3日の朝日新聞夕刊に、英国人チャールス・ワイリーさん(81歳)とのインタビュー記事が載っていた。第二次大戦中グルカ連隊(ネパール人部隊)の将校として従軍、日本軍の捕虜になり、「泰緬鉄道」の建設現場で強制労働をさせられた人物である。
「泰緬鉄道」というのは「戦場にかける橋」という映画で有名になった。タイとビルマ(ミャンマー)の間を結ぶ補給路として日本軍が敷設した軍用鉄道で、米・英・豪などの捕虜6万人と現地労働者数十万人が投入され、現地労働者の死者数万人、捕虜だけでも約12,400人が死んで、国際的な非難を招いた。
ワイリーさんの話によると、捕虜の中に英国人の聖職者(司教)がいた。この司教はスパイ容疑で四日間にわたって憲兵の厳しい拷問を受けたが、その間、「神よ、この憲兵隊員をお赦し下さい」と祈っていた。この態度に感銘を受けた憲兵の一人が戦後、司教を訪れて赦しを乞い、やがて洗礼を受けたという。この話しの途中で、ワイリーさんは何度か「赦す」(forgive)という言葉を使い、急に声を詰まらせ、すすり泣き始めた。居たたまれなくなった記者は、その日のインタビューを中止したという。
これを読んで、思い出したことがある。戦争末期、ドイツ軍はミサイルのような新兵器(V-1号?)を使ってイギリス本土を無差別攻撃したが、その一つがコヴェントリーの教会を直撃した。その時、牧師は廃虚に立って、ただ「父よ、赦し給え」(Father, forgive!)と祈ったという。言うまでもなく、これは元々、十字架上のイエスの言葉である。苦しい息の下から、彼は、自分をこんな目に遭わせた人々のために、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ 23,34)と祈ったのだ。コヴェントリーの牧師はそれを思い出したのであろう。
戦後、このコヴェントリーの教会から、連合軍の空襲で同じように廃虚と化したベルリンの「皇帝ヴィルヘルム記念教会」に一つの鉄の十字架が贈られた。焼け跡に残っていた釘を集め、それを溶かして作ったもので、「父よ、赦し給え」(Father, forgive!)という言葉が添えられていた。それがきっかけになって、英国とドイツの間に和解の歩みが始まった。司教の話とこの逸話。これは何を意味しているのだろうか?
すべての敵対関係や恩讐を超えて、そして何よりも先に、主イエスの十字架上の祈りがある、ということではないか。憲兵の厳しい拷問を受けた司教が、「神よ、この憲兵隊員をお赦し下さい」と祈ったのは、スタンドプレーなどではない。極限状況の中で、自分もこれまで主イエスのあの十字架上の祈りによって支えられて来たし、それはこの憲兵だって同じだと信じていたからに違いない。その憲兵が戦後、司教のもとを訪れて赦しを乞い洗礼を受けたのも、司教個人の「立派さ」に打たれたというよりは、彼を支えている主イエスの十字架という、根源的な真実にゆり動かされたからではなかったか。
今日のテキストも、実は、この主イエスの十字架上の祈りに支えられている。
「御自分の肉」(14)とは、具体的には、十字架につけられたイエスの肉体のことだろう。主イエスは、十字架上で御自分の血を流し、肉を裂きながら、なおも敵対者のために祈った。このような驚くべき仕方で、彼は「敵対関係そのもの」を克服したのである。「敵意という隔ての壁を取り壊した」(14)とか、「敵意を滅ぼした」(16)というのは、そういう意味である。
パウロはここで「敵意という隔ての壁」と言っているが、これは差し当たり、ユダヤ人と異邦人の間に立ちはだかる「宗教上の壁」だった。「割礼を身に受けている人々」と「割礼のない者」(11)、「遠く離れているあなたがた」と「近くにいる人々」(17)、「外国人や寄留者」と「聖なる民に属する者」(19)といった一連の対立的な表現は、すべて宗教的な意味を持っている。エルサレム神殿の庭には、実際に、異邦人はここから先には入ってはならないという「隔ての壁」があったという。そしてパウロは、キリストに出会うまでは、これら「宗教による差別」の熱心な信奉者だった。
だが、キリストを知った時、かつては誰よりも熱心に「敵意という隔ての壁」を守っていた彼が一挙に変わる。「キリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」(15b-16)。これは彼にとって驚くべき体験だった。その驚嘆を込めて、彼は「実に、キリストは私たちの平和であります」(14)と言ったのである。
「敵意という隔ての壁」は至る所にあり、いよいよ強固になる兆しすら見せている。パレスチナとイスラエルの泥沼のような対立。北アイルランドや旧ユーゴスラビア、インドとパキスタン、チベットなど。宗教的な対立とは限らない。台湾や朝鮮半島など、政治的・イデオロギー上の敵対関係もまだなくならない。
何よりも嘆かわしいのは、世界の多くの指導者たちが、「敵意という隔ての壁」はあって当然、なくなる筈がないと決め込み、その前提の上で政策を決めていることである。これでは、戦争は遂になくならない。
キリストは…十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされた! これこそ、我々の世界の最も深い意味での現実なのである。キリストこそ、私たちの平和なのだ。我々は、自らの思考と実践をここから始めなければならない。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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