霊から生まれる」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

 ニコデモは「ファリサイ派に属し、最高法院の「議員であった(1)。つまり、当時のユダヤ人社会では指導的な階層の知識人である。この人が「ある夜(2)、イエスを訪ねて来た。普通、夜は訪問の時間ではない。よほど切羽詰まった気持ちで、折り入ってイエスと話したいと思ったのであろう。

 ニコデモは先ず、こう話を切り出す。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです(2)。これは「お世辞ではない。福音書はそんな無駄なことは書かない。

 この言葉は、ニコデモが既にある認識に達していたことを示している。ニコデモだけではない。「わたしどもと言っているように、彼と同じ考えの人々が何人かいたのだろう。彼らはイエスがただ者でないこと、「神のもとから来た優れた教師であることを認めていた。

 だが、そこまで分かっていながら、そこから先へは中々進めない。これは我々にも経験があることである。イエスの言葉や業が持つ重要な意味は認めているのだが、そこに自らの人生をかける所までは行かない。踏ん切りがつかないのだ。ニコデモの言葉には、そのような微妙な躊躇いが見え隠れしている。

 だが、イエスはそれを見抜いていた。だから彼は先手を打ったのである。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない(3)。然り、「神の国を見るためには、つまり、「神の国は近づいているというイエスのメッセージを本当に信じ、その信仰によって生きることができるようになるためには、「新たに生まれなければならない。

 「新たに生まれるというのはむろん象徴的な言い方である。「古い自己に死んで新しい自己に甦ることを意味する。それが必要だということは、ニコデモにも分かっていた。だが、このような「新生は自力で達成できることではない。ニコデモはこれまで知識も経験も自分の努力で積み重ねてきた。「万巻の書を読み、千里の道を行く(碌山)。そういうことは自力でできる。むしろ、他人任せではなく、自分でやるしかない。だが、「古い自己に死んで新しい自己に甦ることは、自力では不可能だ。

 「年をとった者が、どうして生まれることができましょう(4)とニコデモは反問するが、それは「年をとってからは無理だ、若い内でないとできないという意味ではない。若い時も年を取ってからも、要するに自力では不可能だということを言おうとしているのである。

 我々は生まれたいと思って生まれてきたわけではない。受胎も妊娠も誕生も、我々の外の力によって起こった。そのように、新生は自力では達成できない。一体、それはどのようにして起こるのか? これがニコデモの問いである。そして、イエスはこの真剣な問いに答える。新生はただ、「霊、あるいは「聖霊が、つまり神の見えざる力が、外から我々の中に入ってきて働く時にだけ起こる、と。「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない(5)。

 私は若き日にキリストを信じ、やがて牧師になりたいと思うようになった。だが、家の経済は逼迫しており、兄の戦死で私が長男の責任も果たさなければならない情況だったから、どうしても決心がつかなかった。ある夜、祈祷会の帰り道、「一度死ぬのだ!という声を聞いたように思った。本当に、天からの声のように聞こえた。私は決断した。そして、思いがけなく道は開けた。

 神の力が外から我々の内に入り、揺り動かしてくれるときに初めて、我々は新たに生まれる。そして、神の国を見る。これは聖霊の業である。

 最後に、今日が「三位一体主日であることについて一言したい。父なる神の創造の業があり、御子イエスの地上の生活があり、十字架と復活の後で聖霊降臨という出来事があって、父・子・聖霊の三つが揃ったので、古来、ペンテコステの直後の日曜日はこう呼ばれる。

 「三位一体とは何か、とよく質問を受ける。ユダヤ教やイスラムのような厳格な一神教の立場からは、三位一体論は要するに多神教だと批判される。キリスト教の内部にも、昔から「これはもともと聖書にはない考えで、後の教会が作り上げた思弁に過ぎないという声があった。逆にこれが絶対化されて人を裁く基準として使われたこともある。要するに、三位一体の教理には色々な問題がある。

 それにもかかわらず、「三位一体という考え方には重要な意味がある、と私は考える。ニコデモの場合もそうだが、神は人が「神の国を見ることができるように、イエスと出会わせる。それだけではなく、「風は思いのままに吹く(8)と言われるように、自由な霊の働きを送って、内側から人を動かす。創造主なる神が(父)、イエス(子)を通して、また、霊の働きを通じて(聖霊)、人に働きかける。人を信仰に導くために、神はこの三つの在り方を通して、いわば「手を変え品を変えて働きかける。

 クラッパートという神学者は、ユダヤ教神学者たちと誠実に対話を重ねている人物であるが、ある時、ユダヤ教徒の三位一体論批判に対して、「ひとりの神がイエスの中に住み、聖霊を通じて人々の中にも住み給うと説明したところ、「それなら何も反対するいわれはないと言われたという。これが三位一体の信仰である。

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