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- 聖書の終末預言(その7)
聖書の終末預言(その7)バビロンの大淫婦の出現 「それから、御使いは、御霊に感じた私を荒野に連れて行った。すると私は、ひとりの女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神をけがす名で満ちており、七つの頭と十本の角を持っていた。この女は紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものや自分の不品行の汚れでいっぱいになった金の杯を手に持っていた。その額には、意味の秘められた名が書かれていた。すなわち、『すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン』という名であった。そして、私はこの女が、聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。私はこの女を見たとき、非常に驚いた。」(ヨハネの黙示録17:3-) ヨハネの黙示録17章によれば、その復興ローマ帝国である「獣」には、
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- 自分らしい生き方
自分らしい生き方 あなたは今の自分に満足しておられますか? もしかしたら、自分はこのままではいけない、もっと自分らしく生きたいと思っておられるかも知れませんね。では、あなたにとって自分らしい生き方とはどんな生き方ですか?私たちは自分らしく生きたいと願いながら、実際にはどこに自分らしさがあるかを知らないことがほとんどです。 では、なぜ私たちは自分らしさがどこにあるかを知らないのでしょうか? それは、私たちが人の目や人の評価を気にして、いつの間にか自分がどう思うかよりも、人が自分をどう見るか、人が自分に何を期待しているか、ということに応えながら生きるようになってしまったからではないでしょうか。しかし、そういう生き方は、自分の満足感・充足感を人任せにした不安定な生き方であり、決して自分らしい生
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- 聖書の終末預言(その4)
患難時代の前兆(その4)エゼキエル書38章 の預言(1) 紀元前世紀ごろに活躍した預言者エゼキエルは、エゼキエル書38章において、イスラエルの未来に関わる世界の情勢を預言しています。その内容は、まるで現在の中東情勢がそのままが書かれているかのようで、将来起こる未来の戦争を次のように預言しました。 「さらに、私に次のような主のことばがあった。「人の子よ。メシェクとトバルの大首長であるマゴグの地のゴグに顔を向け、彼に預言して、言え。神である主はこう仰せられる。メシェクとトバルの大首長であるゴグよ。今、わたしは、あなたに立ち向かう。わたしはあなたを引き回し、あなたのあごに鉤をかけ、あなたと、あなたの全軍勢を出陣させる。それはみな武装した馬や騎兵、大盾と盾を持ち、みな剣を取る大集団だ。ペルシャとク
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- 高貴なる生き方」
今日は、”高貴な生き方”について考えてみました。”ノブレス・オブリジェ”という言葉があります。これはもともとフランス語ですが、日本語に直訳すれば、『高貴なる義務』という意味です。つまり、王侯貴族のような、富や権力を人よりも多く持っている者は、それだけ人よりも多くの社会的義務と責任があるという考え方で、これは「多く与えられた者からは多く求められる」という聖書の言葉がその土台になっています。その意味では、驚くばかりの神の愛を与えられたクリスチャンは、どんな人にも王侯貴族以上に社会的義務と責任があると言えるかも知れません。以下の言葉は、マザー・テレサの有名が言葉ですが、本当に考えさせられる言葉です。ぜひ皆さんも、いつも目に付くところに貼っておかれるといいでしょう。人は不合理、非論理、利己的です。
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- 自分らしい生き方」
今日は、”自分らしい生き方”ということを考えてみました。あなたは今の自分に満足しておられますか? もしかしたら、自分はこのままではいけない、もっと自分らしく生きたいと思っておられるかも知れませんね。では、あなたにとって自分らしい生き方とはどんな生き方でしょうか? 私たちは自分らしく生きたいと願いながら、実際にはどこに自分らしさがあるかを知らないことがほとんどです。では、なぜ私たちは自分らしさがどこにあるかを知らないのでしょうか? それは、私たちが人の目や人の評価を気にして、いつの間にか自分がどう思うかよりも、人が自分をどう見るか、人が自分に何を期待しているか、ということに応えながら生きるようになってしまったからではないでしょうか。しかし、そういう生き方は、自分の満足感・充足感を人任せにした不
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- 失敗に学ぶ人生」
今日は、”失敗に学ぶ人生”ということを考えてみました。人生には、失敗はつきものです。何かをやろうとしたら、最後までスムーズにやり遂げることなど滅多にありません。ほとんどの場合、人は途中でくじけそうになったり、諦めかけたりするものです。しかしながら、自分の経験だけでなく多くの人々の経験から分かることは、失敗を通して色んなことを学ぶことができるということです。そもそも英語のSUCCESS(成功)という言葉は、「後から来る」という意味のラテン語に由来しています。それが何の後から来るのかというと「失敗」の後からなのです。つまり、成功とは失敗の後から来るものである、ということです。特に、大きな失敗は、一時的には大きな痛手にはなりますが、その度合いが大きいほど、めざましい変化につながります。なぜ
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- チャーリーブラウン「クリスマスってなあに?」
さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」ルカの福音書2:8-14今年も残すと
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- 神への明け渡し
神への明け渡し今日は、自分自身を神に明け渡すことについて考えてみました。信仰生活は戦いです。しかし、私たちが犯しやすい間違いは、創世記32章にあるヤコブのように、その戦いが、しばしば神との戦いになることです。つまり、私たちは無意識のうちに神と戦っているのです。その戦いは絶対に勝てる戦いではないのですが、それでも私たちは神との戦いとは知らず、それを試みるのです。多くのクリスチャンが未だに同じ問題を抱え、その問題にほとんど進展が見られないということがあります。その理由は、自分の中にある心の王座を神に譲ろうとしないからです。つまり、私たちは自分を神の立場に置き、自分の思いを貫きながら、私たちの内になされようとする神の業を妨げているのです。私たちは神ではないし、これからも絶対に神にはなれません。私た
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- あなたはいくつになっても夢を見ることができる
あなたはいくつになっても夢を見ることができる 旧約聖書のヨシュア記14章に、85歳で困難な戦いに自ら進んで志願した人物が登場します。彼の名前はカレブです。カレブはヨシュアと共にイスラエルの勇者でした。 普通ならば、85歳といえば、生きていても隠居生活をしている歳です。元気な人は、85歳でも、自分で買い物に行き、自分で食事を作って食べる。そういう生活をしてらっしゃる方もおられます。しかし、85歳で、普通の人にはとても出来ない困難なことにチャレンジするという人は極めて稀だと思います。 85才になったカレブは、「私の今の力は、あの時の力に劣らず、どんな働きにも、戦いにも堪えることが出来ます」と言いました。しかし、そうは言っても85歳ですから、たとえ気力はあっても、肉体は45年前と同じという訳に
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- 心を納める者は人生を治める」
『心を治める者は人生を治める』私たちのすべての言動・行動は私たちの心に支配されています。ですから、もし私たちが自分の心を治めることができれば、私たちは人生を治めることができるのです。では、どのようにすれば心を治めることができるでしょうか? ①御言葉によって心を治める御言葉を心の中にいつも満たしておけば、悪い思いが心に入って来れません。御言葉をなおざりにするなら、悪の誘惑に惑わされ、心が揺さぶられます。ヘブル4章12節に、「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができる」とありますが、御言葉は人の心を鋭く見抜くのです。ですから、御言葉によって心を守らなければなりません。御言葉で心を治め
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- あなたは死んだらどこに行く?
あなたは死んだらどこに行く? 人間は、だれでも必ず死ぬ時が来ることを知っていますが、「人は死んだらどうなるのか?」という問いに対して、殆どの人は漠然としていて、「分からない‥」と答えます。また、「死んだら無になる」と言う人もいますが、その根拠は何もなく、ただの推測に過ぎません。人間は、自分が望んでいることを信じたがるものです。しかし、この「死と死後の問題」は、軽々しく取り扱うべきものではなく非常に厳粛で重要な事柄です。なぜなら死後には永遠の世界があり、あなたも必ずそこに行くからです。 さて、死後の世界は無ではなく、二つの世界があると聖書は告げています。その二つの世界とは「天国」と「地獄」です。ここでは詳しい話をすることはしませんが、聖書の多くの個所で、死後には間違いなく二つの世界があるこ
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- 義に飢え渇く人は幸いである”
今日は、八福の教えの中の”義に飢え乾く人は幸いである”ということを考えてみました。八福の教えの第四番目は、「義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです」というものです。「満ち足りる」‥‥、これは、この世に生きる私たちにとって大きな課題です。「満ち足りる」という言葉は、原語のギリシャ語では、「満腹になる」という意味です。満腹になると、もう何も食べたくなくなりますね。どんなに美味しそうなものでも欲しくない。それだけ満たされているということです。では、人の心はどうでしょう。もし人の心が満ち足りることができれば、それは本当に幸いなことだと思います。最近のニュースは、聞いていて辛くなるニュースが実に多いです。人の命を奪うという事件が絶えません。評論家や精神科医が、殺人犯の背景を分析し、
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- すべて神様からの賜物(ギフト)
料理研究家の小林カツ代さん。生涯に出版した著書は200冊を超えると言われています。その中の一冊に日本基督教団の月刊誌に掲載していたエッセイをまとめた「光の食卓」もあります。台所で包丁を握り、まな板にむかうと、神様を感じるとカツ代さんは言います。 野菜の美しさ、人間が作ったように見えて実は自然をつかさどる大いなる力によって作り出される食材、それらをすべて神様からの賜物だと感じるからです。心を込め、感謝を込め、腕をふるい、おいしく作らなくっちゃと思うのだそうです。料理研究家としてカツ代さんはは年子の2人の子供を抱え、仕事を続けました。子供をもって、こういうものを食べさせた方がいいな、これは良くないなと思うことがたくさん見えてきた。だから「ほら10分で、いや5分でもこんなにおいしものができちゃうの
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- 箴言2:6の黙想
箴言2:6の黙想 「まことに、主が知恵を与え、知識と理解は御口から出る。」(箴言2:6)この聖句は、私たちが日々直面する困難や選択において、真の知恵がどこから来るのかを教えています。それは、私たち自身の力や経験ではなく、神から与えられるものです。私たちは、自分の力に頼ることなく、神に知恵を求めて進んでいく必要があります。この知恵こそが、正しい選択をするための道しるべとなるのです。ヤコブの手紙1章5節でも、「あなたがたのうちに知恵の欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなくとがめることなく与えてくださる神に願いなさい。そうすれば与えられます」とあります。私たちは、困難の中で正しい判断を要する時、神に知恵を求めることができます。神はその願いに応え、惜しみなく知恵を与えてくださいます。
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- 他者中心の生き方」
今日は、‘他者中心の生き方’について考えてみました。人類に与えられた最高の贈り物である‘聖書’を読むと、この世の数学と異なる‘神の数学’とも言うべき、人生に素晴らしい結果をもたらすための原則が記されています。たとえば、私たちは愛されることを切望しながらも、思うように愛してもらえないという経験をします。人からの信頼を得たいと願いながら、信頼を得られなかったり、信頼を失うことさえあります。つまり何かを得ようと努力する反面、それを得られないばかりか反対に失うことすら経験するのです。そういう現実の中で、聖書は、愛されることを求める代わりに愛することを、得ようと努める代わりに与えることを勧めながら、愛することが愛される道であり、与えることが得る方法であるということを教えています。つまり、自己中心ではな
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- 明け渡し」
今日は、”明け渡し”ということについて考えてみました。信仰生活は戦いです。しかし、私たちが犯しやすい間違いは、創世記32章にあるヤコブのように、その戦いが、しばしば神との戦いになることです。つまり、私たちは無意識のうちに神と戦っているのです。その戦いは絶対に勝てる戦いではないのですが、それでも私たちは神との戦いとは知らず、それを試みるのです。多くのクリスチャンが未だに同じ問題を抱え、その問題にほとんど進展が見られないということがあります。その理由は、自分の中にある心の王座を神に譲ろうとしないからです。つまり、私たちは自分を神の立場に置き、自分の思いを貫きながら、私たちの内になされようとする神の業を妨げている場合があるのです。私たちは神ではないし、これからも絶対に神にはなれません。私たちはどこ
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- レビ記23章の黙想
レビ記23章の黙想「これは、あなたがたの後の世代が、わたしがエジプトの地からイスラエルの子らを導き出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを知るためである。」(43) 34節に、「この第七の月の十五日には、七日間にわたる主の仮庵の祭りが始まる」とありますが、仮庵の祭りは、イスラエル人が40年の荒野の生活を思い出し、無事に約束の地に入れたことを仮の住まいに住むことによって覚えるものです。また同時にそれは、私たちは肉体という「仮庵」に住む存在であり、主の恵みなしには生きていけない者であることを覚えるものでもあります。仮庵の祭りはまた、主イエスがこの世に来られた事を象徴する祭りでもあります。ヨハネ1:14に、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」とありますが、「住まわれた」は「仮庵となられた
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- 子を持って知る親心」
今日は、“子を持って知る親心”ということを考えてみました。 私にも二人の子供がいますが、いつの間にか彼らももうじき35歳(長男)と34歳(長女)になります。今でも思い出すことですが、彼らが幼い頃、私は二人を見ながら、「もし私の両親が私がこの二人を愛するように私を愛してくれていたのであれば、それは何と感謝なことであろうか」と、親の有難さをしみじみと思ったものです。まさに“子を持って知る親心”でしょうか。親は自分の子供を可愛がって育てます。それが親の本能です。子供のためにと、子供を厳しく育てる親もいれば、子供を溺愛する親もいます。それもまた親心というものです。しかし、いずれにしろ子供は、親の願い通りにではなく、育てられたようにしか育ちません。裕福な親は、幼い時から、子供に高級ブランドのものを与
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- 創造か進化か(2)
地球の起源 地球は明らかに来るべき消滅の徴候を見せています。熱力学第二の法則(=エントロピーの法則:閉鎖系における混沌は時とともに増大する)が示すように、地球上のすべてのものは上方ではなく下方へ向かっているという悲しい現実があります。進化論の主張に反し、自然は生物も無生物も創造できないばかりか、改良すらできないことを多くの自然科学者たちは確信するようになりました。 太陽系の恒星である太陽も、毎秒 400 万トンにものぼる膨大な質量を失いながら巨大な核エネルギーを発散していますが、その損失は取り返すことができません。こうして、高レベルのエネルギー系は必然的に低レベルのエネルギー系まで下げられており、その法則は生物系においても同様で、人間も動植物も進化論の必然的進歩という考え方とは逆に、漸
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- 人生は蒔いた種の刈り取りである」
今日は、‘人生は蒔いた種の刈り取りである’ということを考えてみました。新年あけましておめでとうございます!!皆さんはどんな新年を迎えられましたか?また今年はどんな年にしたいと思っておられますか?人生は自分が選んだ行動の結果、つまり自分が蒔いた種の刈り取りです。さて皆さんは今年、どんな行動を選び、どんな種を蒔いていこうと思われますか?わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。(2コリント9:)神は、しばしば与えることを種まきと比べられます。農夫のように、出て行ってたくさんの種をまけば、たくさんの収穫を得るのです。もし少ししか蒔かなければ、少しの収穫しかなく、まったく蒔かなければ、何の収穫もないのです。農夫は、種まきを支出とは考

- The Cross Pendant
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
