エレミヤ26章・預言者エレミヤとウリヤに起こったことの違いをもたらしたもの

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

 エレミヤは人々の反感を買う預言をしましたが、エルサレムの数々の苦難から救い出されエルサレムの災いを生き残りました。 一方、預言者ウリヤはエレミヤと同じこと、つまり、エルサレムが荒廃した所になるということを預言しました。(エレミヤ26:20)しかし、ウリヤは殺されてしまいました。(エレミヤ26:23)

 ふたりの預言者はどちらもエホバからの真の預言をしていたと考えられます。二人の預言者の結果が違ったのがどうしてなのかを考えて、教訓を学びましょう。

 ウリヤはエホバ神からの霊感を受けていたと考えられます。エホヤキム王とすべての君たちは、ウリヤの預言を不快に思って彼を殺そうとしました。ウリヤはそれを聞くと恐れてエジプトに逃げました。エホヤキムはエジプトに人々をエジプトに遣わし、ウリヤを捕えて自分の所に連れて来て殺しました。(エレミヤ26:20-22)

 

 一方、預言者エレミヤは、エルサレムが荒廃するというエホバの言葉をはっきり伝えていましたが、死を免れていました。

 エレミヤは人々につかまりましたが、自分がエホバ神に遣わされて語ったと述べました。(エレミヤ26:15)人々はその時、エレミヤがエホバの名によって語ったと言って、エレミヤを擁護しました。(エレミヤ26:16)

 また、過去に起こった出来事を回顧してエレミヤを擁護する発言をする年長者もいました。(エレミヤ26:17)また、シャファンの子アヒカムもエレミヤが殺されないようにエレミヤを守りました。(エレミヤ26:24)

  ウリヤとエレミヤのこの違いをもたらしたものは何だったのでしょうか。

 もちろん、預言者の命と死は、預言者の預言を聞いた人々のその時の反応に左右されます。もし、人々がエホバの言葉を恐れるならば、その預言者は命が守られることになります。

 しかし、エレミヤ書を調べるとエレミヤは人々が自分を殺そうとしていると、自分の状況をエホバ神に訴えています。例えば、エレミヤはアナトテの人々が自分を殺そうとしていると訴えました。

 「ああ,わたしが彼らに対するあなたの復しゅうを見ることができますように。わたしはあなたにわたしの訴訟を打ち明けたからです。」(エレミヤ11:20)その時、エホバ神はアナトテの人々に災いをもたらして彼らが死ぬようにすると言われました。(エレミヤ11:21,22)

 また、エレミヤは、自分に落ち度があったとしても、「わたしを迫害する者たちに復しゅうしてください。・・・わたしを取り去らないでください。」とエホバに懇願しました。(エレミヤ15:15) また、エレミヤは自分がエホバの言葉のために苦難をしのんでいることのゆえに、自分を覚えて下さるように祈りました。(エレミヤ15:15)

 それで、エホバ神はエレミヤの祈りに応え、「わたしは良いことのためにあなたに仕えよう。まさしく、災いの時、苦難の時に、わたしはあなたのために執り成しをして敵に向かおう。」と言われました。(エレミヤ15:11)

 そして、エホバ神は、「彼らは必ずあなたと戦うが、あなたに打ち勝たない。わたしがあなたと共にいて、あなたを救い、あなたを救い出すからである。」と言われました。(エレミヤ15:20,21)

  それで、エレミヤは、人々が自分を迫害していることに気づいた時、エホバに自分の状況を申し上げてエホバに保護を願い求めました。それで、エホバ神はエレミヤの祈りに答えられて、エレミヤを助けるという保証を与えられました。

(jeremiah5)エレミヤは迫害されているという状況をエホバに訴え保護を求めました-エホバはエレミヤの訴えに応じられました

 預言者ウリヤが同じような祈りをエホバに捧げたという記録は残っていません。また、預言者イザヤも苦難の中で、エホバに仕えましたが、イザヤが自分の状況を個人的にエホバに訴えたという記録は残っていません。イザヤは、マナセによる迫害で命を失ったと言われています。

 もちろん、イザヤもウリヤもエホバの真の預言者と考えられ、彼らが迫害によって命を失ったことは不当なことでした。イザヤとウリヤの命を奪ったことは、ユダに血の罪がありました。 また、エホバは後になってユダの人々がバビロンによって命を失うようにされてユダに申し開きを求めました。そしてウリヤやイザヤは、将来楽園で復活してきます。

 しかしながら、エレミヤは自分の状況を事細かにエホバに申し上げてエホバに訴えたという点でふたりと異なっていました。ですから、エレミヤはウリヤと比べてそれだけエホバに信頼してエホバと親密であったと言えると思います。

 エレミヤはエホバへの祈りに時間をとりました。エレミヤのエホバへの祈りはおざなりなものではなく、エレミヤは自分の心をエホバに注ぎ出しました。(詩編142:1,2;102:1)そして、エレミヤの信仰と祈りは報われました。エホバ神はエレミヤの祈りを聞かれ、窮地に陥ったエレミヤを何度も助けました。

 それで、エレミヤとウリヤやイザヤに起こったことの違いは、その捧げた祈りに原因があったかもしれません。私たちは迫害者から迫害される時に、その状況を信仰をもって祈りによってエホバ神に申しあげましょう。

 苦難に直面した時は、祈る時間はないかもしれません。しかし、私たちのふだんの祈りが聞かれるかもしれないのです。

(prayer59)John Ragaiふだんエホバに自分の状況を申し上げ保護を祈りましょう-エホバは苦難の時に答えて下さるでしょう

 エホバ神に自分の状況を詳しく訴えましょう。エホバ神との親密な関係を保って、エホバに保護していただきましょう。エホバ神は、私たちのご自分に対する信仰に答えて下さって、私たちが生き永らえるように助けて下さるでしょう。

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