「イエスの非暴力思想と現代」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

イエスは「あなたがたも聞いている通り、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない」(38)と言う。

日本の新聞やテレビなどは、この「目には目を、歯には歯を」という掟を残酷さの象徴として引用するのが常だから、多くの人は何時の間にかそれに影響されているよう だが、意外なことに、この掟は一般に言われているほど残虐なものではなかった、というのが専門家の意見である。この点に先ず注意したい。

これは、一般に「同害(態)復讐法」(ius talionis)と呼ばれるもので、旧約聖書では出エジプト記21章23節に出てくる。尤も「モーセ律法」が最初ではない。それよりも400年ほど古い「ハムラビ法典」(紀元前18世紀頃)に既にある。つまり、人類最古の成文法が二つともこの掟を含んでいたということになる。これは「人類の知恵」と言うべきであろう。

人間が一緒に生きている所では、争いがつきものだ。喧嘩して互いに傷つけ合う。仕返しをする。だが、人間には自己中心的な傾向があって、自分の受けた損害の方を大きく感じるのが常だから、「男の仕返し三増倍」と言われるように、倍にも三倍にもしてやり返す。当然、それはさらに倍増されて返ってくる。仕返しというものには際限がない。これが「憎しみと報復の悪循環」と呼ばれる構造だ。

「目には目を、歯には歯を」という掟は、そもそもこの悪循環を断ちきるための人類の知恵だった。黙って我慢するのでは「腹が収まらない」だろう。だから、仕返しは許す。だが、目を一つつぶされたのなら、相手の目を一つつぶすだけにしなさい。それ以上のことをすれば、悪循環が始まって収まりがつかなくなる。ひいては共同体全体が滅びる結果になる。だから、厳密に同じ損害を相手に、という限度を設定して収めようとした。従って、「同害(態)復讐法」というのは「残虐な掟」などではなく、共同体全体が滅びないために考え出された精一杯の知恵なのだ、と言える。

だからイエスは、「昔の残虐な掟を丸ごと否定して、全く新しい戒めを与えた」というよりも、むしろ、「同害(態)復讐法」の中には「悪循環を断ち切ろう」という積極的な意図あることを認めて、それをさらに徹底したのである。ピンカス・ラピーデが言うように、「…しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない」というイエスの言葉は、モーセ律法に対する反対命題(Antithese)ではなく、むしろ、それをさらに高めるより高度の命題(Superthese)なのだ。

私は先に、人類最古の成文法が二つともこの「同害(態)復讐法」を含んでいる、という点に皆さんの注意を促した。人類は、何千年も前から、「憎しみと報復の悪循環に陥った時、我々に救いはない」ということに気づいていたのである。人類最古の掟の中には、この悪循環を何とかして断ち切ろうとする「健全な意図」があったのだ。

ただ、イエスは、「復讐はしてもいいが限度を心得よ」といった考えでは、問題は決して解決しないということも見抜いていた。仮に厳密に同じ程度の復讐であったとしても、それで収まるものではない。必ず「憎しみと報復の悪循環」につながる。だから、全面的に復讐を断念する以外に道はない、とイエスは言うのである。「右の頬を打たれたら左の頬を向けよ」とか、「下着を取ろうとする者には、上着をも与えよ」云々といった戒めは、すべて「復讐の断念」を表現したものだ。

だが、ここに問題がある。こんなことをしていたら、悪い奴は益々つけ上がり、この世に正義はなくなってしまうのではないか。このような不安から、多くの人が「イエスの教えは余りに現実離れしている」として斥ける。「悪い奴は必ずいるし、悪い国家も必ずある。そいつらに即座に報復するシステムがなければ、世界の秩序は守れない」というわけである。これは一見、説得的だ。

アメリカの多くの家庭で武器を備えるのも、どこかの「ならず者国家」がミサイルを発射するかもしれないという理由で宇宙まで範囲を広げた「ミサイル防衛システム」を考えるのも、日本で「有事」に備えて法制を整え、兵器を準備するのも、すべてこのような発想に基づいている。

だが、このような発想には重大な欠点がある。このような考えのもとになっているのは、「外に危険な敵がいて、内には善良な味方がいる」という固定的な先入観であるが、これは、この世界が「相互関係」であるということを見過ごしている。こちらの出方によって相手の態度も変わるのである。自分も相手と同じ人間であって、良い点も悪い点もある。自分も相手と同じような不安や不信感を持っている。このことを認めた上で、先ず自分の態度を変え、自分のほうから先手を取って相手に働きかける、という考え方がどうしてできないか?

パール・バックの『母の肖像』(1936年)に、興味深い逸話がある。彼女の父は20世紀の始め頃、中国の奥地で宣教師をしていたが、ある年、未曾有の干ばつがその地方一帯を襲い、「外国人がいるから神々が怒った」と信じ込んだ農民たちは、父が留守中の宣教師館を襲う計画を立てる。母は恐れと不安に満たされるが、長い間祈り、それから家の中をまるで楽しいお客さんを迎える時のように綺麗にして、お茶やケーキを並べ、親分の所へ行って「どうぞお入りください」と呼びかけた。それで農民たちはすっかり殺意を失ってしまった、というのである。

今、世界の最大の問題は、「憎しみと報復の悪循環」を断ち切ることだ。イエスはそのための唯一の道を我々に示しているのではないか。


 
 

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