サムエル第二15章・ダビデの息子アブサロムの不満

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

「アブサロムはその人に言った,『ご覧,あなたの問題は良いし,筋が通っている。だが,王からの者で,あなたの言うことを聞いてくれる者がいないのだ』。 そしてアブサロムはさらにこう言うのであった。『ああ,わたしがこの地で裁き人に任じられていたなら,訴え事や裁き[を要する事柄]のある人は皆,わたしのもとに来れるのだが。そうすれば,わたしはきっとそのような人を正当に扱えるのだが。』」(サムエル第二15:3,4)

 

 アブサロムは、ダビデの三番目の息子でした。ダビデの長子は異母兄弟のアムノンでした。アブサロムは、その際立った肉体的な美しさのゆえに、イスラエル中でたたえられました。(サムエル第二14:25~27)しかし、彼はその美しさにもかかわらず失敗してしまいました。それはどうしてだったのでしょうか。

アブサロムは父親であるダビデ王の裁きに関して不満を抱いていました。アブサロムは、訴え事を持って裁きのためにダビデのもとに来る人すべてに対して冒頭の聖句のように言っていました。アブサロムはイスラエルの人々の心を自分の方に向かせた時に、父親のダビデに対する不満をあおりました。アブサロムは、父親のダビデ王は訴え事や裁きを正当に扱うことができないことを示唆しました。

ところで、アブサロムはそのように言う理由がありました。アブサロム自身、ダビデに対して不満を抱いており、それは、ある程度もっともなものであったと言えます。アブサロムの妹のタマルはダビデの長子のアムノンに犯されました。タマルはその後、兄のアブサロムに頼ってアブサロムの家に住んでいました。(サムエル第二13:20)アブサロムは、その時、タマルの訴えに耳を傾けたに違いありません。

その時、アブサロムは妹のタマルに対してアムノンが兄であることを思い出させています。(サムエル第二13:20)モーセの律法では異母兄弟姉妹による近親相姦は禁じられていました。そういった近親相姦を行なう者は、死に処されることになっていました。(レビ18:6,9,29)

ところが、ダビデ王は、長子のアムノンがタマルを犯したという件について聞いた時に非常に怒ったものの、それ以上の処置を何もとりませんでした。モーセの律法に従ってアムノンを処刑するということまでは行ないませんでした。(サムエル第二13:21)ダビデは長子のアムノンに対する愛によって正しい裁きを行なうことができなかったのでしょう。それで、アブサロムがアムノンを殺してしまった時に、ダビデはアムノンの死を悲しみ続けて、アブサロムを許そうとはしませんでした。(サムエル第二13:37)

最終的には、ダビデは、アブサロムがアムノンを殺したことをようやく許しましたが、それは、単にアムノンが死んでしまったことをあきらめたからに過ぎませんでした。(サムエル第二13:39)アブサロムの行動はモーセの律法に従っていたのですから、モーセの律法からすればアブサロムを非とする理由はありませんでした。しかし、ダビデはモーセの律法に従って息子たちを扱いませんでした。アブサロムはダビデの手落ちが分かっていたものと思われます。

ダビデ王は自分がバテシバと姦淫を犯してエホバ神から許されたからかもしれませんが、モーセの律法を厳密に行なう上で、ある程度、なまぬるいところがありました。ダビデはモーセの律法に厳格に従うよりも、人間の情に従って行動する傾向のある人でした。

息子のアブサロムがダビデの王権に逆らったことには、ダビデの方に他の人に不満を抱かせるもっともな理由がありました。そこで、アブサロムは、イスラエルの人々の心が自分に傾いたとみるや、自分で勝手に王になったと宣言しました。イスラエルの人々は、多くがアブサロムの側につきました。(サムエル第二15:10,12)それで、ダビデは部下と共にエルサレムから逃げ出しました。形勢はアブサロムに有利に見えました。ところが、アブサロムは、ダビデとの戦いで悲惨な死を遂げて、アブサロムの企ては結局失敗することになりました。

 このことから、何がわかるでしょうか。エホバの油そそがれた王であったダビデ王にも、モーセの律法に厳格に従う上で、落ち度がありました。それでも、エホバ神はダビデ王に憐れみを示されたので、ダビデは生き続け、また王としての立場にとどまり続けました。エホバは、油注がれた者ダビデに対して敬意を払うことを求めておられたことが分かります。アブサロムは、油注がれた王ダビデに対して不満があっても、彼に敬意を示し続け、反逆したり命を奪おうとしたりすべきでなかったことが分かります。

また、エホバに油そそがれた者に落ち度があっても、油そそがれた者に対して、敬意を払うべきことは、エホバ神に不忠実になっていた油そそがれた者サウル王に敬意を払い続けたダビデがエホバに是認されたことからも分かります。過去においてエホバは、油そそがれた者の大きな失敗があっても、その油そそがれた者をすぐに見捨てることなく、彼が生き続けその立場に留まり続けるのを許されました。

このことは、今日の油注がれたクリスチャンにも起こることでしょう。今日の油注がれたクリスチャンも失敗をしたり、神の律法に従う点でなまぬるいことさえあるかもしれません。しかし、エホバ神は油そそがれたクリスチャンに不満を持つのが当然な失敗があっても、彼が生き続けている間、敬意を払い続けることを求めておられることが分かります。

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