神と富とに仕えることはできない

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「神と富とに仕えることはできない」

秋葉正二
アモス6,4-8;

 「不正な管理人」の譬えから学びます。すぐ前の15章には有名な「放蕩息子」の譬えがあります。「放蕩息子」の譬えの対象はファリサイ派の人々や律法学者ですが、「不正な管理人」の譬えの対象は、ファリサイ派の人たちも聞いているにせよ、直接の対象は弟子たちであることが、1節に記されています。譬えのあらすじは、ある金持ちの管理人が主人の財産を無駄遣いしていると告げ口されて、主人から会計報告を提出するように命じられるところから始まります。当時、一般的に金持ちは管理人にすべてを任せていました。

 管理人と訳されている語はオイコノモス、英語のスチュワードです。家令とか執事を考えればいいでしょう。管理人が行う代表的な仕事が会計オイコノミアであり、これは英語のエコノミーです。会計管理は、昔からいろいろ問題が起こりやすかったようです。主人は 『もう管理を任せておくわけにはいかない』 と言っていますから、その管理人に疑いを抱いたのでしょう。すると管理人は、自分が解任されて失業した時のことが脳裏をよぎったのです。そこでいろいろ考えました。どうも肉体労働はできそうもないし、物乞いするのも恥ずかしい……。その結果、『そうだ、こうしよう』 と、ある知恵が浮かびました。これが具体的に4~7節に書かれています。

 まあ簡単に言いますと、主人から負債している人たちの負債を軽減することを思いついたのです。それは一種の非常手段なのですが、借財人が主人からの貸しを返す場合、管理人はその利子を減額してやるか、あるいは手数料を取ることを考えました。たとえば、『油百バトス』の負債がある場合、油50バトス分を利子の一部または委託手数料として落とすように借財人に取り入るわけです。バトスは23リットル、巻末の度量衡で確認してください。エジプトでは食料品の利子は、50%ほどだったそうですから、これは高利貸しの世界を描いています。 同様に、 『小麦百コロス』 なら20コロス分を落とすというのです。 注解書によれば油50バトス減と小麦20コロス減はいずれも500デナリオンに相当するといいますから、これは500日分の労働賃金に匹敵します。

 いずれにせよ、債務を差し引いた分を利子と考えれば、主人の財産に実質上の損害は与えていないことになります。8節には、『主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた』 とありますから、管理人のやり方が、はっきり「不正」とされていることは確かです。実はこの「不正」というのが非常に問題で、「不正」をどの部分に位置付けるかによって解釈が変わり得るのでやっかいな感じがするのです。例えば管理人が、主人の財産を無駄遣いしただけでなく、人に貸した主人の財をごまかして一部しか取り戻さなかったとすれば、それは主人に損害を与えることになるでしょう。そうやっておいて、自分が借財人たちに受け入れられようとしているなら、そのこと自体が不正です。

 8節では、主人が不正な管理人の抜け目ないやり方をほめた、とあるのですが、主人の財産に実質上の損害を与えているならば、「抜け目ないやり方」 をほめるというのも何かおかしいという気がします。 このあたりの理解の仕方がこの譬え話を難しくしています。 管理人が不正だとされているのは、ユダヤ人同胞から高利を貪っているか、主人の財産を無駄遣いしていたからでしょう。それは律法に違反するからです。まあそうは言っても、現代とはまったく社会状況が異なり、物々交換もあった時代のことですから、経済変動に対する処置は緩慢であっても仕方ないだろうとは思います。

 とにかく実に分かりにくい譬え話です。この分かりにくさを解く鍵は、たとえ話を道徳的に捉えるのではなく、終末論的に理解することにあると思います。8節の後半には、『この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている』 とあります。債権者である主人がそのようなことを口にするとは思えませんから、ここからは主イエスの判定である、とルカは筆を変えているのです。そして、ほめられるべき点は、「抜け目のないやり方」ではなく、「賢くふるまう」彼の判断です。9節には、より終末論的言い回しがでてきます。 『そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達をつくりなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる』。永遠の住まいは文字通り終末論的な表現でしょう。

 11節に 「本当に価値あるもの(まことの富)」の反対が 「不正にまみれた富」 と表現されていますが、これもよく考えると終末論的な言い方です。「不正にまみれた」というのは、終末前の現世であり、「本当の」とは、預言や予型の終末的実現の様子を表していると考えられます。『不正にまみれた富で友達をつくりなさい』 の「不正にまみれた富」 とは、「天上の富」に対する「この世の富」のことです。「この世の富」というのは、言うなれば私たちの現世での〈所有〉のことです。

 この「天上の富」については、すでに12章の〈愚かな金持ちの譬え〉に出てきました。12章の21節や33節をご覧ください。9節には 『金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる』 とありますが、「金がなくなったとき」は、お金がその人にとってまったく役目を果たさなくなったときを意味しています。私たちは普段 「お金は絶対だ」 という感覚で生きていますが、私たちの人生には必ずお金が無意味になる時が訪れるのです。私たちが死の間際に置かれるとき、あるいは死後、お金は何の意味も持ちません。

 きょうのテキストのすぐ後に、〈金持ちとラザロの譬え話〉があります。そこにはこの世で友をつくらなかった為に、永遠の住まいに迎え入れてもらえなかった金持ちの姿が描かれています。ここで言及されている真理を、生きている間に悟る人はとても少ないのです。イエスさまはそれを悲しく見つめておられる……。

 私は良寛さんが好きだという話をしたことがありますが、良寛さんの魅力といいますか、人間としての凄さは一切の所有を放棄して生き抜いた点です。それは単純に修行によって得られるとも限りません。厳しい修行を積んでもなお所有という欲を捨てられなかった人もたくさんおります。永遠の住まい、あるいは神の国に迎え入れて頂ける極意といったものはおそらくないのでしょう。

 あえてキリスト教信仰という枠内で考えるならば、神さまに祈り続けるということ、聖書を読み続けるという生き方が関係していると思います。祈ることや聖書を読むことは、すぐに結果が得られるということとは無関係です。長い人生の中で、お金が役に立たないときを迎えた時に、はじめて真理が明かされるのです。ルカはその真理を伝えようと、さらに10節以下でも筆を進めます。『ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である』 という諺のような表現を示しながら、管理における忠実さにおいて、譬えにおける管理人が忠実だったように、イエスさまに従おうとする人は忠実であるべきだと述べているのでしょう。

 そしてその諺から11節において、さらに話を展開させています。「不正にまみれた富」と訳されている言葉は、直訳すれば「不正なマモン」です。マモンはアラム語で「富」を表しますが、「全所有物」をも意味しますから、この世の富は(欲望は)人を神から遠ざけるきっかけになりますよ、という意味が込められています。『本当に価値あるもの』 とは、弟子たちに向けて、「確かで、堅固なもの」という意味で、「神の真理の言葉」を正しく伝えるようにと促している言葉でしょう。「不正にまみれた富」が「本当に価値あるもの」へと転換していくのも、「小さな事」から「大きな事」への展開となっています。

 そして12節にあるように、『他人のもの』 とは神さまから弟子たちに任された 「この世の富」 を指し、それは真に自分のものにはなり得ない 「この世の富」 であって、『あなたがたのもの』 こそが真に自分のものとなる 「天の宝」 であることが示されています。13節はこのパラグラフの結論です。すなわち、私たちは二人の主人に仕えることは出来ないのです。マタイ6章24節に並行句があります。山上の説教の一節ですが、そこにはこうあります。『だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは神と富とに仕えることはできない……。』  富とは不正の富、すなわち人を惑わすお金と考えればいいでしょう。

 人はお金を得ることを目的にして、お金に執着しやすい存在です。執着すればするほど、心は神さまから離れていきます。私たち人間は、神と富との両方を同じように尊重することはできません。それはイエスさまの生き方を振り返ってみれば、明らかです。宗教的達人と言われる人たちは皆、例外なくイエスさまのように生き切っています。親鸞然り、道元然り、良寛然りです。祈ります。


 
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