啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹くに(23)新・苦よもぎと呼ばれる大きな星

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

 

 第三のみ使いがラッパを吹くと、ともしびのように燃える大きな星が天から落ちました。(啓示8:10)その星は苦よもぎと呼ばれていました。(啓示8:11)今回はこの部分を考慮してみます。 

 現時点では、この天から落ちる大きな星は、第二回目の南の王に対する攻撃で失墜してしまう北の王によって率いられたイスラム教の会衆を意味しているのではないかと考えています。 

(1)大きな星は苦よもぎと呼ばれる 

 その大きな星が「苦よもぎ」と呼ばれているのはどうしてでしょうか。(啓示8:11)アモス書によると、「苦よもぎ」は良くないこと、公正や義を捨てて変節する事の象徴として用いられています。そこには、「公正をただの苦よもぎに変えている者たち,義を地に投げ捨てた者たちよ。」という言葉があります。(アモス5:7) 

 それで、「苦よもぎ」と呼ばれることは、そのように呼ばれるこの大きな星が公正と義を捨ててしまっていることを示唆しています。 

 確かに、イエスが見ておられる七つの会衆の中には、望ましくない特徴を持つ会衆があります。望ましくないどころか邪悪だとさえ言える状況が七つのクリスチャン会衆の中に見られます。ペルガモン会衆は、偶像崇拝と淫行というバラムの教えを守っていました。(啓示2:14,15)テアテラ会衆では、淫行と偶像崇拝を奨励する「かの女イゼベルを容認」するという間違いがありました。(啓示2:20,21) 

  それで、この燃える大きな星は「苦よもぎ」と呼ばれているのですから、ペルガモン会衆やテアテラ会衆のように会衆内で、偶像崇拝と淫行というような神の律法の違反を容認し、推奨するという傾向を示していたのではないかと思います。 

(2)イスラム教と偶像崇拝 

 イスラム教は、文字通りの偶像崇拝は徹底的に排除しています。イスラム教のモスクの中にも偶像は見られず、ただ絨毯かゴザが敷き詰められているです。その点はほめられるべきことです。その点は、他のクリスチャンも見習うべきです。キリスト教徒は、マリアの絵画がイコンとして崇拝されたり、イエス・キリストの彫像があって崇拝されることもあります。 

 イスラム教では、預言者ムハンマドでさえ崇拝されないように、彼の姿の絵画がモスク内にはなく、また、イスラム教の読み物の中でも、ムハンマドの画像の顔がのっぺらぼうにされたりするということです。ムスリムが偶像崇拝を徹底的に排除するようにクルアーンに従っているという点はほめられるべきことでしょう。 

イスラム教のモスクの中には偶像のたぐいがないのはほめられるべきこと

 

(3)イエス・キリストによって回復された一夫一婦制を放棄したイスラム教 

 しかし、イスラム教では、そもそも、姦淫が容認されています。コーラン第4章第3節 には、「もしおまえたちが孤児を公正に扱いかねることを心配するなら、気に入った女を2人なり3人なり、あるいは4人なり娶れ。」という言葉があります。それで、イスラム教では、一夫一婦制が排除され、妻を四人まで持つ一夫多妻が許されています。 

 しかし、イエスは、ひとりの夫にひとりの妻が結びつく、一夫一婦制を回復されました。(マタイ19:5,6。創世記2:24)モーセの律法下では、一夫多妻が容認されていました。例えば、神の友と言われているアブラハムでさえ、正妻のサラ以外に、二番目の妻であるハガルをめとりました。(ヤコブ2:23。創世記16:3) 

 しかし、パリサイ人たちが、「人が自分の妻を離婚することは,どんな根拠による場合でも許されるのですか」と質問した時に、イエスは答えられました。「あなた方は読まなかったのですか。人を創造された方は,これを初めから男性と女性に造り,『このゆえに,人は父と母を離れて自分の妻に堅く付き,二人は一体となる』と言われたのです。したがって,彼らはもはや二つではなく,一体です。それゆえ,神がくびきで結ばれたものを,人が離してはなりません」(マタイ19:3-6) 

 ですから、エホバ神がアダムとエバを創造されて結婚させた時に、二人は一体となって生涯結びついていくことが、神のご意志であったことをイエスは説明されました。(創世記2:24) 

 しかし、パリサイ人は、さらにイエスに尋ねました。「では,なぜモーセは,離縁証書を与えて[妻を]離婚することを規定したのですか」。イエスは、彼らに答えられました。「モーセは,あなた方の心のかたくなさを考え,妻を離婚することであなた方に譲歩したのであり,初めからそうなっていたわけではありません。あなた方に言いますが,だれでも,淫行以外の理由で妻を離婚して別の女と結婚する者は,姦淫を犯すのです」(マタイ19:7-9) 

   それで、モーセの律法が与えられていた時代に淫行が犯されていなくても離婚して再婚することが許されていたり、ダビデやソロモンの場合のように複数の妻をめとることが許されていたのは、神の側の譲歩でした。しかしそれは、創造当初の神のご意志ではありませんでした。それで、イエスは権威ある神の子として、創造当初の一夫一婦制という神の基準をクリスチャンたちに回復されました。 

 そして、イエスの言葉は、淫行以外の理由で、最初の妻を離婚することさえ、神の基準に違反していると述べています。つまり、淫行によって結婚関係が終わっていないので、離婚した夫婦は、次の配偶者と結婚を犯す時、姦淫を犯すことになるからです。 

 ですから、たとえ、法的な登録がなされていて、結婚関係にあっても、一夫多妻は、エホバ神とイエス・キリストの目からは淫行と姦淫を意味しています。クルアーンを重んじるイスラム教は、再び、淫行を容認するという点で、回復された神の義の基準を投げ捨ててしまっているのです。聖書の神の律法に対する違反を容認しています。 

(4)イスラム教の殺人についての教え 

  さらに、イスラム教は、文字通りの偶像崇拝は禁じているとはいえ、国家に対する偶像崇拝、すなわち、野獣の崇拝を称揚しているようです。実際、イスラム教の宗教指導者と政治上の指導者が兼任されているので、そういう傾向になりがちです。そして、将来、その傾向は強くなっていくでしょう。 

 しかしながら、クルアーンでは、基本的には殺人を非としています。また、イスラム法では、現時点では、殺人は、非とされ、殺人も傷害も報復となる罰が与えられることになっているということです。それも、神の目から見ていい点ではないかと思います。 

 しかしながら、クルアーンでは、自分から侵略してはいけないのですが、敵から攻撃を受ける時、戦う事、すなわち殺人をすることを容認しています。 

 しかし、聖書は、昔は異教徒の殺害が許されていたのですが、イエス・キリストは神の崇拝者に殺人を禁じられました。モーセの律法下では、イスラエル人にアブラハムの子孫に約束された土地を与えるために、完全に堕落してしまったカナン人などの異教徒を殺害することが許されていました。(申命記7:1,2;8:20。ヨシュア8:1) 

 しかし、イエス・キリストが到来して、モーセの律法は廃棄されました。(ローマ10:4)また、イエスは、永遠の命を受け継ぐためには、守らなければならないおきての中に、「殺人をしてはならない」というおきてを付け加えられました。(マタイ19:18) 

    また、イエス・キリストご自身は、たとえ捕縛され死刑になることが分かっていても剣をもって戦うことを禁じられました。(マタイ26:52)ですから、新約聖書ではたとえ攻撃されても殺人をすることは認めていません。ですから、クルアーンは、殺人を完全に非とするイエスの確固とした教えからの逸脱となっています。] 

 実際は、ハーディースの中でも、例え殺されて殉教しても、他の人を殺さないという立場がすぐれていることを認めているのです。「もしも、できることであれば、アッラーのために、繰り返し殺されたり復活されたりしたかった。」とあります。(ハディース) 

 しかしながら、聖書の中では、たとえ死んで殉教するとしても、復活に希望をおいて殺人を避け忠実であるように勧めている一方、ハーディースでは、できることなら、繰り返し殺されたりしたかったと述べ、殺人を容認しています。(啓示2:10)この点で、聖書の勧めの方が道徳的にすぐれています。 

 しかしながら、クルアーンの教えにある程度良い点が見られるにしても、間違っているのは、聖書にクルアーンを付け加えた事です。 

(5)神に近づく唯一の経路はイエス・キリスト 

 聖書は、イエス・キリストが神の子であり、エホバ神に近づく唯一の経路であると述べています。イエスはご自分のことを次のように述べられました。「わたしは道であり,真理であり,命です。わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6) 

 殺人や淫行についてのイエスの教えを検討すると、イエスの教えは、旧約時代よりもより高い要求が神の崇拝者に課されています。イエスの教えは確かに神の子によるもので、道徳的にすぐれており、イエスの教えを守るならば、確かに聖なる神に近づくことができるでしょう。聖書が、まことの神に近づくのに、肝要な唯一の経路はイエス・キリストであると述べているのも、納得できることです。 

 また、イエスの母マリアに現れたみ使いのガブリエルもマリアの妊娠は神による奇跡であってイエスは単に人間のヨセフの子ではないと言いました。イエスのことを「聖なる者,神の子」と呼ばれると説明しました。(ルカ1:35)ですから、イエスは、生まれる前に天で神の子としてすでに存在していたのですが、聖霊によってその天の命がマリアの胎に移されたのです。 

天使のガブリエルはマリアに生まれる子イエスは神の子だと告げた 

 

  また、イエスに愛された弟子であったヨハネは、このように述べています。「あなた方は神からの霊感の表現をこれによって知ることができます。すなわち,イエス・キリストが肉体で来られたことを告白する霊感の表現はすべて神から出ていますが,イエスについて告白しない霊感の表現はどれも神から出たものではありません。」(ヨハネ第一4:2,3) 

  ですから、聖書は、神の霊感を受けているかどうかを確認するのに、その霊感の表現が、イエス・キリストがもともと天におられた神の子であり、「肉体」で天の神のもとから来られたことを認めることが必要だと言っています。ですから、神の崇拝者はイエス・キリストを神の子として認めることが必要です。 

 しかし、イスラム教は、ムハンマドを一番重要な預言者としたために、イエスを単に過去の敬意を払われるべき預言者のひとりという立場におとしめてしまいました。そのために、神の子イエスは神の崇拝者に淫行や殺人に関して、聖なる神に近づくのに必要な基準を回復されましたが、コーランはそれを台無しにしてしまいました。 

 ですから、預言者ムハンマドが最後の預言者であり、神からの啓示を完成したというクルアーンの主張は、聖書の主張と相いれません。実際に調べてみると、クルアーンの教えは聖書の教えのすぐれた基準を落としてしまうものです。 

(4)聖書は完成しておりそれ以上の啓示を認めていない 

 イスラム教が変節しているのは、基本的に、聖書をある程度認めながら、クルアーンを聖書につけ加え、聖書よりも重んじている結果です。そして、聖書は、完成した当時、余分な聖典を付け加えることは認めていませんでした。 

 聖書はそれに付け加えることも、それから、取り去ることも禁じています。使徒ヨハネが書いたとされている啓示の書はこのように述べています。「わたしは,すべてこの巻き物の預言の言葉を聞く者に証しする。これらのことに付け加える者がいれば,神はこの巻き物に書かれている災厄をその者に加えるであろう。」(マタイ10:2。啓示1:1,2;22:18,19) 

 ですから、聖書に聖典を「つけ加える者」に対して、神は啓示の書に書いてある大患難に巻き込まれるなどの災厄をその者に加えると警告しています。ですから、66冊で成る聖書だけが神の霊感を受けており、聖書によって、イエスに対する信仰によって救いに至らせることができるのであり、救いに至るのに、私たちは、聖書以外のものを必要としません。それどころか、聖書以外の啓発の源に頼るとわたしたちは失敗してしまいます。 

  また、パウロも初期クリスチャンが宣べ伝えた良いたより以上のことを宣べ伝えることは、神からの呪いを招くと次のように述べています。「たとえわたしたちや天からのみ使いであろうと,わたしたちが良いたよりとして宣明した以上のことを良いたよりとしてあなた方に宣明するとすれば,その者はのろわれるべきです。」(ガラテア1:8) 

 聖書は、およそ西暦98年頃には完成しました。ヨハネがパトモス島から解放されて後、ヨハネは諸会衆に当てて、三つの手紙を書いて、聖書は完成しました。また、福音書も少なくとも西暦一世紀には、完成していると多くの学者が認めています。しかし、預言者ムハンマドは、西暦610年頃クルアーンの啓示を受けました。ムハンマドは、その完成した新約聖書に付け加えたのです。 

  その時、ムハンマドは、まことの神の子イエス・キリストを単に預言者のひとりという立場に落としてしまいました。また、イエスは淫行や殺人に関して神に是認される教えを新たに回復しましたが、ムハンマドは、そこから変節した教えを付け加えました。ですから、イスラム教を義を投げ捨てる苦よもぎと呼ばれる大きな星と言っていいのではないでしょうか。

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