小羊が第七の封印を開いたとき、ヨハネは「七人の天使が神の御前に立っているのを見た。彼らには七つのラッパが与えられた」(2)。この七人の天使たちが、ラッパを吹き鳴らす。だが、「ラッパを吹く」とはどういうことだろうか?
旧約聖書にはラッパがしばしば出て来るが、とくに「終末の日」と関連して吹かれることが多い。例えば、先ほど読んだヨエル書1,15以下は、「主の日が近づく」ことを述べた箇所であるが、終末の裁きが始まる時の合図として「角笛(ラッパ)を吹け」(2,1)と言われている。
今日の箇所はこの旧約の伝統を受け継いでいる。最初の四人の天使がラッパを吹くと、さまざまな自然災害が起こるが、これは「終末の裁き」が始まる前触れである。そして、この「終末の裁き」こそは、ヨハネ黙示録全体の主題なのだ。
だが、ここで大切なことを言っておかなければならない。
「主の日が近づく」とか、「裁きが始まる」とか、その「前兆として災害が起こる」ということを聞くと、私たちは恐怖を感じる。聖書には、苦しむ人を励ましたり慰めたりする言葉があれほど沢山あるのに、一方ではどうしてこんなに不吉な・恐ろしい言葉があるのだろうか。これほどの矛盾はない、と困惑を感じる人も多いだろう。だが、このような「神の裁き」の思想は、実は「救い」の約束と矛盾するものではなく、むしろ表裏の関係にあるのである。
ドストエフスキーの『罪と罰』については、これまでもしばしば述べたことがある。あの中にソーニャという若い女性が登場する。父親は呑んだくれ、母親は精神を病んでいる。ソーニャは長女で、幼い妹や弟たちが大勢いる。この惨めな家庭の生活を支えるために、彼女は娼婦になる。その彼女と、金貸しのお婆さんを殺して金を奪ったラスコーリニコフという青年が出会う。彼は一方でソーニャの無垢な心に打たれているが、わざと意地悪なことを言って彼女を苦しめる。「お前の妹たちも、いつかお前と同じようになるのがオチさ」。
すると、彼女は体を震わせ、声を絞り出すようにして、「いいえ、そんなことは神様がお許しになりません」と言うのである。ああ、この理不尽な苦しみ。それが幼い妹たちにも及ぶという非条理。「そんなことは神様がお許しになりません」! 本当はあってはならない苦しみを、神がそのままに放置して置かれる筈はない。「あってはならないこと」は取り除き、「あるべき姿」をこの地上に回復させて下さる。
これが「主の日が来る」という思想の意味なのであり、それは「救いの約束」と表裏一体なのだ。この意味で、聖書の終末論はいたずらに人を怯えさせる「おどしの言葉」ではなく(ある宗教はこの教説を悪用する!)、「希望の教え」なのである。
さて、四人の天使がラッパを吹いたとき、何が起こったか?
第一のラッパと共に「血の混じった雹と火が」(7)地上に投げ入れられて地上の三分の一が焼け、第二のラッパのときは「火で燃えている大きな山のようなもの」(8)海に投げ入れられて海水が血に変わり、第三のラッパが吹かれると「松明のように燃えている大きな星が」(10)川や水源の上に落ちてあらゆる水源の水を汚染し、第四のときは「太陽と月と星の三分の一が損なわれ」(12)て地上は暗くなった。
こうした天変地異は、もしかしたらその頃実際に起こった出来事を反映しているかもしれない。例えば、「火で燃えている大きな山のようなもの」(8)は、確かに紀元79年のヴェスビオ山の噴火による溶岩流を思わせる。しかし、このように直接にそれらの自然災害と結びつけても大して意味があるとは思えない。
序でに言えば、これら黙示録の記述を現代世界で起こっているさまざまな現象と結びつける解釈もある。例えば、三宅島の噴火や有毒ガス、有明海の水質汚染とムツゴロウなど生物の死滅、地球温暖化現象などである。確かに思い当たる点もないではない。特に興味深いのは、「苦よもぎ」(11)だ。ある文学者が、「苦よもぎ」をロシア語で「チェルノヴィリ」ということに気づき、チェルノヴィリ原子力発電所の重大事故による環境汚染は既に黙示録に預言されていたのではないか、と言ったことがある。このような読み方は、現代世界に対する警告としては意味があるが、下手をすれば「こじつけ」になる。「こじつけ」は、聖書の正しい読み方とは言えない。
我々はむしろ、これらの災いが旧約聖書の伝統を取り入れる形で描写されたということに注目すべきであろう。例えば、出エジプト記7章以下には、エジプトで奴隷とされていたイスラエル民族を解放するためにモーセが数々の奇跡 ―― 雹が降る・水が血に変わる・水が苦くなる・暗黒が地上を覆うなど ―― を起こしたことが詳しく書かれている。
ある注解者は、黙示録の著者ヨハネが、ローマ帝国の迫害の下で苦しんでいるキリスト教徒たちをエジプトから解放されたイスラエル民族になぞらえた、と書いているが、これには十分な理由があると思われる。
従って、ここに描かれた天変地異は、単に「恐ろしい破滅の前兆」などというものではない。イスラエル民族が奴隷の境遇から解放されたように、今苦しんでいるあなたがたもやがてその苦しみから解放される。その前兆を私は見た、とヨハネは言っているのではないか。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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