「イエスがオリーブ山の上で座っておられたところ,弟子たちが自分たちだけで近づいて来て,こう言った。『・・・あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか。』」(マタイ24:3 新世界訳)
続く記事でイエスの臨在とは何を意味するか、考慮してきました。以前の記事は、2010/8/1、8/22、9/6にあります。今回は、イエスの臨在が長期間にわたる可能性について考慮したいと思います。
マタイ24章3節を新共同訳は、「あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」と訳しています。新改訳では、同じ聖句を「あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」と訳しています。
新世界訳の臨在という言葉は、ある程度の期間を示唆しますが、新共同訳や新改訳では、単なる「来られる時」すなわち、到来が強調されています。これは、どちらの訳が妥当でしょうか。つまり、イエスの臨在はある程度の期間続くのですか。考えてみましょう。
「臨在」と訳されている元のギリシャ語はパルーシアで、これはパラ(傍らに)とウーシア(いること)から成る語です。したがって,パルーシアは、字義通りには「傍らにいること」を意味します。ですから、パルーシアの語そのものも、ある一定の期間を示唆しています。この語は、新約聖書の中で24回使われています。
イエスの臨在には当然、イエスの臨在する場所への到着という意味合いが含まれていますが、パルーシアを「到来」もしくは、「来られる」と訳すなら、到着だけに強調が置かれ、到着の後に続く臨在が不明瞭になります。それで、新世界訳以外でも、J・B・ロザハムのエンファサイズド・バイブルなどある訳は、パルーシアを臨在と訳しています。
聖書は、このパルーシアという語を他の箇所でどのように用いているでしょうか。パウロはフィリピ 2章12節で、フィリピのクリスチャンは,「わたしのいる[パルーシアーイ]時だけでなく、わたしのいない[アプーシアーイ]今いよいよ進んで」従っていると述べています。ですから、ここで対比されているのは、いることと、いないことであって、到着(到来)と出発ではありません。こうした対比は、パルーシアという語が、単に到着することではなく、ある程度の期間を含むことを示しています。
イエスのパルーシアが、単に瞬間的に到来し、その後直ちに出発することではなく、むしろある期間を包む臨在であるということは、マタイ 24章37~39節に記録されているイエスの言葉からも分かります。マタイ24章37節には、「人の子の臨在はちょうどノアの日のようだからです。」述べられています。(新世界訳)
当然、ノアの日というのは、一瞬もしくは短期間のことではありませんでした。ノアが箱船を作り、宣べ伝えるという一定の長い期間を意味していました。また、それは、人々が「食べたり、飲んだり、めとったり、嫁いだり」する期間を意味します。
イエスは、ご自分の「臨在」とノアの日の比較を単に、ノアの日の最終的な最高潮としての大洪水の到来だけに限定しておられたわけではありません。「ノアの日」は実際に幾十年もの期間を包含していたので、予告されていた「人の子の臨在」も同様に、ある程度の長さの期間を意味していると考えることができます。そして、その期間は注意を払わない者たちの滅びのときに最高潮を迎えます。
さらにまた、イエスはこの記事の冒頭の弟子たちの質問に答えて、イエスのパルーシアのしるしとして、国際的な戦争、食糧不足、地震、クリスチャンが全地で憎まれ迫害されること、王国の良いたよりが全地で宣べ伝えられることを予告されました。(マタイ24:7,9,14)こうしたしるしが成就するのにも、幾十年もの時間がかかるでしょう。それは、100年以上の期間が必要かもしれません。
それで、パルーシアの訳語として、来ることではなく、臨在と訳し、イエスの臨在は、それが始まった後、イエスが実力行使をされる臨在の最高潮に至るまで、非常に長い期間が経過すると考えるのは、道理にかなっていると言えます。
※ イエスのパルーシア、臨在がなぜ西暦1914年に始まったと言えるかについては、ブログの2009/12/19「ダニエル4章・主の日の始まりの西暦1914年の算出方法」をご参照ください。イエスの臨在のしるしについては、テーマ「主の日における預言」をご参照ください。
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