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祈り・交わり~愛と信仰

⇒(MP3, 32kbps)「祈り・交わり~愛と信仰」秋葉正二エゼキエル37,15-28;  カンファレンスの共通聖句が本日のテキストです。20節の文言はとりわけ有名で、会堂を持たない人たちや、家の教会と称して小さな集会を守ってきた方々を励ましてきた一句です。おそらくイエスさまから励ましの言葉をいただいている、といった感覚を覚えるのだと思います。しかしこのテキストをより正確に理解しようとすれば、15節から続くペリコーペとして全体枠を捉える必要があります。文脈を理解するには、小見出しの「兄弟の忠告」という表現と、並行記事として挙げられているルカ福音書17章3節が参考になります。 大枠を言いますと、「教会」がテーマになっています。教会はエクレシアという語ですが、これは動詞エッカレオー(呼び出す)

負債を免除しなさい

⇒(MP3, 32kbps)「負債を免除しなさい」秋葉正二;マタイ福音書26,6-13 一節の冒頭にある断言的命令の言葉 『七年目ごとに負債を免除しなさい』 から15章は始まりますが、この命令が全体の基調をなしています。負債を抱えて喘いでいる人はどの時代にもたくさんいたはずですが、現代社会では何の見返りも求めず負債を免除することなど、まったく考えられません。街を歩けば、あちらこちらにプロミスとかアイフルなどのカードローン会社の広告看板が目に入ります。クレジットカード一枚でサラリーマンや学生は簡単にお金が借りられるので、つい手を出してしまうのでしょう。その結果、大きな負債を抱えるはめになります。現代は法外な利子でお金を貸し付けることは一応法律で禁じられています。そこで、債務者が命を絶つなどの破

神と富とに仕えることはできない

⇒(MP3, 32kbps)「神と富とに仕えることはできない」秋葉正二アモス6,4-8; 「不正な管理人」の譬えから学びます。すぐ前の15章には有名な「放蕩息子」の譬えがあります。「放蕩息子」の譬えの対象はファリサイ派の人々や律法学者ですが、「不正な管理人」の譬えの対象は、ファリサイ派の人たちも聞いているにせよ、直接の対象は弟子たちであることが、1節に記されています。譬えのあらすじは、ある金持ちの管理人が主人の財産を無駄遣いしていると告げ口されて、主人から会計報告を提出するように命じられるところから始まります。当時、一般的に金持ちは管理人にすべてを任せていました。 管理人と訳されている語はオイコノモス、英語のスチュワードです。家令とか執事を考えればいいでしょう。管理人が行う代表的な仕事が会計

主において同じ思いを抱く

⇒(MP3, 32kbps)「主において同じ思いを抱く」秋葉正二イザヤ書11,6-10; エフェソ書から学びます。この手紙は伝統的にパウロ書簡とされてきましたが、著者問題については主に二つの見解がありまして、パウロ本人のものなのか、あるいは彼以外の者が名前を借りて書いたのか、現在も論争が続いています。確かに文学的な特徴が他のパウロ書簡とは異なり、パウロ書簡の代表的な文書であるローマ書やコリント書のように、信仰義認論とか律法に関する論争とかはありませんし、教会で起こる具体的個別的な諸問題に牧会的な回答を与えるといったふうでもありません。 まあ、それはそれとして、ほとんどの聖書学者が共通に指摘することは、コロサイ書簡との依存関係です。使用されている語句の共通性、あるいはテーマの配列の仕方などから

備えられた道を歩む

⇒(MP3, 32kbps)「備えられた道を歩む」鈴木伶子詩編61,2-19; 牧師の家庭に生まれキリスト教の環境で育ってきた私は、聖書やキリスト教については、よく知っている反面、劇的な「改心」の経験がないことを引け目に思うことがあります。神様は、そのような私に、さまざまな出会いを通して、福音の神髄に立ち返る機会を与え、道を備えてくださいました。その中の二つの例をお話します。 丸木位里、俊の画家夫妻は、位里さんの故郷である広島に原爆投下直後に行き、その惨状を「原爆の図」と題して描きました。その後、南京・アウシュビッツ・水俣と、人の命が無残に奪われたことを描き続け、最後に「地獄の図」という絵を描き、東条、ヒットラーなど、多くの人の命を奪った戦争の指導者を地獄の中に描いたのですが、最後に「戦争を

エルサレムからサマリアへ

⇒「エルサレムからサマリアへ」秋葉正二民数記27,15-23; テキストは福音がエルサレムからサマリアへ告げ知らされてゆく件です。エルサレムに誕生した教会が、どのように福音を周囲に告げ広めていったか、その顛末の一端をきょうのテキストは語っています。きょうはテキストを分断して示しましたが、抜かした9-13節は文脈から言えば、付随的に挿入された物語と言え、魔術師シモンなる人物の受洗物語です。けれどもきょうの学びの視点からすれば、この部分は別扱いにしてもよいと思われ、切り離しました。 またすぐ前の7章にはステファノの殉教記事があります。キリスト教の最初の殉教物語です。エルサレムの原始教会には二つのグループがあったことが分かっています。一つはヘブライストと呼ばれたヘブライ語を話すユダヤ人グループ、も

終末のしるし

⇒(MP3, 32kbps)「終末のしるし」秋葉正二エレミヤ書 31,10-14;  終末論はほとんどの宗教に見出せる歴史観です。仏教ならば末法思想ということになるでしょう。キリスト教における終末論は、本来旧約聖書を貫く歴史観でした。旧約においては、世界の歴史は終末に向って進んでおり,終末においてイスラエルに救いをもたらすメシアが現れる、と考えたのがメシア待望の思想です。メシア出現の時が終末です。 旧約の話ですから、もともとはユダヤ教の終末論です。しかしキリスト教は、ユダヤ教の終末論に独自の解釈を与え,キリストと共に救いの時である終末はすでに始ったと理解しました。旧約聖書において預言されていた終末と救いを、イエス・キリストの生涯と死と復活のうちに見出したわけです。さらには、究極的な世界史の完

聖なるヨベルの年

⇒「聖なるヨベルの年」秋葉正二;フィリピの信徒への手紙4,10-20 もう亡くなりましたが船戸与一という作家がおります。私は30年以上前からこの人の作品を愛読してきました。中でも特別印象に残っているのは、「砂のクロニクル」という作品です。日本冒険大賞と山本周五郎賞を受賞した作品ですが、主な舞台はイラン、背景にはイラン・イスラム革命があります。登場人物は、イラン革命防衛隊の若者やメンバー、少数民族クルド人の独立のために武装蜂起をするゲリラ、グルジアマフィアそして日本人武器商人などですが、各章で主人公的な人物が活躍するのですが、全編を通しての主人公はいないような気がします。 一人ひとりがそれぞれの思惑を持ってそれぞれの正義のために戦う物語なのです。 壮大な物語ですが、興味しろいのは巻頭で作者が物

永遠のいのち

⇒「永遠のいのち」秋葉正二詩編90,1-15; 新約聖書の主人公はナザレのイエスと呼ばれた人です。キリスト教は世界人口の30数%を占める世界宗教ですが、なぜそこまで広がったか、その一番の理由は、イエスと呼ばれた人が 「人間は死んで消滅してしまう」 という人間誰もが悩んだり苦しんだりする問題に対して、「そうではない」と言う新たな希望を与えたことです。死は私たちにとって大きな問題で、死ぬのは自分だけでなく、愛する人もいずれ死んでいなくなります。人を愛さなければ生きていけない私たちにとって、死別ほど酷な現実はありません。愛情が深ければ深いほど死別の苦しみは増します。きょうは召天者記念礼拝ですが、私たちはこの世で死別した愛する人たちのお写真を持ち寄って並べました。 イエス・キリストは「死んで終わり」

先立つ主

⇒(MP3, 32kbps)「先立つ主」秋葉正二;ヨハネ福音書1,1-5 小預言書のミカ書から学びます。イスラエル民族の歴史は紀元前二千年頃の族長物語から始まりますが、紀元前千年以降の王国時代に入りますと、俄然賑やかな様相を呈してきます。それだけイスラエル社会が複雑化していったということですが、中でも紀元前八世紀は激動の百年と言えます。王国はすでに北と南に分裂していましたが、千百年頃に勃興したアッシリア帝国が徐々に力をつけ、シリアを呑み込んで次第に南下しつつありました。八世紀前半は北のヤロブアム二世、南のウジヤというやり手の王によって両国共に経済的繁栄の時代を過ごすのですが、後半は共に繁栄のつけでもある社会の不正や信仰的堕落などに陥り、次第に国力を落としていきました。ミカという預言者はそうし

メシアの来臨

⇒(MP3, 32kbps)「メシアの来臨」秋葉正二サムエル上16,5b-13; ヨハネ福音書の2章から12章まではしるしを中心にしたイエスさまの活動記録ですが、そのうち7章と10章にはエルサレムにおけるユダヤ人たちとの論争が記されています。ユダヤ人と言えば、共観福音書では律法学者やファリサイ派がもっぱらイエスさまの論敵ですが、ヨハネ福音書では、圧倒的に「ユダヤ人たち」という表現で何十回も繰り返し出てきます。もちろんファリサイ派なども出てきますが、ほんの数回に過ぎず、ガリラヤ人もサマリア人もユダヤ人との関連で出てくる表記です。このユダヤ人たちは、7章の冒頭にも記されているように、「イエスを殺そうとねらっていた」存在として登場しています。 きょうのテキストのテーマですが、「イエスとは一体何者な

罪の世に来る主

⇒(MP3, 32kbps)「罪の世に来る主」秋葉正二;マタイ福音書1,21 旧約から学びます。テキストは「第三イザヤ」と呼ばれる文書の一部です。古代イスラエル史でもっとも大きな事件は「バビロン捕囚」ですが、この出来事がイスラエルに及ぼした影響は計り知れません。文字通りイスラエルは亡国の民となりました。南王国の生き残った人々の大半がバビロンに強制移住させられ、捕囚民とされました。 最初の捕囚は紀元前597年に、その後、582年まで、計3回行われています。 ここでイスラエル史は終わるかに見えましたが、紀元前539年、半世紀にわたる流刑の後、新しくオリエントの盟主となったアケメネス朝ペルシャの初代の王キュロス2世によってイスラエルは解放されました。ユダヤ人たちは、帰還のみならず、故国に戻ってエル

荒れ野で叫ぶ声

⇒(MP3, 32kbps)「荒れ野で叫ぶ声」秋葉正二; テキストは洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ)について記しています。私は高校生の時、CSのお手伝いをしていて洗礼者ヨハネの紙芝居を見たことがあります。とても印象的な絵で、ヨハネは毛皮を身につけて、顔中ヒゲだらけでした。最初に出会った絵の印象は強烈で、そのイメージから解放されるには相当年月が必要でした。有名なロゴスの賛歌につながるように、ヨハネ福音書はすぐに洗礼者ヨハネについて記しているわけですから、記者は相当ヨハネの役割について気を配っています。もちろん伝承があったわけですが、編集作業の中で、彼をどのような人物として描こうか、その存在をどう位置づけるか、かなり気を揉んだことでしょう。 ヨハネ福音書では、共観福音書のようにいきなり洗礼者ヨ

エッサイの根からひとつの若枝が

⇒(MP3, 32kbps)「エッサイの根からひとつの若枝が」秋葉正二;ルカ福音書 2,15-20 預言者イザヤの仰いだメシアの世界から学びます。イザヤ書の12章までは、主として南王国ユダの王アハズの治世に関する出来事を軸に展開されています。イザヤは王のブレーンとして仕える立場でしたが、アハズ王の政策と民衆の心とに失望し、希望を将来に求めていくようになります。彼が仰ぎ見たのは、「新しいイスラエル」の理想的な姿でした。その具体像は、同胞すべてが力を結集してというのではなく、主なる神ヤハウェに対して忠誠心を持つ少数者からスタートするだろうというものでした。いわゆる「残りの者」と呼ばれる思想です。ですからイザヤは自分の子供に「シャル・ヤシュブ」と名付けます。「残りの者は帰るであろう」という意味です

幼子のキリスト

⇒「幼子のキリスト」廣石 望(新共同訳);(試訳)I 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、現在世界には1,994万人の難民がいます。「難民」とは「紛争に巻き込まれたり、宗教や人種、政治的意見といった様々な理由で迫害を受けるなど、生命の安全を脅かされ、他国に逃れなければならなかった人々」であり、その52%が18歳未満の子どもだそうです。(⇒ https://www.japanforunhcr.org/lp/refugees?utm_source=yahoo&utm_medium=cpc&utm_campaign=JA_JA_UNHCR_Generic_refugees )さらに、国境を超えていないけれども難民と同様の状況にある人々、つまり「国内避難民」は世界で約3,912万人。さら

独り子の栄光

⇒「独り子の栄光」秋葉正二サムエル記下 7,25-29; 今月初め、祈り会の聖書研究でヨハネ福音書全21章を60回にわたり、一年八ヶ月かかって読了しました。読んでおりましてあらためて感じたことは、共観福音書との明らかな違いでした。とりわけ最初の1章には、誰でも驚かされると思います。「初めに言葉があった」と、創世記を彷彿させる表現にまず共観福音書にはない異変を感じます。言(コトバ)と訳されている原語は、ロゴスというギリシャ語です。言の他に理性とか議論とか原理とかとも訳されます。このロゴスが神と共にあった、あるいは万物はロゴスによって成った、とか続きますので、最初は何のことやら訳が分からなくなります。ロゴスキリスト論などと呼ばれていますが、どうもこのロゴスなる存在は、最初のうちは神様の創造の業に

他人のことに〔も〕

⇒「他人のことに〔も〕」廣石 望イザヤ45,20-25;I キリスト教会の暦で、本日は顕現祭あるいは公現日と呼ばれます。顕現祭の成立は、キリスト生誕祭つまりクリスマスの成立と関係があります。4世紀前半に西方教会は、12月25日をキリストの誕生祭として正式に祝うことを決めました。新約聖書も原始キリスト教も、まだイエスの誕生祭を知りません。そしてこれに影響を受けた東方教会は、同じ4世紀の中ごろ、以前は別々にさまざまな日付で祝われていた誕生祭と洗礼祭の二つを統合し、1月6日――もとは処女神コレーの息子アイオーンの誕生祭――を「エピファニア(顕現)」祭として祝うようになりました。 そして同世紀の後半には、1月6日が、西方発祥のクリスマスを受け入れた東方地域では誕生祭の要素を除いた、洗礼その他の要素を

証し境界線の向こう側

⇒証し「境界線の向こう側」村上 進出エジプト記 22,20-26; 野生動物を調査する研究者たちは、その動物が棲息する森などに入って、活動の痕跡を探します。足あとだとか、木の実を食べたカスなどを見つけては、その習性や活動範囲を探ろうとします。「先生先生、ここに木の皮を囓った跡が!」「おお、確かにここを通ってるな」だとか、時にはその動物の「落とし物」を見つけて顔を近づけ、においを嗅ぎ、「うむ、まだ新しい。近いぞ」などと目をきらきらさせたりします。 突然こんなお話から始めて戸惑っておられるかもしれませんね。私たちは、何を追っているのでしょうか? そうです。イエス・キリストを追い求めています。イエスさまが歩かれた跡をたどり、イエスさまが進んでいった方向に向かって歩んで行きたいといつも願っています。

安息にあずかる途

⇒「安息にあずかる途」陶山義雄;マタイ福音書6,25-34 詩編第8編は新しい年にあたって私達が頂くのに相応しい聖書の言葉です。新年にあたって、私達が願うこと、あるべき姿、目指すべき目標の全てが示されているからです。先ほど共に読んでお分りの通り、第8編は創世記第1章に大変よく似た内容が語られています。宇宙万物の創造者を称え、その秩序の中に置かれている人間の姿を良く示しています。人間とはどう云う存在か、造られた他の存在と何処が違うのか、その中で私達が願うべきこと、あるべき自分の姿、また、目指すべき目標が端的に示されています。そうした内容を全て一つに締めくくっている言葉は、この詩の初めと終わりに歌われています。 「主よ、私達の主よ、あなたの御名はいかに力強く、全地に満ちている事でしょう。」(8:

和解の努め

⇒「和解の努め」廣石 望レビ記3,1-5;I 一昨日と昨日、アメリカとロシアが、中距離核戦力全廃条約(INF)からの離脱を相次いで表明しました。この条約は1987年、当時のレーガン米国大統領とゴルバチョフソ連共産党書記長が署名し、1988年に発効した核軍縮条約です。東西冷戦の終わりを告げるできごとのひとつでした。しかしその後、中国による核配備や第三国への核技術の流出が続き、かつての「相互確証破壊」システムの構築による核抑止論は通用しなくなりました。核兵器を「持てる」国々の間の相互不信が、これから大きくなりはしないか心配です。 他方で2017年には、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が推進した核兵器禁止条約が国連で採択されたばかりです。核兵器を「持てる」ないし「持ちたい」国々と「持たないの

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