「先が見えないような時にも」イザヤ2:1-5 中村吉基

イザヤ書2:1-5;ローマの信徒への手紙13:8-14

イザヤ書2:1-5;ローマの信徒への手紙13:8-14

今日私たちが聴いた神の言葉はイザヤの預言からです。イエスさまが生まれる700年以上も前に活躍していた預言者です。この世界が終わりの日を迎えるその時、だれもがエルサレムに行って、神の神殿で礼拝したくなるというのです。シオンというのはエルサレムのことです。このエルサレムを2節で「主の神殿の山」と表現していますが、この山は世界で一番高い山で、天に近く、エルサレムこそが天と地を結ぶ場所であると言うのです。だからこそ誰もが「さあ、神の山に登ろう」とします。

ヤコブというのはイスラエルの別の呼び方です。そして「神の家」とはエルサレムにある神殿のことです。そこで、厳密な意味では「律法」を神から授かるのですが、私たちの新共同訳聖書では、3節の半ばにあるように神さまが私たちに備えられる「道」であると言います。そして神さまは国々の争いに終止符を打つのです。4節の「彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする」とは世界中で、武器を平和の道具に作り変えます。その時、世界で起こっている一切の戦争はなくなり、いっさいの軍備が不要なものとなるのです。神さまがご支配される世界とはこのような完全なる平和が実現しているところです。私たちはそれを信じることができるでしょうか。

「私には夢がある」という言葉を聞いたことがあるでしょう。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、キング牧師の言葉です。アメリカでは1月の1963年8月に人種差別撤廃を求めて、キング牧師らが主導して20万人(その中には白人もいました)が行進した、いわゆる「ワシントン大行進」の中でなされたキング牧師の演説の後半に出てくる言葉です。

(中略)

このキング牧師の演説から45年、そして彼の暗殺から40年を経た2008年、アメリカに初のアフリカ系の大統領が誕生しました。キング牧師が存命だったならば、この出来事をどのように見ていたでしょうか。アフリカ系の人々だけではありません。女性たちも、LGBTQ+の人たちも、アジア系の人たちも活躍する場が開かれてきました。

キングが捨てなかったものは「希望」でした。「希望は失望に終わることはない」(ローマ5章5節=口語訳)のです。果たして、数十年の月日は短かったのか、長かったのか、それはわかりません。しかし、神さまの眼から見れば「一日は千年のようで、千年は一日のよう」(Ⅱペトロ3章8節)なのですから、そのような年月のことを考えるのは野暮なことかもしれません。しかし、ひとつだけ言えることは、「主はわたしたちに道を示される」のです。

オバマ元大統領は、何度となく、キング牧師の言葉を引用しながら演説をしました。キングが「私には夢がある」と語った時代、アフリカ系(黒人)である、というだけで差別の標的になりました。その黒人という背景を持つオバマ氏がアメリカという大国のトップの位置に上り詰めたということは、キングの時代に「夢」でしかなかったことが、現実のものになったと言うのです。

しかし、オバマ氏が大統領になってもなお、差別や人種偏見もまだまだ根強く残りました。次のトランプ政権になってますますそれは深まりました。そしてアメリカの国民の分断が起こりました。アメリカだけではありません。世界中のあちらこちらで今、分断が起こっています。アフリカ系の方々をはじめ多くのマイノリティーはなお苦難を強いられるでしょう。それでも、たとえそうであっても神は私たちに道を示されるのです。

神さまは私たちの後ろ盾として、また導き手として、道を示してくださいます。どのような人にも等しく道を示されます。たとえ「死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」(詩編23章4節)という信仰です。ですから何も恐れることなく、与えられた道で神さまに従っていけばよいのです。神さまは皆さん一人ひとりに今日、道を用意されておられます。私たちはその道を通って、どこへ行くのかと心配するのではなく、「神さまはこの私に何をさせようとしておられるのか」「神さまは私に何をすることを願っておられるのか」私たちは与えられた道を目の前にしてよく祈り、よく考えることです。そして神さまが共にいてくださるのですから、わき目も振らずにその目的に向かって出発することです。

今日から教会の新年、待降節(アドヴェント)が始まりました。特にこの第1主日には「希望」に日曜日と呼ばれています。私たちを取り巻く環境は年々悪くなっているかもしれません。しかし私たちにどんなひどい苦しみや悲しみが訪れても、あるいは絶望の中に落とされようとも闇の中に輝く神さまの愛の光には「確かさ」があります。そこに希望を見出し、未来に向かって光の中を歩んでいくという神さまからの招きが今日共に聴きましたイザヤ書の「主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」という言葉の中にあるのです。

また、イエスさまは人間の人生が闇の中にあり、苦悩の連続であることをお分かりであり、しかしそれに私たちが押しつぶされないように生きていくことを私たちに示してくださっています。そのために何をすればよいのか。それは私たちの心を高く上げて、まなざしを天に向けて、神さまを仰ぐことです。神さまは私たちの弱さ、はかなさ、脆さをすべてご存知です。そしてそんな私たちを力強い御手で引き上げてくださいます。私たちは今日から待降節の一日一日を歩んで行きます。救いを待つ、救い主を待つ心を十分に養いつつクリスマスの喜びを今年もご一緒に味わいたいと願います。

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