【疑問】なぜ教会は「クリスマス」は祝うのに聖書の祭りは祝わないのか

▼ウソと偽りのクリスマス
▼クリスマスのウソ
▼聖書の7大祭り
▼まだ未回収の「伏線」 
▼聖書の祭りを祝おう!

クリスマスもイースターも聖書に書いてないって知ってましたか?

 

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▼ウソと偽りのクリスマス

 キリスト教といえば、クリスマスにイースター。誰もが思い描くイメージだろう。「普段は教会行かないけど、クリスマスとイースターだけは行くんです」・・・よく聞くセリフだ。はっきり言っておく(イエス風に)。クリスマスも、イースターも聖書には記述がない。ええっそんなばかな、と思うかもしれないが、本当だ。

 ウソだと思うならば、聖書を調べてほしい。確かに、イエスが生まれた記述や、復活した記述はある。しかし、「クリスマス」「イースター」などという単語はどこにもない。実は、両方とも後代に作られたただの文化なのである。そもそも、イエスが12月25日に生まれたという記述はどこにもないし、「イースター」という日に復活したという記述もない。

 しかし、聖書には、「これを覚えて行え」と命じられている大切な7つの祭りが書かれている。しかし、ほとんどの教会がこれを行っていない。なぜか。今回は、「祭り」についての記事を書く。

 

 

▼クリスマスのウソ

 クリスマスが12月25日だというのは、大ウソだ。イエスが生まれた際、羊飼いたちが外で寝ずの番をしていたという記述がある。イスラエルといえど、冬はかなり寒い。体感では東京と同じくらい。私が留学していた時は、大雪が降ったくらいだ。外で寝ずの番をしたら、凍え死んでしまう。

 このことなどから、イエスは冬ではなく、春頃か秋頃に生まれたというのが通説である。しかし、聖書に具体的な日にちが書かれていない以上、ハッキリとはわからない。

 それなのに、なぜ12月25日がイエスの誕生を記念するクリスマスとなったのか。それは、ローマ帝国が「キリスト教」を公式に認めた頃、その地域で盛んだった「ミトラ教」の太陽神の祭りがその頃だったからだ。つまり、クリスマスは元々「異教の祭り」なのだ。これを未だに大真面目に祝っているのは、ちゃんちゃらおかしい話である。

 イエスがいつ生まれたかわからない以上、365分の1の確率で、12月25日に生まれた可能性も否定できない。だから、12月25日をその日だと決めて、世界中みんなで祝うのは、良いことだと思う。今さら違うと声をあげても、もうほぼ世界中で認められた祭日となってしまったのだから、それを覆すエネルギーを使うより、利用するエネルギーにした方がいい。聖書にダメと書いてない以上、それを否定する必要はない。

 とはいえ、聖書には、覚えておくべき大切な祭りについて記述がある。私が問題だと思うのは、クリスマスやイースターなどという、あえて言えば「どうでもいい」祭りばかりに力を注いで、本来聖書が命じている大切な祭りをおろそかにしている点だ。では、その祭りとは何なのか、見ていこう。

 

 

▼聖書の7大祭り

 聖書には、7つの大切な祭りが書かれている。そして、それぞれが重要な意味を持っている。以下の祭りだ。

 

【聖書の7大祭り】(時期はユダヤ暦のため毎年ズレる)

1:過ぎ越しの祭り(ペサハ)<春・3月~4月頃>

2:種なしパンの祭り(ハグ・ハ・マツォット)<春・3月~4月頃>

3:初穂の祭り(ヨム・ハ・ビクリーム)<春・3月~4月頃>

4:7週の祭り(シャブオット)<春・5月~6月頃>

5:ラッパを吹き鳴らす祭り、ユダヤ新年(ヨム・テルーア、ロシュ・ハ・シャナー)<秋・9月頃>

6:大贖罪日(ヨム・キプール)<秋・9月頃>

7:仮庵の祭り(スコット)<秋・9月~10月頃>

 

 これに加えて、毎週土曜日の「安息日」が大前提の祭りとしてある(毎週お祭りイスラエル!) 。

 これらひとつひとつを解説していると、日が暮れてしまうので、今回は割愛するが、どれも聖書の中で命じられている、大切な祭りだ(興味がある方はレビ記23章を参照)。

 なぜ大切なのか。ユダヤ人のための祭りであって、我々外国人には関係ないのではないのか。とんでもない。聖書には、様々な「伏線」がある。これらの祭りは、全て大切な「伏線」になっているのである。詳しくは省くが、だいたい、以下である。

 

<春の祭り>

1:過ぎ越しの祭り →イエスの十字架

2:種なしパンの祭り →イエスの十字架と復活全体

3:初穂の祭り →イエスの復活

4:7週の祭り →ペンテコステ(聖霊が下った日)、教会の共同体の誕生

<秋の祭り>

5:ラッパ(角笛)を吹き鳴らす祭り、ユダヤ新年 →イエスの再臨? 携挙(けいきょ)?

6:大贖罪日 →大艱難時代? 最後のさばき?

7:仮庵の祭り →千年王国? 新しいエルサレム? 新しい天と地?

 

 1~3の祭りは、実は1週間のうちに凝縮されている。全てが、イエスの十字架の死と復活の伏線となっている。この3つの祭りは、有名なモーセの時代に、イスラエルの民がエジプトから脱出する時の話が元ネタとなっている。この過ぎ越し、種なしパンの祭りの意味を学べば学ぶほど、全てがイエスにつながってくる。興味がある人はぜひgoogle先生で検索して学んでみてほしい。

 現代の教会に行くと、ふかふかのパンとワインが出されて、「これがキリストのからだです」とか言ってみんなで食べる儀式がある。いわゆる「聖餐式」<せいさんしき>だ。イエスが弟子たちとメシを食いながら、「これを覚えて行え」と命じた、有名な最後の晩餐のシーンである。この食事、実はタダの食事ではなく、この「過ぎ越しの祭り」の食事なのである。だから、本来はイースト菌でふくらんだパンではなく、イースト菌が入っていない「種なしパン」(マッツァ)で聖餐式をやるのが正しい。マッツァは、パサパサしたクラッカーのような味。正直美味しくない。興味がある人は、一度食べてみては。アマゾンとかコスコとかで買える。

 7週の祭り、(シャブオット)は、新約聖書にも記述がある(使徒の働き2章)。ギリシャ語では、「ペンテコステ」ともいう。過ぎ越しの祭りから7週間経った次の日、つまり50日目なので、ギリシャ語の50日目を表す言葉が由来だ(7x7=49+1=50日目。ペンタゴンというのを思い出せば覚えやすい)。

 この日に、イエスが約束した「助け主」である「聖霊」が弟子たちの上に下った。この時から、弟子たちは、イエスの福音を大胆に伝えるようになった。福音が世界中に広がっていったのだ。この時が、教会の共同体の誕生である。7週の祭りは、この聖霊の働きと、共同体の誕生の伏線となっているのである。

 

▼まだ未回収の「伏線」 

 秋の3つの祭りは、未だにが未回収の伏線である。

 秋の祭りは「ラッパの祭り」から始まるが、新約聖書には、「ラッパ」と書いてあるが、これは金管楽器のラッパではなく、「角笛」を指す。イスラエルでは、進軍の合図や、集合の合図、神殿での賛美などの用途に使われた。新約聖書では、この「ラッパの音」の合図で、イエスが地上に戻って来るという記述がある。それとともに、イエスを信じる者が一気に引き上げられるとある。

 

すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身(イエス)が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主(イエス)と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

(テサロニケ人への手紙第一 4:16~17)

 この箇所は、「イエスの再臨」だとか、「携挙(けいきょ)」とか言われる。ただ、伏線が未回収なので、具体的にどういうタイミングで、どういう形で実現するかは、誰もわからない。残念ながら神の計画のネタバレサイトはない。推理している人たちは大勢いるが、本当のところは誰も知らない。知り得ない。ただ、この世界の筆者である神のみぞ知っている。実は、驚くことに、イエス自身も知らないと言っているのだ。

 

ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子(イエス)も知りません。ただ、父(神)だけが知っておられます。洪水前の日々にはノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らにはわかりませんでした。人の子の到来もそのように実現するのです。

(マタイの福音書 24:36~39)

  イエス自身も知らないというのだから、私達人間が深入りするのはよしておこう。まさに、神のみぞ知るセカイなのである。もしあなたの身の回りに「イエスはもう来た」とか、「いついつに来る」とか言っている人がいたら要注意。某隣国には、何百人とそういう人がいるという。推理するのは楽しいが、イエスの信者に必要なのは、いつ来てもいいように、絶えず目を覚まして準備しておくことなのである。この未回収の伏線が、いつ実現するのか、楽しみに待とうではないか。

 

 

▼聖書の祭りを祝おう!

 現代の教会は、なぜ聖書の祭りをやらないのか。実は、カトリックが大きな間違いを犯している。キリスト教が国教として認められると、教会組織は、「こういうユダヤ教の祭りなんかを祝ったら、教会から除名するからな!」というおふれを出してしまったのだ。なんという暴挙。なんという間違い。なんとういう愚かな行為だろうか。彼らは、この偉大な「伏線」を理解できなかった。新約聖書にガッツリ伏線が回収されているのに、それに気がつけなかったのだ。

 今からでも遅くない。私は、現代の教会にこれらの祭りを祝うようにオススメしたい。勘違いしてほしくないが、別に外国人である私たちに祭りを行う義務はない。ユダヤ教のようにマジで安息日を守って働くなとか、1kmしか歩いちゃいけないとか、ケータイ使うなとか言っているわけじゃない。余談だが、ホンマモンのユダヤ教徒の人は、大贖罪日などの例祭には、歯も磨かないそうだ(ばっちい!)。

(※上記はユダヤ人以外がユダヤ人みたいに律法を厳守する必要はないという趣旨で、ユダヤ教を揶揄する意図はない)

 大切なのは、その祭りの節々に隠されている伏線を学び、思い出すことだ。1年に7回ある祭りを祝い、経験し、神がどんなに大きいスケールで伏線を隠し、それを成就したのか、毎年思い返そう。そして、神がどれだけの計画を私達のために用意しておられるのか、知り、感謝しようではないか。そのために、これらの祭りを、たとえ日本人であっても祝おうではないか。

 クリスマスやイースターも大切だ。ペンテコステを祝う教会もある。大切な文化だ。でも、それは「キリスト教」という宗教の文化になっていないか。もう一度、聖書にどう書いてあるか、その伏線はどう実現したのか、基本に戻ろう。文化の祭りを祝うのならば、なおさらのこと、聖書で大切と書いている祭りを祝おう。私は、この7つの祭りは、日本の教会でもおおいに活用できると思う。

 別に、本当に種なしパンを用意したり、ワインでやる必要はない。ビスケットでもクッキーでも、ぶどうジュースでもコーラでもいい。別に、仮庵を作らずとも、かまくらを掘って、その中でモチを焼いてもいい。季節は違うが。大切なのは、そこに込められた意味なのだ。

 でも、できれば「形」も大切にしてほしい。なぜなら、その儀式の一つ一つには、隠された意味があるからだ。例えば、ユダヤの伝統では、過ぎ越しの祭りの食事の際に、種なしパンを3つ重ねる。祈りをした後に、そのパンの真ん中の1つだけを割る。これは、イエスを信じる人々の間では、「父・子・聖霊」のいわゆる「三位一体」の真ん中、「イエス」が犠牲となった象徴だとされている。モーセの時代からの伏線が、ここで回収されたのである。

 そのように、祭りの細かい指示のひとつひとつに、実は意味が隠されている。外国人である私達が、そこまでやるのはマストではないが、実際にやってみると、意外に面白い。仮庵の祭りの際に、実際にテントを作ってみるのも面白いだろう。そこで星を見上げて、神を思い起こしてみたら、意外とその場所があなたのイスラエルになるかもしれない。イスラエルの民の疑似体験ができるかもしれない。聖書の祭りを、あなたも体験してみてはどうだろうか。

 聖書がせっかく伏線のヒントを提供しているのに、それを無視してクリスマスとイースターだけやっているのは、どうも勿体無いと思うのだ。

 

あなたがたはこのことを、あなたとあなたの子孫のための掟として永遠に守りなさい。あなたがたは、主が約束どおりに与えてくださる地に入るとき、この儀式を守らなければならない。あなたがたの子どもたちが「この儀式には、どういう意味があるのですか」と尋ねるとき、あなたがたはこう答えなさい。「それは主の過越のいけにえだ。主がエジプトを打たれたとき、主はエジプトにいたイスラエルの子らの家を過ぎ越して、私たちの家々を救ってくださったのだ」すると民はひざまずいて礼拝した。

(出エジプト記 12:24~27)

これは、あなたがたの後の世代が、わたしがエジプトの地からイスラエルの子らを導き出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを知るためである。わたしはあなたがたの神、主である。

(レビ記 23:43)

 

(了)

 

◆このブログの筆者の小林拓馬は、現在、完全オンラインのプロテスタント教会「クラウドチャーチ」の牧仕として活動しています。

 

◆小林は、Podcast&YouTube「まったり聖書ラボ」でも発信中!

 

※この記事の聖書の言葉は、特に断りがない限り、<聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会>から引用しています。

【参考リンク集】

▼過越の祭り | 聖書入門.com

▼種なしパンの祭り | 聖書入門.com

▼初穂の祭り | 聖書入門.com

▼七週の祭り | 聖書入門.com

▼ラッパの祭り | 聖書入門.com

▼贖罪の日 | 聖書入門.com

▼仮庵の祭り | 聖書入門.com

 

▼主の例祭についての預言的意味 - 牧師の書斎

▼三つの主の例祭 - 牧師の書斎

▼春の四つの主の例祭の真意 - 牧師の書斎

▼秋の三つの主の例祭の真意 - 牧師の書斎


▼ユダヤの7つの例祭(英語)7Jewish Holidays


 

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