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人間の基本姿勢 (2)”

今日は、人間が持つ以下の4つの基本姿勢の第3番目と4番目のものを考えてみました。今回は少し長いですが、とても大切な人間理解について書きましたので最後まで読んでください。 ① 私もOK、あなたもOK(自己肯定、他者肯定)② 私はOKだが、あなたはOKではない(自己肯定、他者否定)③ 私はOKではないが、あなたはOK(自己否定、他者肯定)④ 私もあなたもOKではない(自己否定、他者否定) ③ 私はOKではないが、あなたはOK(自己否定、他者肯定) この姿勢で生きている人は、厳しく育てられた、いじめにあった、そういう背景を持った人が多いようです。 小さい頃の親や先生が厳しいということは、「まだまだ、そんなことじゃダメだ。もっと頑張れ」と言われて育つということです。テストで80点を取っても、「百点を

心の養い”

今日は、‘心の養い’ ということについて考えてみました。人間の思考、言動、行動は、すべて心の中から湧いてくるものです。人は、心の中にないことを考えたり、口にしたり、行動に移したりすることはしません。すべて心の中にあるものが考えとなり、言葉となり、行動となって表に現わされていくのです。したがって、心を育て、心を守るということは、幸せな人生を送るための鍵であると言えるでしょう。旧約聖書の箴言4章23節に、「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである」という言葉がありますが、まさにここで言われていることは、あらゆる人生訓の基となる重要な思想です。旧約聖書においてこの「心」(レーブ)という言葉が使われる時、それは知性、感情、意志を含めた全人格を表し、それは「命の泉」であ

今年の教会標語と抱負

新年を迎え、皆さんが新たな思いでそれぞれの歩みを始められたことと思いますが、今年一年の皆さんの歩みが実り多いものとなるよう心からお祈りします。また、キリストの体なる教会の大切な肢体である皆さんが、教会生活においても、主の働きを担う働きの中で、多くの実を結ばれることを願っています。さて、ラスベガス教会創立10周年を迎える今年は、詩篇40篇1-4節から、‘主を待ち望もう’という教会標語が与えられました。これからの一年、教会員一同が、主の導きに従順であることを心がけながら、主を待ち望む者として、以下の三つの事を実行していきたいと思います。1.主を待ち望む者はビジョンに生きる  詩篇40篇3節で、ダビデは、主を待ち望む者の口に、主が新しい歌を授けられると証しています。新しい歌の中には、主が与えて下さ

教会行事、イベント予定

10月3日(土)* 第一回、ゴスペルクワイヤー・ワークショップ、一般参加 練習会 日時:   10月3日 土曜日、6:00pm – 8:00pm 講師:   藤波 慎也 (ゴスペルミュージシャン)参加費: 無料場所:  ラスベガス日本人教会       Las Vegas Japanese Community Church      9175 S Las Vegas Blvd. S # 108      Las Vegas, NV 89123ゴスペルミュージシャンの藤波 慎也氏を毎月1回、講師としてお招きします。練習を重ね、今年12月に行われるクリスマス集会でのミニライブが目標です。ゴスペルを歌いたい方はどなたでも(クリスチャンの有無を問わず)歓迎します。よき賛美の交わりの

"中絶した子供は今どこに?"

今日は、”中絶した子供”について考えてみました。以前、中絶をした女性から、「私は3年前に中絶をしたのですが、今もその罪責感で苦しんでいます。その子は今どこにいるのでしょうか?」と聞かれたことがあります。その時、私は彼女に、「その子は天国にいますよ」と言って、いろいろお話させていただいたことがあります。堕胎された子ども、また流産の子どもは、今は天国にいると確信します。それは主イエス・キリストが次のように言われたからです。「まことに、あながたがに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。」(マタイ18:3)「子どもたちのようにならない限り・・・・天の御国に入れない」とは、言い換えれば、子どもの多くは一般的に天国に入れる者たちであるということで

震災後の日本滞在 Stinson Family

「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」(第一ヨハネの

聖書は驚くべき科学の書”

今日は、‘聖書は驚くべき科学の書’であるということを考えてみました。真っ暗な宇宙空間に浮かぶ青い地球。人類初の宇宙飛行士ガガーリンは「地球は青かった」と言いました。宇宙飛行士が撮った地球の写真を見れば、地球が青い球体であること、また、その地球が宇宙空間に浮かんでいることが誰にでも分ります。ところが、現代人にとっては当たり前のこの事実が、古代人にとっては考えられもしないことでした。古代人が宇宙を意識し始めた初期の頃は、彼らにとっての宇宙は、自分たちが住んでいる地球上のそのまた限られた地域に限られていて、宇宙の果ては海であったり、山であったりというものでした。たとえば、古代メソポタミア人は、大地の周りを高い山々が取り囲んでいて、天空はその山の上にのっているという風に考えていました。彼らの考えによ

聖霊の賜物”

今日は、‘聖霊の賜物’について考えてみました。 ‘好きこそものの上手なれ’という言葉がありますが、一般的には、器用であること、稽古をすること、好きであることのうち、やはり好きであることが上達のもっとも近道であるという意味です。自分の好きなことは、誰から言われなくても、熱心に工夫しながら稽古をし、苦しい修行にも耐えて努力をするので、やがて必ず上手になるものです。 ‘好きな道に苦労なし’、‘好きは上手のもと’、‘好きに身をやつす’という言葉もあります。好きだからこそ、一生懸命に勉強し、熱心に上を求めていきます。このように、強いられてではなく自分からすすんでやる勉強や研究や努力は実を結ぶのが早いものです。 聖書の中に‘聖霊の賜物’についての教えがありますが、これはクリスチャンとしての自分を最も輝か

親友”

今日は、‘親友’ということを考えてみました。最近ふと気づいたことですが、近頃は‘親友’という言葉をあまり聞かなくなったような気がします。昔はもっと頻繁に‘親友’という言葉を耳にしていた記憶があります。それが何故なのかを考えてみると、おそらく‘親友’と呼べる相手が少なくなったからではないかと思います。それには色んな理由があるでしょうが、そういう関係作りに適さない環境が世の中に広がっていることが考えられます。たとえば、そのひとつの例として、コンピューターの発達に伴い、コンピューター・ネットワーク上でのコミュニケーションが急速に増え続け、膝を交えた人との関わりが著しく減少していることが、人格的な関係作りを困難にし、‘親友’と呼べるまでの関係作りに至らないのかも知れません。ところで、‘親友’とは、ど

成熟”

今日は、“成熟”ということについて考えてみました。幸福な人生を送るために必要な資質の中で、まず第一に思い浮かぶものは“成熟”ということです。未熟さの特徴が利己的であることからすると、成熟であることの特徴は非利己的です。さまざまな人間関係において、それが夫婦であれ、親子であれ、友人、同僚との関係であれ、考え、習慣、性格、好み、価値観、人生観などの違いによって、どうしても摩擦が生じるようになります。この摩擦を無くすのが非利己的な心であり、成熟という資質です。人は一人のときは独立の歯車で動いており、すべての決定は自分の都合と好みでなされています。しかし、そこに相手がいる場合、それぞれ独立した個人は、この歯車を互いにかみ合わすことを学ばなければなりません。それぞれの歯車は動いており、すべての運動は摩

一歩を踏み出す”

今日は、‘一歩を踏み出す’ことの大切さについて考えてみました。 道は近くても行かねば到達せず、事は小さくとも行わなければ成就しない。 これは中国のことわざですが、まさに、その通りですね。ああでもない、こうでもないと言うだけで、何もせず、いたずらに思い悩んでいても何の役にも立ちません。大事なことは、まず行動を起すことです。 明日こそ、明日こそと考え、ああしたらこうする、こうしたらああすると、いくら胸をふくらませ、夢を広げても仕方がありません。‘こそ話’、‘たら話’はいつまで経っても何も起こらないのが世の常。どんなに小さな一歩でも、まず歩き出すことが大切です。一歩を踏み出せば、必ず先へ進むもの。そして、一歩が千回繰り返されれば、千歩の距離になります。とにかく、どんな目標も、そこに向かって進み続け

スモールグループ・ミニストリーの新しいビジョン

現在、私達の教会には5つのスモールグループ(セルグループ)があり、各グループが毎週家庭集会の時を持っています。また第3日曜礼拝の後は、リーダー訓練会があり、各グループのリーダー、サブリーダーまたそれらの働きに興味がある兄弟姉妹が参加をしております。そのような中で、今後はスモールグループの働きに更に重きをおき、教会・信徒が成長し、救われる魂の為に主に用いて頂く中心的な器官として、教会の働きを進めていくことになりました。これまでの各スモーグループの活動の中身は聖書の学びが中心となっておりましたが、ここで改めてスモールグループの目的・活動内容を鶴田先生のもと、みんなで確認し合いましたのでお分かちいたします。《スモールグループ・ミニストリーの新体制》そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂

すべての出来事には理由がある”

今日は”すべての出来事には理由がある”ということを考えてみました。この美しい物語は、すべての事は理由があって起こることを教えてくれます。新米の牧師とその妻が、ブルックリンの郊外にある教会を再開させるために最初の奉仕先として任命され、10月初旬、大きな期待を持ってやって来ました。彼らが教会を見ると、それは古びていて、かなり手を掛ける必要がありそうでした。二人は最初のクリスマスイヴの集会までに手直しを終えるように予定を立てました。彼らは一生懸命に働き、礼拝堂の席を修理し、壁の穴を埋めてペンキを塗り、色んなところを直して、12月18日の時点では予定日までにすべてが終わりそうに見えました。ところが、12月19日に突然その地域一帯がハリケーンに見舞われ、二日間に渡って暴風雨が続いたのです。ハリケーンが

諦めない”

今日は、”諦めない”ということについて考えてみました。物事はいつも思い通りにいくわけではありません。むしろ思い通りにならないことのほうが多いかも知れません。調子のいいとき、何でも上手くいっているときは、周りの人がたくさん寄って来て応援してくれますが、上手くいかなくなったとき、大変なとき、落ち込んでいるとき、果たしてどれだけの人がその人を受け止め、支え、励ましてあげることができるでしょうか。また、大変な状況にいる自分自身、くじけそうで、諦めてしまいたくなるとき、くじけずに、諦めないで、前に進もうとする心を持つことは大切なことです。そして、そういう大変な中で、諦めずに前に進む姿が、反対に多くの人の励ましになるものです。イギリス代表のデレク・レドモンド選手は、1992年のバルセロナ・オリンピックの

義人は信仰によって生きる マルティン・ルター

若き日のルターは修道士として神に仕えていました。しかし、彼は神との出会いをまだ受けていませんでした。「私に神の恵みをください、あなたの恵みを下さいと」と嘆願するルターに修道院長は「貧しさ、純潔、そして服従を、あなたの心からの友としなければなりません」と言い渡しました。ルターは毛織の下着を着、黒いガウン、短い頭巾、黒い帯を締めて、彼は行いによって神の憐れみを求め始めました。時には幾日も断食をし、夜は毛布も使わず苦行を続けたが、そのために、もう少しで凍え死ぬばかりになった。そして、彼は床にひれ伏し、うめくように祈ったものである。後日、彼はこんな風に書いています。「もし修道士が、修道院での生活によって、天国に行けるとすれば、私は天国に到着していたことだろう。・・・もし私が、もうしばらく黙想し、祈り

加山先生からの感謝メール

東日本大震災は、2011年3月11日に発生した太平洋沖地震とそれに伴う津波により、東北地方に壊滅的打撃をもたらしました。また大地震と津波の影響をうけた福島第一原発発電所では、全ての電源が失われ原子炉を冷却できなくなり大量の放射性物質の放出を伴う重大な原子力事故に発展しました。そのニュースは各メディアを通じ瞬く間に世界中を駆け巡り、観測史上最大規模のマグニチュード9.0がもたらした破滅的な映像を世界中の人々が見るところとなりました。日本を始め世界の対応は素早く、日本政府は直ぐに装備した自衛隊を被災地に送り、在日米軍も直ちに支援部隊を現地に派遣し、世界各国が次々とレスキューチームを日本へ送り込みました。崩壊した建物から怪我人を救助し、支援物資を運搬入し、瓦礫の撤去作業を毎日続けました。世界中の国

逆境”

今日は、‘逆境’ということについて考えてみました。木の切り株を見ると、年輪がその木の樹齢を刻んでいますが、人間も歳を取ることを‘年輪を加える’などと形容します。これは木の年輪から来ています。ところで、山にある木の切り株の年輪の中心は、真ん中でなく、北側に片寄っているのをご存知ですか。それは、日光と南風を十分に受けて育つ南側は年輪の目が幅広くなり、それだけ肉付きがよく成長するからです。反対に北側は、寒さから身を守るために、厚い皮をつけて戦います。したがって、年輪の目が幅狭く、中心がそちらに片寄るのです。ところが木が伐採され、用材として製材されるとき、太陽の光を受けて育った南側の部分は板になり、北風を受けて育った部分は柱になります。柱は家を建てる際に、最も重荷がかかり、大切な部分となります。材木

牧師室より#61 ‘贖罪の原理’

殺人の罪を犯して終身刑の判決を受けるとしたら、それは一生を棒に振る絶望的なことです。しかし、すべての人が原罪という罪のために永遠の滅びが定められているということは、実は終身刑どころの絶望ではないのです。そんな私たちが救い主キリストを信じるだけで罪が赦され、永遠の命を頂けるとしたら、それはあまりにも分の良い話です。しかし、この分の良い話がどんなに有難いものであるかは、そのために払われた犠牲を抜きには語れません。病院の待合室に二組の家族の姿がありました。片方の家族は二十歳前後の若者たち4、5人とその母親で、その若者たちは革ジャンを着て、髪の毛を染め、どことなく荒々しい雰囲気がありました。部屋の反対側には、品の良い男性が白衣を着て妻と娘と一緒に座っていました。彼らの顔は暗く沈み、深い悲しみの中にあ

“望み”

今日は、“望み”ということについて考えてみました。新しい年を迎え、多くの人々が“望み”を抱いて新年のスタートを切られたことと思います。人間にとって希望を持つということはとても大切なことで、生きるために不可欠な条件だと言えるかも知れません。人間は何らかの希望を持っているからこそ生きていけるのであり、希望がなくなれば自殺を考えるようになります。医者はよく、「患者の治療に一番必要なことは、患者に希望を持たせることだ」と言います。希望はどんな薬よりも患者の心を健やかにし、病との戦いに勝たせ、医療の効果を上げるからです。希望を持って生きる人の人生は輝いて見え、その反対に、希望を失った人の人生が夕暮れのように見えるのは、希望にはそういう力があるからでしょう。もちろん、誰の人生にも試練や苦難はあります。し

十字架の七言

今日は、“十字架の七言”について考えてみました。今日は、イースター前の金曜日、Good Fridayです。つまり受難週のクライマックス、いや神の人類救済計画のクライマックスとも言える日です。イエス・キリストはゲッセマネの園でローマ兵によって捕らえられた後、幾つもの場所で取り調べを受けられました。金曜日の夜明け前にはアンナスの家で。夜明け頃には大祭司カヤパの家で。夜明け後はサンヘドリンの議会で。早朝はローマ総督ピラトの官邸とヘロデの宿舎で。そして再度ピラトの官邸で最終判決を受けられました。イエス様はこの判決の後、直ちに処刑されるゴルゴタの丘へと引かれて行かれました。イエス様は約時間、十字架の上で苦しみを受けられましたが、そこで七つの言葉を発せられました。その一つ一つは実に驚くべき神の救いと愛の

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

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bible verses about welcoming immigrants

Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......

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