私は聖書を学び、イエス・キリストを信じましたが、まだ洗礼を受けていません。洗礼を受けないとクリスチャンではないのでしょうか。洗礼とはなんですか。また洗礼を受けなければ、救われませんか。
洗礼の理解に関して、キリスト教界の中にも多少の混乱があるように感じます。
いつものように、3つの点を取り上げて、この質問にお答えしたいと思います。
1番目に、洗礼(バプテスマ)の本来の意味は「一体化」ということです。
つまり、一つになるということです。通常の形式では、受洗者は水の中に入って全身を浸します。その人はずぶ濡れになります。そのことが、一体化を象徴しているわけです。その一体化とは、もちろん、「イエス・キリストとの一体化」です。
ですから、「自分はイエス・キリストを信じた」、あるいは「イエス・キリストと一つになった」、ということを象徴的に表現するのが洗礼です。
2番目に、洗礼は「救いの条件」ではありません。
「人は信仰と恵みによって救われる」というのが、救いに関する真理です。もし、洗礼を受けることが救いの条件であるなら、救いには「人間の業」が必要だ、ということになります。これは、信仰と恵みによる救いとは矛盾する教えです。ですから、洗礼は救いの条件ではないというのが正しい理解です。
もう一つ付け加えますと、既に救われている人が受けるのが洗礼です。従って、信仰がない人が洗礼を受けても、なんの意味もありません。「水」そのものに祝福する力があるわけではないのです。もしそうなら、「世界で一番祝福されているのは金魚だ」ということになります。水には人を救う力はありません。
3番目に、洗礼はイエス・キリストへの従順の第一歩です。
洗礼は救いの条件ではありませんが、それでも重要です。なぜなら、洗礼は、イエス・キリストを信じてクリスチャンになった人が、キリストに従順な生活を始める第一歩となるからです。洗礼を受ける第一の理由は、「イエス・キリストがそう命令されたから」です。クリスチャンとは、「イエス・キリストに従う人」のことです。クリスチャンになった人は、「私はキリストを信じて、キリストと一体となった」ということを表現するために、洗礼を受けます。
以上のことをまとめてみましょう。
洗礼は救われた人が受けるものです。キリストは、私たち人間が「霊と肉」からできていることを、よくご存知です。洗礼を受けた後は、「あぁ、私は救われてクリスチャンになった」という確信が深まります。これは不思議なことですが、体験的事実です。
イエス・キリストは、私たちが弱い者であって、そのような外面的な儀式が必要であることをよくご存知です。特別な事情がない限り、信じた人は、なるべく早く洗礼を受けるのが良いと思います。
「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(マタイの福音書28:19〜20)
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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