今週も旧約聖書をテキストにして話したい。先週取り上げたエレミヤは、南王国ユダが滅亡する直前に活躍した預言者である。ユダ王国は紀元前587年にバビロンのネブカドネツアル王に滅ぼされ、多くの主だった人々がバビロンに強制連行されて補囚となるという民族的苦難を経験したが、その中で預言者はどのように考え、どのように行動したか。教えられるところが多い。
今日のは、そのエレミヤの直後の時代のものだ。
そもそもイザヤ書40-55章は、それ以前の部分とは用語も時代背景も思想も明らかに違うので、普通「第二イザヤ」と呼ばれている。紀元前539年に、新興ペルシャ帝国のキュロス王がバビロンを攻め、そのお陰で補囚民は苦しみから解放されて故国に帰ってくるのだが、第二イザヤは解放が近いことを予感して慰め深い言葉を語るのである。40,1-2はその代表だが、今日の箇所もその一つである。「恐れるな、私はあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ」(2)。
ところで、旧約聖書の中心には「解放の物語」がある。エジプトで奴隷であったイスラエル民族はモーセによって解放された。バビロンで補囚とされていたユダの人々は、キュロスによって解放された。主としてこの二つだが、この解放こそ、民族の「原体験」であった。
日本人は、このような「原体験」を持っているだろうか。
多分、それにやや近いのが、戦後、外地から引き揚げてきた人々の経験だろう。私の母は、当時17歳の姉と13歳の妹、それに11歳の弟を連れて、戦後一年間、中国の東北部(満州)に留まっていた。収容所に入れられたわけではない。旧日本軍の官舎に住んで、国民党の「政府軍」と共産党の「八路軍」が絶えず小競り合いをする中で息を潜めていた。その内にソ連軍が入ってきて略奪暴行を繰り返す中で、子供達を守りながら1年を過ごした。引き揚げが始まるという知らせを聞いた時、どんなに嬉しかったか。後に母はくり返しこのことを語った。確かに、これも「解放」の体験だ。
あるいは、シベリヤに強制連行されて数年間抑留された日本の将兵。アジア各地の捕虜収容所で捕虜生活を送った兵士たち。彼らも故国に帰還してきたとき、「解放」されたと感じたであろう。
さらに、ジョン・ダワーは、戦後米軍が進駐してきた時、一般の市民の多くはこれを「解放軍」として歓迎したと書いている(『敗北を抱きしめて』)。同じ意味で「占領は日本軍国主義からの解放であった」と言う人もある。
だが、これらのいわゆる「解放」は、本来の意味での「解放」とは違うのではないか。聖書が言う「解放」とは、異民族の支配によって強いられた奴隷状態からの解放である。出エジプトもバビロン捕囚からの解放もそうであった。
私の母は確かに戦後の満州で苦労をしたが、そもそも何故満州にいたかといえば、中国を支配していた日本陸軍の部隊長であった父の家族として、いわば特権階級としてそこにいたのであり、戦後その立場が逆転したということに過ぎない。シベリヤやアジア各地の捕虜収容所にいた兵士たちも、基本的には同じである。「日本軍国主義からの解放」と言うのも、甘いと言わなければならない。それを支持し・発展させ・為すがままに任せたのは、同じその人たちなのだから。
本来の意味での「解放」を経験したのは我々日本人ではない。そうではなく、韓国や中国の人々である。日本が無条件降伏をしたとき、彼らは、「遂に日本の理不尽な植民地支配や横暴な暴力から解放される日が来た」と喜び叫んだ。8月15日は日本では「敗戦の記念日」だが、韓国では「光復節」である!
さて、今日のテキストは、一般的な言葉としてではなく、バビロン捕囚から解放される人々に向かって語られている。この点に注意を払わなければならない。半世紀にわたる苦難の時がようやく終わって解放される。だが、前途にはさまざまな困難が待ちうけているだろう。その人たちに向かって第二イザヤは語っているのである。
「恐れるな、私はあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない」(1節後半~2節)。何という慰め深い言葉か。さらに続く。「恐れるな、わたしはあなたと共にいる。わたしは東からあなたの子孫を連れ帰り、西からあなたを集める」(5)。
韓国の人々は、このような解放の言葉を直ちに理解する、と聞いたことがある。「出エジプト」や「補囚からの解放」の物語は、民族の「原体験」と重なるのだ。韓国であれほど沢山の人が教会に集まる理由の一つはここにあるかもしれない。同じことは、中南米の貧しい人々の信仰共同体にも言えることである。特別に説明を加えなくても、それを読んで聞かせるだけで、直ちに「ああ、これは神様が私たちに与えられた約束だ」と了解して涙を流すという。
今日のイザヤの言葉を、我々は、これらの人々の助けを借りて理解しなければならないだろう。自分たちが他民族を強制連行したり、補囚にしたりしたということを悔い改めないままで、あたかも自分たちのための物語であるかのように理解することは許されない。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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