牧師室より#61 ‘贖罪の原理’
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
殺人の罪を犯して終身刑の判決を受けるとしたら、それは一生を棒に振る絶望的なことです。しかし、すべての人が原罪という罪のために永遠の滅びが定められているということは、実は終身刑どころの絶望ではないのです。そんな私たちが救い主キリストを信じるだけで罪が赦され、永遠の命を頂けるとしたら、それはあまりにも分の良い話です。しかし、この分の良い話がどんなに有難いものであるかは、そのために払われた犠牲を抜きには語れません。病院の待合室に二組の家族の姿がありました。片方の家族は二十歳前後の若者たち4、5人とその母親で、その若者たちは革ジャンを着て、髪の毛を染め、どことなく荒々しい雰囲気がありました。部屋の反対側には、品の良い男性が白衣を着て妻と娘と一緒に座っていました。彼らの顔は暗く沈み、深い悲しみの中にあるようでした。そこに一人の女性新聞記者がいて、何やら特ダネになりそうなことをその男性から聞きながらメモを取っていました。一組目の家族の若者たちは、「ゲシュタポ」と呼ばれるギャングの一味でした。彼らの中には一つの慣わしがあり、新しいメンバーになるには、走る車の中から誰かをピストルで撃って殺し、“男”であることを証明しなければなりません。その「ゲシュタポ」のメンバーである兄弟たちには、リックという心臓病を患っている弟がおり、心臓移植だけが助かる道でした。しかし彼らには、お金もなく、保険もありません。それに心臓の提供者もなく、リックが助かる見込みはありません。ところが、夕方になって突然、心臓の提供が可能になったということで病院に呼び出されたのです。もう一方の男性は有名な心臓病の専門医でした。彼は緊急の心臓移植のために病院に呼ばれ、病院に駆け込んで来て初めて、死んだばかりの心臓提供者が自分の息子であることを知ったのです。しかも、これが新聞記者にとって特ダネとしての価値があったのは、心臓を提供する相手がこの男性医師の息子を殺したギャングの弟だったからです。そこで問題は、この一部始終が分かった今、果たしてこの男性医師が自分の息子の心臓を息子を殺した犯人の弟に提供するかどうかということでした。この医師と彼の家族はクリスチャンで、このいきさつが分かってしばらく病院のチャペルで祈っていました。もし彼が息子の心臓をこのギャングに与えるとしても、手術はどうするのかがもう一つの問題でした。一体どこに自分の息子の心臓を息子を殺した犯人の兄弟に与える者がいるでしょうか。また誰がその父親にその移植手術を頼めるでしょうか。待合室の緊張はどんどん高まってきました。たとえその医師が息子の心臓をそのギャングに与え、手術をするにしても、彼らには高額の医者代を払うことなど出来ないのです。待合室の緊張が頂点に達した時、その男性医師はリックの母親を自分の方に呼び、こう言いました。「私が手術をしましょう。息子の心臓をあなたの息子さんに提供します。医者代は要りません。なぜなら、神様も私に同じ事をして下さったからです」。待合室に歓声がわきあがり、彼らは大声で、「リックに新しい心臓が与えられた!しかもタダだ!おい信じられるか!タダだぜ!」と叫びました。その医師は、そこにかがみ込み、体を震わせながら泣きました。警察官は大喜びをしているギャング達に向かって、「確かに君たちにはタダだが、この人にはタダではない」と言いました。彼は、息子の命という大きな代価を払ったのです。そして、その息子の心臓を息子の命を奪った者に与えたのです。神の恵みとは、こういう事です。神の恵みの本当の意味を理解するには、恵みは確かにタダでも、そのために神がどれだけ大きな犠牲を払われたかを知らなければなりません。神は、無情な群集たちに大切な独り子イエス・キリストの命を取らせ、いわば罪も汚れもないキリストの心臓を、キリストを殺した者たちの魂に移植をされたのです。だから、この偉大な医師である神が、この移植を可能にするために、どれ程までの犠牲を払われたのかが分からなければ、神の恵みの大きさを理解することはできないのです。あなたはこの‘贖罪の原理’が解りますか?
今日の一言: あなたのために神の子の命が犠牲になった平安鶴田健次