聖書に出てくる植物 「オリーブ」

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

こんにちは、ハトコです。
聖書の中心的な舞台であるイスラエルを代表する作物は次の7つで「小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ザクロ、オリーブ、なつめやし」です。
前回は「いちじく」について見ましたが(記事はこちら)、今回はオリーブを取り上げます。

目次

オリーブが象徴するもの平和の象徴美しさの象徴長寿の象徴栄光の象徴イエスとオリーブオリーブ油を搾る家庭の灯りとして:薬として:化粧品として:オリーブ山ゲッセマネの園イエスの苦しみまとめ

オリーブが象徴するもの

オリーブはイスラエルの全土でよく見られる木です。ぶどう畑や、いちじく桑畑と並んで、オリーブ畑が聖書に出てきます。そしてオリーブには「平和」「美しさ」「長寿」「栄光」などの象徴的な意味が込められていて、神が選び愛された「イスラエル」を表すものとして聖書に書かれています。ではこれらの象徴を一つずつ見ていきましょう。

平和の象徴

聖書に最初に出てくる植物の固有名詞は前回の「いちじく」でした。そして2番目に固有名詞で登場するのがこのオリーブで、「ノアの方舟」のストーリーに登場します。
皆さんの多くがこのストーリーをご存知だと思いますが、神様は罪と暴虐に満ちてしまった世界を造り直すために、地上に大洪水を起こしますが、義人ノアとその家族は神の言葉に従って方舟を造って入り、その裁きを免れました。また、一年もの期間、地を覆っていた大水が引きはじめた時に、地が乾いたことをノアに知らせた鳩がその口に加えていたのが「オリーブの若枝」だったのです。
このことから、オリーブは災の終わりである「平和」の象徴といわれるようになりました。これは何度も罪のために神の裁き受けながらも、神の哀れみによって幾度も萌え出るイスラエルを象徴しています。

はとは夕方になって彼のもとに帰ってきた。見ると、そのくちばしには、オリブの若葉があった。ノアは地から水がひいたのを知った。
創世記 8:11

美しさの象徴

聖書には「イスラエルは、麗しいオリーブのようだ」という表現が出てきます(ホセア書14:5-6)。オリーブは常緑樹で、一年中美しい緑の葉を茂らせていますが、葉の裏側は薄い灰色をしているので、風が吹くと揺れて銀色に光るそうです。朝の光や昼の太陽、夕暮れの夕日に照らされて風に揺れるオリーブの木は、とても美しい姿を見せるそうですよ。
「ミドラシュ」というユダヤ教の古い聖書注解書にも面白い表現があるそうです。
「サラに子どもを身ごもると御使いが伝えた時、サラの顔はオリーブの葉のように輝いた」
素敵な表現ですね。私はイスラエルに行ったことがないのですが、風にそよいでキラキラと光るオリーブを見てみたいと思いました。
神様の目にはイスラエルの民はこの美しいオリーブのような存在なのだと聖書は記しています。

長寿の象徴

オリーブの木は、どんな過酷な環境でもよく育つ丈夫な木です。木の高さは10メートルにもなり、根は横にしっかり広がり、枝幅自体と同じくらいになります。免疫力も強く少ない水でもよく育つので、イスラエルの厳しい乾季にも耐えることができます。その強さは、エジプトの迫害、バビロン捕囚、離散、ホロコーストという過酷な運命を生き抜いてきたイスラエルを象徴しているとも言えます。
また、生命力が強いので、その若木を取って苗木として使用することができます。また接ぎ木してもよく育つので、新約聖書では次のようなたとえに使われました。

しかし、もしある枝が切り去られて、野生のオリブであるあなたがそれにつがれ、オリブの根の豊かな養分にあずかっているとすれば、あなたはその枝に対して誇ってはならない。たとえ誇るとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのである。
ローマ人への手紙 11:17-18

これは良いオリーブの木(イスラエル)に野生のオリーブの木(異邦人)が接ぎ木され、神の祝福をその本体の幹から受けていることのたとえとして語られているところです。イスラエル民族ではない私たち異邦人は、恵みによって神の福音に接ぎ木されて祝福に与かっていることを教えています。
オリーブの木は寿命も長く、樹齢数千年を超える老木も多くあります。その太い幹はほぼ空洞になってしまいますが、その枯れた幹を取り囲むように周りから若枝が生え出てきます。次の詩篇の表現はこの様子を歌っていると言われます。

あなたの妻は家の奥にいて 多くの実を結ぶぶどうの木のようであり、あなたの子供たちは食卓を囲んで オリブの若木のようである。
詩篇 128:3

オリーブの老木の幹を囲むように生え出た若木を、食卓を囲む多くの子どもたちになぞらえた子孫繁栄の祝福の言葉です。

栄光の象徴

オリーブの初絞りの油は、神殿に捧げられ、神殿の灯し油に使われました。また、イスラエルの王、祭司、預言者を任命する時に、頭に注ぐ任職の油として用いられました。最初に絞られたバージンオイルはこのように神の働きに用いられ、神の栄光の象徴とされています。
新約に登場するイエス・キリストのギリシャ語「キリスト」は、ヘブル語の「メシア」を意味します。この「メシア」は油を注ぐという意味の「マシャ」から派生した言葉です。「メシア(キリスト)」は神から油を注がれた栄光の王、祭司、預言者なのです。
また、聖書にはオリーブを王のように見立てた面白いたとえ話として次のような記述もあります。

ある時、もろもろの木が自分たちの上に王を立てようと出て行ってオリブの木に言った、『わたしたちの王になってください』。しかしオリブの木は彼らに言った、『わたしはどうして神と人とをあがめるために用いられるわたしの油を捨てて行って、もろもろの木を治めることができましょう』。
士師記 9:8-9

イスラエルでは、木々の中で最初に王に立てたいと比喩されるほどの威厳や存在感を、オリーブの木に感じていたと言えるのかもしれません。

イエスとオリーブ

オリーブ油を搾る


古代のオリーブ絞り機

オリーブといえばオリーブの実とオリーブオイルです。イスラエルでは多く栽培されていたオリーブの木ですが、イスラエルを真ん中に挟んだ両側のエジプトとメソポタミアの土地はオリーブの栽培に適しませんでした。そのため、イスラエルの上質なオリーブは輸出品として経済を支えた重要な産物でもありました。
当時のイスラエルではオリーブオイルは使用用途に合わせて4回に分けて油を絞りました。潰したオリーブの実をカゴに入れていくつも重ねて、それを丈夫な玄武岩で作った重しやネジを使って圧縮して油を絞り出します。

最初に絞った油は神殿に捧げられ最も聖なる油として使われました。2番めに絞ったものは食用に、3番目は生活用品として多用され、家庭の灯り用、薬、化粧品として使われました。

家庭の灯りとして:

ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。
マタイによる福音書 25:8

薬として:

近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
ルカによる福音書 10:34

化粧品として:

それであなたは身を洗って油をぬり、晴れ着をまとって打ち場に下って行きなさい。ただ、あなたはその人が飲み食いを終るまで、その人に知られてはなりません。
ルツ記 3:3

もうこれ以上は絞れないだろうというものを更に絞って最後の最後に絞り出した油には灰汁(あく)を混ぜて石鹸を造りました。そして、残った絞りかすは燃料として使われました。ここまで絞り切るのがオリーブの油絞りです。

オリーブ山

イスラエルのオリーブ山は、エルサレムの東にある山で、古くからオリーブが豊かに茂っていたのでこの名が付きました。新約聖書では、イエス・キリストが十字架にかけられる前の1週間、祈るために時間を過ごしたり、弟子たちを教えたりする場所として登場します。そして、死から復活したイエスが天に帰られたのもこのオリーブ山からでした。旧約聖書にも多く登場し、エゼキエルやゼカリアの預言書にも出てきます。そしてゼカリアは、イエスが次に来られる時はこのオリーブ山に立たれると預言しています。

ゲッセマネの園

オリーブ山には「ゲッセマネの園」という、イエスが十字架にかかる前に最後に苦しみながら祈られた園があります。このゲッセマネという言葉は、「油絞り機」を意味する「ガットゥ」と「オリーブ油」を意味する「シュマニム」が合わさった言葉です。なのでゲッセマネの園は「油絞りの園」ということができます。イエスが最後に祈られた祈りを「ゲッセマネの祈り」と言います。それはまさに油絞りの祈りでした。

イエスは出て、いつものようにオリブ山に行かれると、弟子たちも従って行った。…そしてご自分は、石を投げてとどくほど離れたところへ退き、ひざまずいて、祈って言われた、「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。
ルカによる福音書 22:39-44

この祈りの姿はまるで、油を絞られているオリーブの実のようです。
イエスがこの園でこのように苦しみながら祈ったのはなぜでしょうか。

イエスの苦しみ


ゲッセマネの祈り

この祈りの後、イエスはユダの裏切りによって、当時の宗教指導者に捉えられ十字架にかけられます。この十字架刑は、実はイエスの処刑ではなく、私たち全人類の罪の身代わりとしての処刑でした。イエスはたった一人で全人類の罪を背負ったのです。またそれは、罪を持たないイエスが神なる父から完全に見捨てられること意味しました。十字架は肉体に受ける苦痛でしたが、ゲッセマネの祈りは、心と霊の苦しみでした。ゲッセマネの祈りは通常の祈りとはレベルが違いました。過去・現在・未来に存在する全人類の罪の重荷に押しつぶされ、地に伏して、圧縮機で最後の一滴まで絞られるように苦しまれた祈りでした。

しかしこの祈りの中で、イエスは完全な勝利を収められます。それが「父のみ心のままになりますように」という祈りです。この場から逃げ出したいが、逃げることなく自分の働きを全うするための明け渡しの祈りでした。イエスがこの後十字架にまっすぐに向かわれたのは、このゲッセマネの祈りの勝利があったからです。そして、絞りかすが燃料として燃やされるように、イエスも絞りかすのようなボロボロの体を十字架の上で燃やしつくしてくださったのです。

まとめ

オリーブ山のゲッセマネの園でイエスが苦しまれたその姿は、私たちにも大きな示唆と励ましを与えてくれます。私たちが大きな困難にぶつかった時に、イエスのゲッセマネの祈りのように困難から逃げずに神と向き合い、自らを絞りだすように祈るなら、祈りの中で神のみ心のままに生きる決断ができ、すでに問題は問題でなくなっているということを知ることでしょう。

オリーブは、神が愛する麗しいイスラエルを象徴するとともに、イエスがオリーブの若枝のようにイスラエルに現れ、将来また油注がれた王としてこの世に来られることも示唆しています。
クリスチャン(christian)は「Christ(キリスト)+ian(人)」なので「キリストの人、キリスト者」とも言えます。キリストが私の罪の贖いをしてくださった神だと信じるのがキリスト者、クリスチャンです。そうしてその救いを信じるなら、私たちは麗しいオリーブの木に接ぎ木され、神の祝福が豊かに流れてくるのだと聖書は語っています。
次回も植物から聖書の世界を見ていきたいと思います。
ハトコでした。

参考:『聖書の世界が見える(植物篇)』リュ・モーセ著。
『聖書大辞典』新教出版社。『イスラエルに見る聖書の世界 旧約聖書編』ミルトス。他

・クリップアートを使わせていただきました christiancliparts.net/(キリスト教クリップアートのサイト)

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