人は死ぬ時、後に残していく愛する人々のことを深く心に留めるものだ。意識がある間は、万感こもった眼差しを向けたり、優しい言葉を残したりするが、それが叶わない時、思いはいろいろに形を変えてその人のもとに留まる。
インドの詩人タゴールの、「おわり」という詩がある。幼い男の子が死ぬ時、母親に語りかける詩である。「ぼくのゆくときがきました。/おかあさま ぼく ゆきます」という言葉で始まる。そして、僕がいなくなっても、「一息のほのかな 風になって/あなたを やさしく なでてあげましょう」とか、「みずの おもての さざなみになって」あげましょうとか、「ささやきごえ」や「わらいごえ」になって「あなたの へやに 入るでしょう」とか約束する。歌声になったり、月の光になったり、夢や笛の音になって、いつでも自由にお母様のもとへ行きますよ、と言うのである。
これに比べると、イエスの場合は突然死でも普通の病死でもなく、30歳の成熟した人間として、しかも、はっきりした意識を持ったまま最期を迎えたのだから、その言葉や行為は極めて明確であった。しかし、「イエスは、この世から父のもとに移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(13,1)と書かれているのを読めば、思いは同じであったろう。
その具体的な現われが、弟子たちの足を洗ったこと(13,5)、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(13,34)という新しい掟を与えたこと、そしてその後で、心を込めた告別の説教をしたこと(14,1-16,33)である。
さて、この告別説教の重要な一部分において、イエスは、「父(神)が別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」(16)と約束している。
「別の弁護者」とは何か? 原語で「パラクレートス」というが、これは元々、法廷における弁護人のように、「傍に呼ばれた者」という意味である。以前の口語訳では「助け主」と訳されていた。「弁護者」でも「助け主」でもいいが、要するにその意味は、「弟子たちが頼りにしていたイエスは死ぬが、別の形で神のもとから助け手が送られる。だから、決して見放されてはいない」ということであろう。そしてこの助け手(パラクレートス)は、17節に「真理の霊」と説明されているように、具体的な一人の人間ではなく、霊的な存在である。
だが、「霊」という言葉は分かりにくいかもしれないか、以下、少し説明しよう。
旧約聖書では、「霊」(ルアーハ)とは元来、「風」とか「息」のことである。古代人にとっては、「息」は「生き」と同じで、生命そのものであった。だから、人が死んだ時は「息が絶えた」と言うし、「息の根を止める」と言えば「殺す」という意味になる。創世記に、「主なる神は土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(2,7)とあるのも、この思想による。
しかも「風」や「息」には形がないから、自由にどこにでも入って行ける。先程の、タゴールの詩を思い出して頂きたい。短い地上の生涯を終えた幼い男の子は、悲しむ母に対して、「一息のほのかな 風になって/あなたを やさしく なでてあげましょう」と約束する。ここでは、まさに「一息の」とか、「風」という表現が使われているが、この場合、これ以外には言いようがないう。この子はまた、「みずの おもての さざなみになって」、「ささやきごえ」や「わらいごえ」になって、あるいは歌声になったり、月の光になったり、夢や笛の音になったりして「あなたの へやに 入るでしょう」と歌う。風のように自由に、いつでもお母様のもとへ行きますよ、という愛の約束だ。そして、ここには実に深い人生のリアリテイーが裏打ちされている。
このタゴールの詩は、イエスが死ぬ前に「別の弁護者」を送って下さるように神にお願いしようと約束したという今日のテキストの深い意味を理解するための助けになるだろう。「別の弁護者」、つまり、神の霊、「真理の霊」であるが、これが風のように自由にあなたのもとに行く! 「この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいる」(17)! これは、そういうことだ。神の霊は、何の妨げもなく自由に弟子たちのもとに届き、彼らと共に歩んで助け、彼らを内から動かして真理に目覚めさせる、というのである。
この慰め深い約束のいわば決め手として、「わたしは、あなたがたをみなしごにしておかない」(18)という言葉が来る。これは印象的だ。
私は、外地にいた家族の全員と戦後の一年間は全く連絡が取れず、「天涯孤独」の身になったと、行く末をほとんど諦めていた時期がある。もう15歳になっていたし助けてくれる人々もいたから、何とか生き延びることが出来たが、それでも「みなしご」とはどのようなものか、その寂しさや切なさは、痛切に分かる。
イエスはこの言葉を、迫害やさまざまな困難の中で孤独感を募らせていた弟子たちに向かって語ったのだが、私は今日、すべての人にこれを贈りたい。ハンセン病の患者さんたちは、これまでずっと社会だけでなく、肉親からも「見放された」と感じていたという。皆さんにも、そういう時があるだろう。
だが、神は「あなたがたをみなしごにしておかない」! 神から送られる「真理の霊」が、風のように自由に「あなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいる」。
これが聖霊の約束であり、そして来週は、聖霊降臨祭である。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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