「降伏を勧めた預言者」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

エレミヤの時代は、紀元前627年の召命から、583年頃(?)の死に至るまでの約40年間である。北王国イスラエルは既に100年以上も前にアッシリヤによって滅亡、残った南王国ユダも、新興バビロン帝国の攻撃を受けて滅び、エルサレムの神殿は焼かれ、国民の主だった人々は強制連行されてバビロンに補囚となるという、激動の時代であった。この中で預言者として召されたエレミヤがどのように考え、どのように行動したか。現代に生きる我々にとっても、教えられるところが少なくない。

さて、バビロン王ネブカドレツアルがエルサレムを包囲したのは、紀元前588年である。少し遅れてエジプトの軍勢がエルサレムに接近した。恐らくユダ宮廷内の親エジプト派がファラオ・ホフラに救援を要請したのであろう、と言われている。バビロン軍は戦略上、衝突を避けて一時撤退し、程遠からぬところで情勢を窺っていた。つまり、二つの大国の軍隊がエルサレムを挟んで対峙し、ユダはその真只中に置かれたのである。38章の背景にあったのは、そのような重大な危機である。

この時、ユダの王ゼデキヤは、要するに動揺していた。彼はバビロン王によってユダの王に任命されたのに(37,1)、側近の親エジプト派に動かされて、密かにエジプトとも通じていた。根本的には、ユダの進むべき方向に関して確固とした見識がないのである。困った彼は、エレミヤの助言を求めた(14)。

エレミヤの考えは一貫して、「バビロン軍に対して無駄な抵抗はせず、降伏した方がいい」ということだったが、それを言えば親エジプトのゼデキヤ王の不興を買うことは目に見えていた。現に、この直前にも、エレミヤの「敗北主義」に激しく怒ったゼデキヤの役人たちは、彼を水溜めに投げ込んでいる (38,1-6)。

その時は幸いにも助けられたが、この時の経験から、エレミヤは警戒して中々本音を言わない。だが、王が「是非にも」と言うので、エレミヤはやむを得ず、かねてからの信念をもう一度繰り返す。「あなたがバビロンの王に降伏するなら、命は助かり、都は火で焼かれずに済む」(17)。結局、ゼデキヤ王は、エレミヤのこの助言に従わなかった。その結果は、39章に書いてある通りである。こうしてユダ王国は滅亡した。

ところで、エレミヤが「降伏を勧めた」ということについて考えたい。

旧日本軍は、実際は降伏した兵士も多くいたが、建前上は「降伏」を認めなかった。これ以上の抵抗は無駄だということが誰の目にも明らかになっても、「最後の一兵まで戦う」ことが命じられていた。『戦陣訓』には「生きて虜囚の辱めを受けず」と言われ、「瓦のように生き延びるよりは、玉となって砕ける」、つまり「玉砕」することが兵士の誇りであると教えられた。日本の軍隊は「天皇の軍隊」(皇軍)であるから絶対に善であり、敗北はあり得ないというイデオロギーが支配していたからだ。

もちろん、こういう思想は戦時中の日本だけではなく、昔のユダヤにもあったし、現代でも、民族紛争が火を噴いているところには必ずある(パレスチナ、アフガニスタン等々)。およそ国や民族のイデオロギーが絶対化されるところでは、不可避的に「聖戦」の思想が生まれ、「最後の一兵まで戦う」という勇ましいスローガンが声高に唱えられる。そういう所から見ると、エレミヤが降伏を勧めたのはまさしく「敗北主義」であって許せない、ということになるであろう。彼が故郷の人々からも暗殺の目標としてつけ狙われたのは、その意味では当然であった。

しかし、エレミヤは預言者であった。預言者というのは、単に他の人よりも多くの知識や経験を持っている人のことではない。「神の言葉」を聞いてそれを「預かり」、人々に伝える人のことである。むろん、歴史的な状況を正しく把握する判断力や、世界史の動きに対する正確な洞察も重要だし、エレミヤはそのような見識も十分に備えていたが、それ以上に大事なのは「神の言葉」を聞くことであった。

だが、それは例えば祈祷師が精神を集中して「お告げ」を聞く、というような「神懸かり」的なことではない。預言者の場合、「神の言葉」を聞くということは、簡単に言えば、自分の民族の立場にとらわれない、ということではないか。自分の国で誰もが当然のこととしている思想(イデオロギー)からも、彼は自由である。それをも相対化して、もっと高い観点から、つまり「神の言葉」によって、世界全体の将来を見ることである。預言者が「神の言葉」を聞くというのは、そういうことだ。

エレミヤは、この観点から降伏を勧めたのである。「もし、あなたがバビロンの王の将軍たちに降伏するなら、命は助かり、都は火で焼かれずに済む。また、あなたは家族と共に生き残る」(17)。逆に、民族のイデオロギーにとらわれ、自分の主義・主張を頑固に守り通そうとするとき、何が起こるか。「もしバビロンの王の将軍たちに降伏しないなら、都はカルデア軍の手に渡り、火で焼かれ、あなたは彼らの手から逃れることはできない」(18)。我々も似たような経験を持っているのではないか。日本がもっと早く降伏していたら、多くの都市は空襲で焼かれなくても済んだし、大多数の特攻隊員は死ななくてもよかった。「沖縄戦」も「原爆」もなかっただろう。私の兄も、命を無くさずに済んだ筈だ。

民族や国家、そのイデオロギーを絶対化して、それを超えた自由な見方ができなくなると、必ず災いが降りかかる。エレミヤは、神の言葉によってこのことを知らされていたのである。我々は、民族や国家、いや、人類の将来を神の視点から考えることができなければならないだろう。


 
 

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