主イエスの苦難と死にぴったり重なるので、我々は殊のほか深い印象を受ける。
大作曲家ヘンデルも、これに激しく感動したらしい。彼は、1741年にオラトリオ『救世主』を作曲したが、その第23曲目で、このイザヤ書53章3節をアルトの美しいアリア "He was despised"に仕上げた。先程、聖書の朗読に続いて平井桃子さんに歌って頂いたのがそれである。その歌詞を新共同訳で読むと、
「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている」。
このアリアの後半の歌詞は、50章6節から取られた。同様に新共同訳で読む。
「打とうとする者には背中をまかせ、ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた」。
この「主の僕」の姿は、あたかも主イエスの苦難と死をそのまま描き出したかのようではないか。
よく「人を救う」と言うが、これは口で言うほど簡単なことではない。本当は、自分がその苦しみを引き受けることによってのみ可能なのである。人は、その人に代わって苦しむ人が出てこない限り救われない。そして、聖書の言うメシアとは、正にそのような存在だった。得意になって力を見せつけるのではなく、我々の代りになって苦難を引き受ける。あのイザヤ書53章の「苦難の僕」も、イエスも、この意味でメシアなのだ。ある神学者は、「メシア的苦難」と言ったことがある。メシア的苦難! これは実に深く高貴な思想である。
そして、考えてみれば我々にもそのような経験があるのではないか。言うのも恥ずかしいことだが、私は若い頃、ある人をひどく侮辱し、苦しめたことがある。だが、その人は一言も私を非難せず、涙を流しながら黙ってその侮辱に耐え、そして私を赦し、受け入れてくれた。このことがどんなに深く私を動かし、変えたか。
さて、ヨハネ福音書に目を向けたい。この福音書によると、やがて弟子たちと死別しなければならないことを知った時、彼は残される弟子たちに「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(13,34) という新しい掟を与えた。それによって、いわゆる「告別説教」が始まる。14章と15章のほぼ全体を占める長大なものだ。語り終えた後、イエスは天を仰いで祈る。それが17章の「イエスの祈り」だ。
イエスが実際、この言葉通りに祈ったわけではないだろう。そこには、ヨハネの教会の言葉使いが反映されている。だが、当時のキリスト者たちは、「主イエスは最後に我々のために祈って下さった」と信じたのだ。これを支えとして彼らは生きた。弟子たちにとっては、「主イエスは最後に我々のために祈って下さった」ということこそが、人生の「現実」であった。
恩師・鈴木正久牧師が召される何日か前に、弟子たちが病床を訪ねて聖餐式を共に守ったことがある。最後に先生は祈って下さった。一人一人のため、その教会と家族のために。最後の祈りというものは、決して忘れられるものではない。あの祈り。これが、それ以来、私にとっては人生の深い現実となった。
さて、主イエスはその高貴な生涯の最後に我々のために祈って下さった。その中で、「永遠の命とは、唯一のまことの神と、イエス・キリストを知ることだ」(3)と言われた。これが、彼の信仰上の遺言である。
「イエス・キリストを知る」とは、どういうことか。それは他でもない。彼の苦しみを知ることである。
あのイザヤ書53章、「苦難の僕」の歌は、既に何百年も前に、「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている」と歌われたようなメシアの到来を待望した。そのメシアは、イエスにおいてこの苦難に満ちた現実の世界に到来した。そして、その主イエスは、我々の痛みや病を「知っている」。それは、聖書の用語においては、我々の痛みや病を「自らのものとした」という意味である。
さて、今度は我々の方がこのイエスを「知らなければ」ならない。苦しむことによって人を救ったイエスの生き方を、「自らのものと」しなければならない。痛みや病を負う人々、虐げられてうめいている人々の傍らに立ち、その人々の苦しみを「自らのものと」すること。そこに、キリスト者の、そして教会の根本的な姿勢があるのではないか。受難週に当たり、特にこのことを強調しておきたい。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
Who We AreWhat We EelieveWhat We Do
2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.